This is my essay.








目 次
プロローグ
百ます計算
家庭の崩壊
家内のやり方
東大卒の評価
高騰する教育費
格差社会の現実

1.プロローグ

 久々の大型連休となったゴールデン・ウィーク、その旅の合間に読もうとして、駅の売店で雑誌のプレジデントを買った。経済関係の記事が載っているのかと思いきや、何とほとんどが子供の教育、学力・学歴の話だった。そもそもこの雑誌は、会社では仕事に追いまくられ、家庭では子供の教育に心を痛めている世代の、大企業のサラリーマンが読むものだったことを忘れていた。今の私のように、そういう時期はとうの昔に終わってしまった身からすると、まるで天上界から地上のコップの中の渦巻きを見ているような気がする。・・・というと、ただいま現役の皆さん方に申し訳ないけれども、まあ要するに私も暇人(ヒマジン)になってしまったということだなと、ひとりで苦笑いをしてしまった。こういうときは、サライとかいう雑誌の方がよかったと反省しても、あとの祭りであったが、せっかく買ったのだからと、そのプレジデントを読み始めた。

2.百ます計算

 教育関係の記事を目にするのは久しぶりのことである。10〜15年前には、こういう記事をよく読んだものである。昔も似たようなことが書いてあったが、3点ほど、目新しいことがあった。第一は、陰山英男さんという校長が出てきて、なかなか良い話をしていること(記事の構成は、編集部の出来斉さん)。第二は、この10年間で、社長・役員になれる大学・学部が激変していること。第三は、ニート、フリーターなるものが出てきて、みな唖然呆然という状態であることである。
  (注) ニート(NEET) = Not in Education, Employment or Training

 陰山英男さんの百ます計算については、その発想の斬新さと効果の大なることが相まってブームを引き起こしたことから、どんなものかは知っている人は多いと思う。2003年に校長職に応募されて今は尾道市立土堂小学校の校長さんをしている。そこでますます活躍されているようで、結構なことである。

 百ます計算は、単なる学力向上策ではないらしい。塾通い、テレビの長時間視聴、家庭崩壊などで子供たちの生活習慣自体が壊れてしまっている状態で、子供たちにもっとも必要な生きる体力や気力が失われているのが問題だという。そこで陰山さんが著書で強調したのは、「早寝、早起き、朝ごはん」を守ることによって、家庭での生活習慣が改善され、ひいては子供の学力向上につながる。そうした中で、特定の課題を徹底的に反復練習をすることによって、本人も周りも思いもしなかったような劇的効果が生まれるようになる。それが、百ます計算だというのである。

 加えて、百ます計算をすることで、親が子供と触れ合う時間が増える。子供が親に、きょう学校であったことを話すようになり、宿題の音読を聞いてあげたり、百ます計算のタイムを計ってあげたりして、親子で共通の話題と目標ができ、それがまた親を変え、子供に刺激を与えて、すべてが良い方に進んでいくという。

 これを読んで私の昔の馬鹿な行いを思い出した。そういえば、自作問題事件というのがあった。子供たちに迷惑をかけたと、いま思い返しても汗顔の至りである。あれは、子供たちが小学校3〜4年になった頃のことである。家内が、子供の勉強を見てやってくれというものだから、よしと気軽に引き受けてしまった。それで、自作の問題を毎日作って二人にやらせたのだが、カリキュラム無視のいいかげんな問題だったので子供たちは困り、私自身の問題作成能力もマンネリ化してしまって、2〜3ヶ月で自然消滅してしまった。やはり、こういうことは専門家に任せるべきである。大学レベルなら多少は自信ありなのであるが、小学校レベルとなると、見当もつかないから、致し方ない。しかし、ひとこと言い訳をすれば、その当時、陰山さんの百ます計算の教材でもあれば、喜んでやっていて、それなりの効果があったに違いない。

 この雑誌プレジデントの記事にも、私と同じような父親の話が出てくる。石臥薫子さんという人の記事であるが、毎日、夕食が終わると小さな黒板で勉強を教えるほど教育熱心な父親である。成績が上がらないと、子供は父親から「何でこんなに教えているのに、おまえはできないんだ」となじられ、勉強はしたが高校受験に失敗し、就職したかったのに専門学校に行かされた。その結果、就職に自信が持てないで、ニートとフリーターの間を行きつ戻りつしているという。

