先月の終わり、亀戸天神に藤の花を見に行ったところ、境内の一角から、こんな声が聞こえてきた。 「人の一生わぁーぁぁ 重荷ををー負うてえーーーぇ 遠き道をーー行くがぁーーごとぉーし」 「おお、これは詩吟だ」と思い、その声の方に行ってみると、社殿の脇に神楽殿がある。そこで紋付袴のおじさんが、詩吟をうなっている。その上には、「学業講祭 藤まつり」という看板がかけてある。そういえば、こちらの祭神は菅原道眞だったと思い出したが、それよりもその詩吟に感激して、その前の見物席に腰を据えた。 家康公遺訓 人の一生は 重荷を負うて 遠き道を行くが如し 急ぐべからず 不自由を常と思えば 不足なし 心に望みおこらば 困窮したる時を 思い出すべし 堪忍は無事長久の基 怒りは敵と思え 勝つことばかり 知って 負くることを知らざれば 害 その身に いたる 己を責めて 人を 責むるな 及ばざるは 過ぎたるより 勝れり と なかなか、よろしい。時間が経つのを忘れて、しばし聞き惚れてしまった。紋付袴のおじさんだけでなく、和服のおばさんも謡っていた。こちらの甲高い声も、不思議と内容にマッチしている。心の中で、何か滓のようなものが、一枚一枚はがれていくような気がした。こうしたものを学校などで聞かせるべきだと思う。子供たちの何割かは、この良さがわかるはずである。また、そうでなければいけない。こういう歴史に根付いた伝統文化が忘れられているからこそ、最近、社会性や常識の欠けた妙な人たちが増えているのではなかろうか。 これを聞きながら、31年前の、ある夜のことを思い出した。その日は、新入社員の歓迎会の日であった。われわれ前年に入った者たちは、ようやく課内のヒエラルキーの最下位に位置する「新人」という立場を脱し、「一年後輩」という人たちを迎えたのである。その夜、新人と旧新人が一堂に会して、宴たけなわとなった。そこで誰かとなく、その頃はやったカラオケを歌い始めた。新人たちが順次、歌いはじめて、N君の番となった。 そうすると、そのN君、「私はカラオケはやりませんが、代わりにこれを一曲」といって、いきなり、何やら、うなり始めた。一同、一瞬キョトンとしたが、すぐに詩吟とわかった。それがまた、男っぽくて良く通る声で、朗々と歌いあげるので、しばし聞き惚れたのである。非常によかった。こういう「渋い」文化が自然に身に付くN君の家というのも、ただものではないと思ったら、彼のお父さんは、国会議員をやっているとのこと。それはともかく、この一件で、N君は大人だということになり、それ以来、われわれの尊敬を集めている。今は退職して自動車業界に転じ、その重鎮として活躍しているようだ。ひょっとすると、業界の宴会でまた、詩吟をやって、車屋さんたちの度肝を抜いているのだろうか。 (平成17年6月 1日著) (お願い 著作権法の観点から無断での転載や引用はご遠慮ください。) |
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