This is my essay.








 数年前に中国へ出張し、上海へ飛んでそれから抗州へ自動車で向かったことがある。事前にご親切にも受け入れ先から、抗州までは列車にするか、飛行機にするか、あるいは自動車にするかと聞かれたので、やや迷った挙げ句に道路を選択した。というのは、中国の列車は鉄道事故が結構あるようなのであまり気持ちがいいものではないし、飛行機の場合はローカル線には国際線や幹線で使われたボロボロの機体が使用されて、そこで落ちたらそれでおしまい、といった話を繰り返し知人から聞かされていた。加えて、その自動車とはその頑丈さをもって安心できるベンツだというので、このような選択をした次第である。

 ところが、この選択は、非常に甘かったことがすぐにわかった。定刻通りに上海空港に到着したところ、迎えに来てくれた人は確かにベンツに乗っていた。運転手も、日に焼けた精悍な感じの人物で、荷物をむんずとつかんで車のトランクにドサリと入れてくれた。それから最初は車で混雑する空港の前の道路をゆっくりと走り、それからすぐに高速道路に入った。コンクリート製で一見してごつごつするような感じの道路である。そこを超スピードで走りだした。かなり揺れた。ともかく、とてつもないスピードなのである。おそろしくてメーターを見なかったが、200キロ近いのではないか。後部座席で頭が天井にぶつかりそうになりながら、何でこんな方法を選んでしまったのかと、反省することしきりである。

 運転手にもっとゆっくり走れと言っても、まるで平気の平座である。1分もしないうちに、元の新幹線並みのスピードに戻ってしまう。あろうことか、そばを走る車とカーチェイスを繰り広げる有様である。わずか20分も走らないうちに、高速道路が一部途切れるところがあり、そこでスピードを落としたところ、横から「ピッ、ピッ」という笛の音がして、この運転手は警官に捕まってしまった。内心、「それ、見たことか。」と思って、運転手に同情するより、こってりとしぼられるから、これで安全運転になってくれるだろうと期待した。

 しかし、そうではなかった。再び走り出すと、まるで遅れた時間を取り戻そうとばかりに、前にも増しておそろしいスピードで走り続けるようになった。これは参ったと思っていると、10分も行かないうちに高速道路が終わりとなり、またそこで警官が待ち受けていて、この運転手は再び捕まってしまった。日本なら、猛烈なスピード違反を同じ日に二度やってしまったのだから、この人かわいそうに免停ではないかと、ちょっぴり同情した。

 ところがどうだ。警官と話しをして何か渡したかと思うと、平気な顔で運転手が戻ってくるではないか。これが賄賂というものかと思ったが、何事もなかったように、再び車が走り出した。昔のスピルバーグ監督の初期の作品に「スピード」という映画があったが、そこで理不尽なトラックに追いかけられ、追いつめられていくドライバーの姿と自分が重なった。

 それからは、高速道路が突然途切れて片側一車線の一般道路に入った。舗装もされていない田舎道路である。やや小高い盛り土がしてあり、道の両側には並木があり、天秤を担いだ人、自転車、牛に引かせた車などがのんびりと行き交う、どこか懐かしい風景である。遠くには、ピンクの花が咲いている。それを見て、少し安心した。いくら何でも、もう自動車を飛ばすことはあるまいと思っていた。

 その期待は、またすぐに裏切られ、舗装もされていない土ぼこりの舞う田舎道を120キロ以上で飛ばし始めた。前を見ていると「あっ、あぶない。自転車が横一列になって道をふさいでいる。ああっ、ぶつかる。」と思った瞬間、クラクションをブブッと鳴らすと自転車の列がくずれて、ベンツはそれをかき分けるようにしてくぐり抜けた。牛が牽く車の横を対向車線に入って走り抜けようとすると、対向車がすぐ前に迫っている。「あああっ」とびっくりしていると、サッと元の車線に戻ってやり過ごす。こんなことが40分ほど続いた。

 もう、恐怖という恐怖は味わい尽くしたとあきらめの心境でいると、ザザッという音がして急にベンツが止まった。前を見ると、手作りのような赤と白で塗られた棒が道の前方を塞いでいた。そこへどこからともなく、昔の日本の車掌さんが持っていたような黒い大きながま口を首に下げた男が現れて、運転手のドアをたたいた。運転手は窓を開けて、猛烈な勢いで相手に噛みつかんばかりに怒鳴っている。何や何だかわからないでいると、今度は車を道ばたに寄せられ、そこで汚い水で車が洗われはじめた。運転手は、その頃にはあきらめた感じでふてくされていて、なにがしかのお金を払って、また出発した。現地の人にどうなったのかと聞いてみて、びっくり仰天した。

 運転手は、「あの連中は、公道に勝手に遮断機を作って、道路整備に資金がいるとかいって通りかかる車から金を巻き上げている。しかも、車が汚いと道が汚れるなどといって二重に金を巻き上げている」といっていたというのである。まあ、何というか、滅茶苦茶な国である。そういえば、中国の海関当局
(日本でいえば、税関)に出資してもらった外国の会社は税関をフリーパスで通してもらっているという話をしていたっけ、などと思い出した。

 それから、何だかどっと疲れが出て、もう前方を見る気力もなく、1時間ほど後部座席で眠っていると、ベンツは花の抗州に着いた。私は無事だった。運転手に一応、「謝謝」というと、初めてニヤッと笑った。どういう意味だったのだろう。
 
 さて、こういう経験をしてから、中国を見る眼が変わって、もう何があっても驚かなくなった。しかし、最近再びびっくり仰天したことがある。警察官の制服を作っている工場が、事もあろうにその本物の制服を横流しして中国全土にニセネノ警官がはびこっていて、華南のある省で警官の制服を着ていた者を調べてみたら、三分の二が本物の警官ではなかったという
(深田祐介・最新東洋事情 30ページ)。してみると、あの運転手が二度捕まったうちの少なくとも一人は、何とニセモノだったのだ。うーん、やはり中国は、なかなか奥が深い。




(平成12年10月16日著)
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