 はあ、やっぱりね。私の場合は、子供が小学校3〜4年のときで、しかもたった2〜3ヶ月で止めてよかった。あのまま勝手流で何年もやっていたら、こうなってしまったかもしれないと、冷や汗百斗の思いである。しかし、人生万事、塞翁が馬とはよくいったもの。上の娘は独立心が強いものだから、これで親も含めて誰からも、教えられるのがすっかり嫌になったらしい。自分で勉強して公立の小中高校へと進んだ。塾と名のつくのは高校3年の秋にちょっと通っただけ。それでいて、あれよあれよという間に、国立の医学部に現役で合格してしまった。そして、いまは医者として活躍している。良い方に転がっていってよかったと思う。親がなくとも、子は育つということかと、多少のほろ苦さを残しつつ、認めざるをえない。

3.家庭の崩壊

 さて、記事の中に子供の非行の話があった。服装の乱れや不登校から始まって、少年院のお世話になるような子供とどう向き合うかである。聞いただけでも重々しいテーマで、正直いって、あまり近づきたくない気がする。大学の同窓会でも、そのような話題に少し触れた人がいたが、皆の白けた反応をみて、すぐに黙ってしまった。何かフォローしてあげればよかったかと悔やまれるが、何といっていいのかとも思う。あまり他人の家庭の問題に立ち入るのもと、ためらわれるのも事実である。この記事に家庭裁判所の調査官の話が出てくる。子供自身の問題があるのはもちろんであるが、その裏には、家庭崩壊とか夫婦間の問題とか、あるいは親子の間の役割分担や対話が成り立っていないという事実もまたあるらしい。記事を書いた荻野進介さんという人によると、

 @ その子の性格や成績などをむやみに兄弟姉妹と比較して叱責する。
 A 夫が妻を、妻が夫を見下したり、半人前扱いをする。
 B 通知表やテストの成績だけでその子を評価する。
 C 自分勝手な理想に、子供をはめ込む。
 D いざというとき、夫が妻を、妻が夫を守らない。

 などが、こういう問題を引き起こす要因とのことで、できれば家族の間で共通の理解をつくり、常に相手の身になって考え、言葉をかけることが大事とのこと。

 いやいや、@とかBとかは、私もやってしまっていた記憶がある。よくなかったらしい。しかしそのときは、そんなことまで、気が回らなかった。親として若気の至りということか。ただ、ひとつ家内に大きく感謝していることは、こういう私の至らなさをそっとカバーしてくれたことである。たとえば子供たちの前で、私の仕事ぶりや能力について、とても誉めていてくれたことである。私も、家内にはいつも感謝していたので、家庭の中は、比較的おだやかだったと思う。しかし、そういう家庭でも、唯一直面する問題が、受験戦争であった。

4.家内のやり方

 陰山英男さんの記事の中に、大阪の郊外に住むあるお母さんの話が出てくる。ものすごい教育熱心な人で、娘さんがLDと診断されて以来、小さい頃から毎日子供に付き添って勉強を教えてきて、結局その子が私立の中学に合格したりしてとても成功したというものである。そのお母さんの特徴は、他の人には絶対に真似ができないというくらい、子供に対して丁寧だし、優しい。素人なのに子供に合わせて手作りの教材を作ったりして、子供を見る目、眼力があるというのである。

 はあ、これこれ。私の家内は、まさにこのタイプだった。偉いと思ったのは、子供を絶対にしからなかったことである。私などは「何で、こんな簡単なことがわからないのか」とすぐ言ってしまって、勉強ムードをぶち壊すタイプなのだけれど、私の家内は、まったく違った。非常に忍耐強いし、子供をよく観察して、その子のそのときの状況に応じた対応をするのである。前述のように上の娘は自分で勉強するタイプなので、勉強を無理強いせずに、見守る姿勢に徹した。それに対して下の男の子は、どんどん教えられたことを吸収していくタイプなので、四谷大塚という市販のドリルなどを買ってきて、毎日何ページと決めて、辛抱強く教えていた。今から振り返ると、それがまた、独創的なやり方なのである。

