This is my essay.







めでたさも 中くらいなり おらが春

 二人の子供は昨年までに、一人は医者、もう一人は弁護士に向けて独立し、夫婦ふたりだけの生活に再び戻りました。それから少しばかりの時が経ち、小さな家での二人だけのままごとのような生活にやっと慣れてきました。新婚時代を思い出し、なかなか、いいものです。違うのは、あまり言葉に出さなくとも、相手の言うこと思うことがわかってしまうことで、便利なような、そうでないようなところがあります。これぞ夫婦の年輪というものでしょうか。

 私の副業の大学院での講義も、一年目が無事に終わりました。幸いにして、私の授業に対する学生たちの評価も並み以上で安心しました。ところが、いささか波乱含みなのは私の本業の方でして、波穏やかな平和な時代はどうやら過去のものとなり、右舷からの強い風を受けて、乗っている船が木の葉のように大揺れに揺れそうな予感がします。

 ということで、今年の冒頭に飾るにふさわしいものは、現在の私の心境にぴったり当てはまる小林一茶の句というわけです。本年もどうぞよろしくお願いします。






こ ぞ ことし
去年 今年 貫く棒の如きもの

 人はそれぞれ、常に変わらぬ志をもって生きているのでしょうが、それにしても、この高浜虚子の晩年のような心境になるには、まだまだ修行が足りない気もします。それはともかく、あけまして、おめでとうございます。この平成18年も、皆様方のご健康と、ご一家のますますのご発展をお祈りいたします。

 ところで、この蓮の花は、昨年の7月に上野の不忍池で撮った写真ですが、周囲の緑色と比べて、誠に色鮮やかな桃色に染まっていました。いにしえの昔に、仏教を代表する花とされた理由がわかる気がします。

 それでは、今年もよろしくお願いいたします。






 2005年の新春を迎え、新年のお祝いを申し上げたいところですが、残念なことに今年に限って、なかなかそういう気分にはなれません。というのは、昨年末にインド洋で発生した前代未聞の大津波により、その沿岸諸国で総計15万人とも20万人ともいわれる死者が出たばかりか500万人以上が家を失ったといわれているからです。昨年12月26日午前8時(日本時間午前10時)、インドネシアのスマトラ島北部のインド洋側の沖合でマグニチュード(M)9.0の巨大地震が発生しました。震源に近かったインドネシアのスマトラ島にはその直後に20メートルを超える大規模な津波が押し寄せ、それから30分後にタイ南部のプーケット島を襲い、さらに1時間後にスリランカとインド、2時間後には南国のリゾート地のモルディブに襲来したということです。これによる推定被害者数は死者だけで少なく見積もっても15万人を超えたということですから、一つの自然災害による死者数としては、有史以来最大のものではないかといわれています。

 外国のメディアで「tsunami」と繰り返し言われるので、最初は何だろうと思っていたのですが、これは日本語の「津波」と言っているのだとわかって、びっくりしました。それから、外国の新聞のアクセスするたびに、連日必ず「tsunami」を目にして、日本人のひとりとして、誠に申し訳ない気がしたものです。日本でも、チリ地震によって引き起こされた1960年5月24日の三陸津波では20,000人余りが亡くなったそうです。またこれまで津波による世界史上最悪の犠牲者数の記録は1883年のインドネシアのジャバ島クラカトウ火山の爆発によるもので死者36,000人でしたが、今回はそれをはるかに上回る規模の大被害でした。地震のマグニチュードからいっても、9.0という最大級のものでした。

 地震と津波の被害が一番激しかったバンダ・アチェは、南国の風景明媚なところとして知られていました。また津波が襲ったタイのプーケット島やインド南方のモルディブは、普段であれば、青い空に浮かぶ白い入道雲の下で、真っ青な透明な海に純白の砂浜が広がり、海中には色とりどりの珊瑚礁の間を色彩豊かな熱帯魚が泳ぎ回っています。まさにこの世の天国といった楽園そのものです。私も東南アジアで仕事をしていた時には、このような南国のリゾートにしばしば行って、よく息抜きをしていました。そのときは「こんなに風光明媚で平和なところはない。ここは天国に一番近い場所ではないか」と、よく
思っていたのです。ところが南国のリゾートは、天国に近いとともに、実は地獄にも近かったなどとは、まったく夢にも思いつかないことでした。犠牲になられた方に、心から哀悼の意を表したいと思います。

 たいへんな年明けですが、今年は私自身も、仕事の上で政治の大きな渦に巻き込まれそうです。そのまま海底まで行ってしまうか、それとも浮かび上がって来ることができるか、まさに正念場と考えています。今年もお互い、全力投球でいきたいものですね。よろしくお願いします。







