This is my essay.








 私は、外国で日本人がしゃべっている英語を聞くと、その日本人の出身地がわかる。関西の人には失礼かもしれないが、とりわけ大阪弁の英語は、おもしろいほどそっくりである。あの特有のイントネーションにその話すときの小気味のいいスピードなど、単語は英語であるにせよ、もう大阪弁そのものといってよい。しかし、どうしたものか、異国の相手にはそれが通じてしまうのである。ここまでくると、まさに痛快というほかない。

 あるとき私はニューヨークにいて、時間が余ったので、典型的なお上りさんコースである「自由の女神見学バスツアー」に申し込んだ。バスに乗ったところ、いるわいるわ、あらゆる人種がそこにいた。市内の道をたどって自由の女神に通じる桟橋に行き、そこからはしけに乗って、女神のところにたどり着いた。「おお、これがそうか」と感激し、その辺をふらふらしてその桟橋に戻ったところ、私の乗ってきた番号のバスがいない。はしけに乗り込む前に運転手が何かアナウンスしていたが、こちらはバスの後ろの席にいたのと、回りがうるさくて聞き逃したらしい。

 はて、困ったと思って周囲を見渡すと、見覚えのある黒い顔の持ち主がいた。どうやら、バングラデシュの人らしい。私が、「あなたも乗り遅れたか」というと、そうだと答える。それで、私が「細かいお金の持ち合わせがないので、恐縮だがここに電話番号があるのでバスの会社にどうすればいいか聞いてくれるか」とお願いすると、喜んで承知した。そこで彼は波止場の公衆電話ボックスからそのバス会社に電話した。ところが、問題は彼の英語である。「ガラガラガラ、ルルルルルッ」という調子で、何を言っているのか、さっぱりわからない。しかし、世の中はよくしたもので、この英語はバス会社には通じたらしい。彼は出てきてこう言ったのである。「どれでもいいから、同じ会社のバスに乗って返ってきてくれとさ。」 私は、たまげてしまい、ニューヨークは人種のるつぼとはよくいったものだと感心した。

 数年前に、インドで国際会議があった。私もそれに出て、最後のコミニュケの作成に参加した。午後7時に本会議が終わり、その成果を事務局がとりまとめて合意した内容を確認する作業である。これが非英語圏の国で行われたりすると、徹夜の作業となり、翌日昼の記者会見にも間に合わなかったりするので、注意しなければならない。そういうときは、こちらから言いたい内容の文書をさっさと作って、それを事務局に押しつけたり頼み込んだりしなければならないという面倒な事態になる。

 ところが、ここはインドである。英語を使って日常生活を送っている人口は1億人近くはいるであろうから、まあ、そんなことにはならないなと思っていた。やはり、午後10時すぎたら、会議の速記録が出てきた。「おお、はやいはやい、さすがにインドだ」と思ってそれを読み出した。その内容も、ポイントを外さず、なかなかの出来である。ところが、私は一箇所だけ、わからないところがあった。「nodal responsibility」という所である。「わかんないなぁー」と思ってスーツケースの中から持参した辞書を引っぱり出した。ところが、その三省堂のコンサイス辞書にも載っていないのである。

 困ってしまい、オーストラリアの人たちのところに行き、「こりゃ、いったい何ですか」と聞いた。ところが、英語圏そのものにいるはずの彼らも、「いや、私たちも、それは何か誰もわからなかった」というのである。彼らはそれから引き続いて「まあ、それが何であっても、たいしたことないじゃないですか。」というのも、誠にオウッシーさんたちらしい。

 しかし、これからが日本人たる真価の発揮どころというか、日本人の馬鹿正直さが出てしまうところとなる。私も典型的な日本人なのでついに我慢しきれなくなり、インド人のところに行き、「nodal」の意味を聞いた。すると彼らはやや不審な顔をして、「それは重要とか中枢、中核という意味だ」と、例の巻き舌の英語でいう。私が、「辞書にはなかったなあ」とつぶやくと、「いや、われわれの中学校の教科書にも載っているよ」といわれてしまった。

 まあ、たいしたコミニュケでもないし、その箇所もあまり全体のトーンを変更するところでもないので、その場はそのままにしたが、どうも気持ちが悪い。帰国して調べてみた。古い研究社の「新英和大辞典」によると、「nodal」は「nodeのような」というのである。その「node」は、結び目、こぶ、結節点、中心点などという意味であるから、確かに「nodal」を中核的とか、転じて重要だといってもよいであろう。