 小学校は、自宅の真向かいにあった。休み時間に学校の屋上でウチの男の子が遊んでいると、その姿が自宅のベランダから見えて、親子で手を振り合うという近さである。子供は学校から帰ってきたら、そのままランドセルを放り出して、遊びに行ってしまう。しかし、午後6時になると、夕焼け小焼けのチャイムが鳴って、しぶしぶ家に帰ってくる。それから食事をし、大好きな巨人の野球を見るのである。それが午後9時すぎに終わり、それから勉強タイムとなるのであるが、すでに眠気を催して、あくびが出始める、そこを何とか抑えてもらって、小一時間くらい、勉強してもらうのである。いや、正味45分くらいのものか。家内によれば、時間がないので、あらかじめ自分が予習をして、要点だけを要領よく説明するらしい。その四谷大塚のドリルというのをちょっと見せてもらったが、私の時代ならさしずめ社会は中学校卒業レベル、数学は私にはさっぱりわからなかったので、おそらく短大レベル(?)、いずれにせよ、小学校の生徒が学ぶとは思えない代物であった。最近、学習指導要領の再強化がいわれているが、とてもそのような水準の話ではない。東京の小学生は、こんなものを学校外で勉強しているのかと、心底びっくりしてしまった。

 それでも家内は、子供が5年生の秋になった頃、自分のやり方が気になったらしい。都内中心部の、とある中堅学習塾に子供を行かせてみようと考えて、申し込みに行った。すると先方の答えは、「5年生の秋になって、いまから通うという人なんて、いませんよ。テストで百点でもとったら、入れてあげますけどね」と、けんもほろろの扱いだったという。それで家内も、これでは自分の手作りでやるしかないと腹をくくり、上に述べた調子で、受験まで教えていった。子供の成績が全体でどういう位置にあるかというのは、日曜日ごとにテストがあるので、それでわかる。一年間ほど鳴かず飛ばずであったが、受験の3ヶ月前になって、ようやく飛躍的に伸びて、テストの成績優秀者の欄に突然載るようになった。それを見て、私と娘は、「あの子最近やっと、野球を見なくなったからじゃないの?」などと冗談を言い合ったほどである。またこの子は、日曜日には好きな少年野球に精を出した。こんなことを人に話すと「それが東京の真ん中の出来事なの」と笑われるくらい、誠に牧歌的な小学校時代であった。

 そして翌年の2月はじめ、雪の降る中をその学校に行って受験をし、御三家といわれる中高一貫校に合格したのである。すると周りの人たちが不思議がって「毎日あんなに遅くまで遊んでいて、少年野球までやって、何で受かったの」などと言われたほどである。確かに、そうかもしれない。いちばんびっくりしたのは、この私なのだから。そのようにして首尾よく入学したその学校でも、塾に行かないで合格した稀有の例だと言われたそうである。こういう中高一貫校は、受験までに燃え尽きて入学後は大きく後塵を拝するグループの子が結構いるそうであるが、幸いにもウチの子は、それまでに遊びに遊んでいたことから、そういうことも一切なかった。大学受験では、クラスの半分が東大に入ったが、ウチの子もそのうちのひとりとなった。

 ただ、そういう中高一貫校だからといって、あまり学校に任せきりにするのはどうかと思う。高校2年の春、日本史を学んでいたので、「いま何をやっているの?」と聞いたところ、「飛鳥時代の農民一揆」というので、変なことを勉強しているなぁ」と思った。そして秋になって同じ質問をしたところ、「江戸時代の農民一揆」と答えたので、これはダメだと思い、その科目だけお茶の水の駿台予備校に行って勉強をさせた。本人も、とてもためになったと喜んでいた。このほか、大学受験も近づいてきたある日、友達と一緒に英語と数学の専門塾に行きたいというので、はじめて通わせたことがある。塾といっても、これくらいであったから、小学校時代と同じく、あまり本人の負担にはならなかったのではないだろうか。それから私には専門外の数学だが、家内にいわせれば、中学一年から、学習指導要領など無視した順序で教えていたらしい。中一の保護者会で、あるお母さんが「最近の数学が難しいと子供が言っていますが、予習に何を勉強させたらいいのでしょうか」と聞いたところ、先生は「ありませんね。強いていえば高一の内容ですから」などと答えてお母さん方を唖然とさせたという。

5.東大卒の評価

 雑誌プレジデントの記事に再び戻るが、これによると、上場企業の社長になるには、東大・京大というより、最近は、慶応・早稲田に行く方がいいらしい。ちなみに上位5位までを挙げると、こんなことになるようだ。

     2004年    1995年    1985年
1位  慶応 312人  東大 369人  東大 403人
2位  東大 209人  慶応 237人  慶応 160人
3位  早稲田170人  早稲田150人  京大 144人
4位  京大 104人  京大 149人  早稲田134人
5位  同志社 68人  一橋  67人  一橋  76人

 東大・京大の凋落と、慶応の激増が顕著であるが、まあそもそも、卒業生の数も大きく違うから、同列に論じるのはいささかどうかと思う気もしないわけではない。いずれにせよ最近、国立大学はそろって法人化したので、こういう傾向を止めることができるかどうかである。ちなみに、東大もやっと最近になって、卒業生に対するアフター・サービスをしようかという気になってきたようだ。これまでの大学からの連絡は、寄付を募るときだけであったのに比べれば、大きな進歩というか、何というか・・・。

 私の仕事場は、石を投げたら東大卒数人以上に当たるという状態である。皆そろって、ごくごく優秀な人ばかりで・・・といいたいところであるが、残念なことに中にはどうしてこんなことがわからないのだろうと思う人も、いないわけではない。問題は、その数が次第に増えてきている気がするのである。採用の問題かもしれないが、やはり卒業生の質が変わってきたという全体の傾向が、こういうところにも現れてきているのかもしれない。これは、いわゆる美濃部改革で公立高校が凋落し、中高一貫校出身者ばかりが東大に入学するようになってきたからであると、私は確信している。お金がなければ、簡単には入れないような学校の子ばかりになると、どうしても学生が同質化してしまうし、塾に通い人の言いなりになることに慣れてしまって、独自の工夫というものを知らないような人間が多くなるのである。

 その点、われわれの時代は、全国各地の都道府県立高校からの猛者ばかりが、東大・京大をめざしていた。何には、貧しい家庭の子もいたし、何よりも各自それぞれの個性があって、おもしろかった。その背景には、出身の多様さというものがあったと思う。たとえば、私の県立高校は全県わずか2区の大学区制で、各地の中学校のトップが集まっていた。いわば、ミニ東大だったといえる。私が一番驚いたのは、ある同級生の女の子である。県下でも誰もそんな中学は聞いたこともないというところから、十数年ぶりにわれわれの高校に合格したという逸材であった。入学成績も抜群という噂で、これはすごいと尊敬していたら、英語の時間になって、何かさっぱりわからない様子だった。そっとその子のノートを見たら、もうびっくり仰天した。すべてカタカナで書いてあったのである。その子によると、英語の発音など、誰もちゃんと教えてくれなかったので、すべてカタカナを主体の自分で工夫した発音記号を作り、それでやってきたという。

 私はこれを知って、どんな劣悪な環境でも、自分で工夫すれば、何とかなるものだと、いたく感心したのである。全国各地のかつての旧制中高校の伝統を引く公立高校から、それぞれの環境に合わせ、このような自分独自のさまざまな工夫を凝らして、全国の駿勇たちが、続々と東大・京大に入っていった時代が、われわれの頃であった。そもそも皆が貧しかったし、もとより塾などなかったから、貧富の差は合格には関係なかったと思う。ところが現在は、小学校4年生から塾に通い、教えられるばかりで、自分独自の工夫というものをする余地など、まったくない。しかも、そうして合格した都会の中高一貫校からの卒業生ばかりが、東大に入るということになっているのである。したがって、卒業生は、教えられるのに慣れ、理解力と応用力はあるのだが、無鉄砲な野性味に欠けるということになってしまうのではないだろうか。