 しかし、何でまた、このようなマイナーな単語がインドでは中学生でも習う基本的単語なのだろうか。いろいろと考えてみて、ふと思い立ったことは、インドの英語の歴史である。1600年にイギリス東インド会社が設立され、それからムガール帝国を圧倒しつつ版図を広げていき、18世紀半ばにはほぼ全土を制覇した。そして1857年にセポイの反乱が起きて翌年に東インド会社が解散し、結局1877年にインドはイギリスの直轄植民地となった。このような歴史からすると、少なくとも18世紀半ばまでには英語教育も本格化していたはずである。そして、その頃にイギリス本国で使われた単語も輸入されたに違いない。だとすると、およそ200年以上も前の英単語がそのまま残っているのではないだろうか。

 これに対して日本の場合は、英語教育は、1868年の明治維新以前にはほとんどなかったといってよい。だからその歴史は、たかだか100年くらいである。頻繁に使われる英単語などは、インドの場合とは相当に異なっていたに違いない。両国とも、それぞれの時点で辞書が作られ英単語の意味と用法などが固定したと考えたらどうであろうか。道理でズレているわけである。このようなことはインドと日本の間だけではない。たとえば、われわれが「雨がどしゃぶりである」ことを表現するものとして中学校で習った「It rains cats and dogs.」などは、もう現在では骨董品的な存在である。いまそんなものをアメリカ人相手に使ったりしたら、わからなくてぼやっとしているか、それとも多少は学のある人だったら笑い転げるであろう。別に詳しく調べたわけでもないが、これも明治期に輸入されたままで止まっている表現ではないかと私は考えている。

 こうしたズレは、いまでも続いて起きている。私が1986年ごろにアメリカの交渉相手と議論したときのことである。相手は、高度技術の話になると、さかんに「age-cutting technology」という。「時代を切り開く技術」というわけで、まあまあ意味はわかるが、要するに「先端技術」のことであろう。こんな単語は、日本の在来の辞書には出てないのである。同様のことは、日本語でもある。たとえば最近の若い人たちの間で使われている「超すごい」、「超高い」という「超」は、あまり品がいいとも思えないが、流行語のひとつである。もちろん、国語として定着するかどうかは、まだ決まっていない。

 いささか脱線気味になったが、そういうわけで一口に英語といっても、いろいろな国の人たちが、それぞれのお国訛りと導入の歴史を背負って使っている「生きた言葉」である。だから、日本人も、イントネーションがどうとか、文法がどうとかなどは最初はあまり気にすることもない。要するに、聞けて、通じれば、それでいいのである。いったんそのように割り切ってしまうと、たとえばテンポよく単語を並べていくだけでも十分に通じる。それから徐々に発音、文法、ヒヤリングと気を配っていけばいいのである。ただし、経験則からして、20歳過ぎまで国内にいたような人は、もう発音などは諦めた方がよい。どうも、発音器官が日本語風に固定されてしまっているらしいのである。

 このようにして前向きにしゃべり出していくと、英語の持つ国際性というものに、改めて目を見開かれる思いがする。どの国でも知識階級であれば、英語ができる。知識階級で英語が満足に話せないのは、日本くらいではないか。いや、お隣の韓国もそうだという人がいるかもしれないが、どうしてどうして、最近の韓国のバリバリのビジネスマンや政府の役人には、実に流ちょうな英語を話す人が多い。限られたサンプル数でものを言うのはよくないが、先日、プラハのホテルでたまたまお会いした韓国山岳連盟の会長さんと奥さんに英語で話をしたら、とても面白かった。この類の経験はいろいろとある。

 ところで、国際的コミニュケーションのためには、単なる英語の発音は、実はたいして重要ではない。問題は、その人の持つ「中身」の勝負なのである。いかに流ちょうな英語を操って発音が良くても、その発想や話す中身のない人は、国内でも相手にされないのと同様に、やはり国際的にも通用しないのである。日本の会社の採用でも、発音や留学経験で優遇される時代はすでに終わった。応募者が「私は留学してきました。英語ができます」と言っても、「そういう人はいくらでもいます。それ以上に、あなたは何ができますか」と言われる時代なのである。

 私が感心したのは、ある大手銀行の現地支店長の話である。その人も、赴任当初は、パーティなどで会う現地の人たちに対し、英語でいったい何を話していいのかわからなかった。そこで、いろいろと考えた結果、「どんな人でも、レストランで食事ぐらいはするだろう。そのレストランを話題にすればいい」と思いついた。そこでその支店長は、せっせと現地の高級レストランめぐりを2ヶ月間で済ませて、メニューや雰囲気、ロケーションを頭にたたき込んだ。そして、会う人にそれを語ったのである。その話は大いに受けて、少なくともパーティで顔を合わせる2〜3回分の話題にはなったという。こういう機知がその人の持ち味であり、「中身」である。さて、ひるがえって自分自身に照らして考えると、この種の「中身」は、どれだけ私の身に付いたであろうか。
 





(平成12年11月15日著)
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