 ただ、中高一貫校の場合、生徒の能力の発揮とその将来は、その学校の方針次第である。東京の御三家といわれる学校でも、開成は軍隊風のスパルタ教育、麻布と武蔵は放任主義である。とあるフランスからの留学生は、武蔵を評して「この学校は、あまりにも自由すぎて、よくない」といったとかいう話も残っている。私からすると、どっちもどっちであると思うが、社会に出て大きく伸びる人には、後者の卒業生が比較的多いような気がする。もっとも、統計をとったわけではなく、単なる淡い印象にすぎない。前者の部類には大阪の灘校が入るが、さすがにびしびし訓練されてきただけあって、いずれも多少のことでは、へこたれない人が多いと思う。社会を渡っていく上で、それも非常に重要な特質である。

6.高騰する教育費

 ところで、やはり経済紙らしく、プレジデントにはお金の話が載っていた。それによると、いろいろな前提があるにせよ、要はこういうことらしい。

 @ 国立コース(自宅)計 約 810万円
        国立 大学 約 298万円
        公立 高校 約 158万円
        公立中学校 約 131万円
        公立小学校 約 175万円
        公立幼稚園 約  46万円

 A 私立コース(下宿)計 約2430万円
        私立 大学 約 866万円
        私立 高校 約 311万円
        私立中学校 約 369万円
        私立小学校 約 777万円
        私立幼稚園 約 105万円

 このほか、小学校4年生から塾に通いはじめ、1年間浪人すると、約588万円も必要らしい。つまり、国立コースの場合であると、合わせて1398万円というわけである。

 たいへんな額である。いままでそんなことを考えもしなかったので、はてさて私の場合はどうだったのだろうかと気になり、頭の中でちょっと計算してみた。とはいっても、覚えているのは子供が大学と中高一貫校のときの費用くらいなので、それに上記@の幼稚園から高校までの費用を上乗せしてみただけである。すると医者になった子の場合は、約2500万円と出た。そのほか海外旅行の費用などいろいろとあったから実際にはこれ以上かかっているが、下宿させたので、学費としてはこんなものだろう。次にもうひとりの場合は、大学卒業までに約1500万円、これに大学院や留学の費用約1300万円を加えると合わせて約2800万円ということである。両者を足した合計は、約5300万円となる。都会のマンション1軒分である。どうりで、私には住宅ローンがまだどっさりと残っているわけだと、妙に納得したのである。東京に住んでいて年収もそこそこの私でさえ、これである。地方にお住まいの方で子供を東京に下宿させなければならず、しかも失礼ながら年収がかなり苦しい方などは、一体どうやっておられるのだろうかと心配になる。高騰する教育費は、国民ひいては国家の大損失なのではなかろうか。

7.格差社会の現実

 最後に、フリーターについてであるが、文部科学省の学校基本調査の結果をみて、驚かされた。就業者に占めるフリーターの割合は、1990年度には10%であったのに対して、1995〜98年度に20%台に上がったかと思うと、2002年度には35%に達したからである。その同じ見開きページに生涯手取り賃金の統計があるが、それによると大卒大企業勤務の人は、2億5118万円、高卒中小企業勤務の人は、1億7920万円と出ている。ところが、フリーターの場合は、わずかに6780万円しかない。要するに、子供を大学にやる資力もないのである。1990年代初頭のバブル崩壊以降、企業業績はコスト・カットと中国シフトで支えられてきたといわれているが、正社員減の影響がこんなところに、しかもこれほど劇的に現れてきているとは思わなかった。

 1945年の終戦直後の焼け野原から日本経済の復興がはじまり、いまの中国のような1960年代の目覚しい高度成長を経て、一億総中流といわれる平等社会がいったんは実現した。しかしそれもつかの間のことだったようで、1980年代末のバブル経済とその崩壊以降は、再び国民に貧富の格差が生まれつつある。資本主義社会の常とはいえ、いまの日本人に、その覚悟はあるのだろうか。もはやこうなった以上、私は、平等という名の下の観念的な社会主義制度は止めて、一方では社会的弱者のためのセーフティ・ネットを作りつつ、他方では社会的格差を前提とした能力主義のシステムに移行すべきであろうと思う。セーフティ・ネットとしては、奨学金制度の充実、低廉で良質な食料の供給があり、能力主義のシステムとしては学力別クラス編成と学校の株式会社化容認、転職支援のための年金のポータブル型化などが早急に講じられるべき対策であろう。





(平成17年5月 3日著)
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