 
また新たなる年を迎え

 皆々様ご一家ご一同様の

 ますますのご繁栄とご健康を


 心からお祈り申し上げます。


勤続30周年を迎えました。今年もよろしくお願いします。






あらたまの 年を寿ぎ 集ひ逢ふ
 家族の顔に 希望みつ




  明けまして、おめでとうございます。


 21世紀の二年目を迎えようとしています。ちょうど一年前は、新世紀に入り、大いに期待するところがあったのですが、景気後退で世相が暗くなってきたところに、9月11日に、アメリカで悲惨なテロ事件が起こり、一生忘れられないような高層ビルの崩壊を目の当たりにし、まさに、波乱の新世紀の幕開けとなってしまいました。この不幸な出来事で、われわれは、理不尽なテロで何の罪もない人々が命を落としかねない、そういう危険で不条理な崖の縁に常にいるような気がしてしまいます。しかし、それでも、国家間の戦争があった時代に比べれば、まだわれわれの世代は恵まれています。現在の平和と繁栄をできるだけ長く維持していきたいものです。

 しかし、日本を取り巻く環境は、一段と厳しさを増してきています。国際的なテロ行為から来る脅威の話はともかくとして、私は、中国が世界貿易機構(WTO)へ加盟し、国際貿易の社会の舞台に立ったことが、これからの日本の経済と国力に大きな影響をもたらすものと考えます。中国は、日本の10倍の13億人の人口と広大な国土を持つばかりでなく、長年の共産党のくびきから放たれて、大いに発展するスタート・ラインに立ち、そして実際に走り出した段階だと思います。中国人は、日本人のような集団行動や会社への忠誠心はさらさらありませんが、ひとりひとりは極めて優秀です。だから、その個人の能力を十分に発揮できる環境が与えられたことは、中国の発展のためには、とても意味があることなのです。

 その反面、今の日本人には、一昔前の日本人が持っていたようなバイタリティや組織への帰属意識とか忠誠心などは、残念ながら持ち合わせていないといっても過言ではありません。若い人みんなが、いわゆる良家のお坊ちゃん、お嬢ちゃんのタイプとなってしまい、国全体のことを思って一身を投げだそうとか、あるいは会社のために滅私奉公でひたすら頑張るという明治タイプの人間は皆無となってしまいました。そのこと自体は時代の流れで別に悪いことではなく、単に日本社会が成熟した証ではあるのですが、経済の発展や国力という面からは、もう高度成長期のようなバイタリティは全く期待できなくなってしまいました。

 そこで、これからの日本を見通してみると、イギリス型の成熟国家となっていくと思います。しかし問題は、やがて人口の3人に1人は、私も含めて、老人となっていくという現実です。いまだかつてどの国も経験したことのない事態です。私自身も、豊かな老後を過ごすために、今から体調の維持に工夫をしつつ、できるだけ運動にこれ努めて健康に留意し、あわせてパソコンやインターネットの趣味などにも、ますます磨きをかけていきたいと思っています。

 その一方で、私の子供たちの世代には、できるだけアメリカなどの国際舞台で活躍してほしいと思っています。現代では、貨物も人間も資本も、ボーダーレスの時代を迎えているわけですから、何も狭い日本での生活に固執することなく、世界に雄飛する舞台を見つけていってほしいというわけです。そういうわけで、今年は、私の子のひとりがアメリカへ留学することにしていますが、あたかも私自身が留学するかのごとく、楽しみにしているところです。元気に行って勉強し、成果を上げ、資格をとって戻ってきてほしいと願っています。また、もうひとりの子も、社会に出て半年強となりましたが、人から感謝されつつ、それが励みになって、大いに活躍しています。この子も、機会を見つけて留学を勧めようかと考えています。何やら、私自身も、自分の子供たちを通じて世界が広がっていくようで、これから楽しみな年を迎えることができそうです。

 
今年も、どうかよろしくお願い申しあげます。





 明けまして、おめでとうございます。新年と新世紀の始まりに際し、心からお年賀のご挨拶を申し上げます。これから迎える21世紀には、国境の壁も低くなって世界の融合が進むでしょうし、また情報通信技術のような進歩する科学技術に支えられ、われわれの日常の生活や仕事の面にも大きな変化が生まれるものと思います。しかしそういう中でも、人と人とのお付き合いはますます大切にしていきたいものです。新世紀でも、また引き続き、よろしくお願い申し上げます。


年賀状の季節 新しい世紀を迎えて






悠々人生・邯鄲の夢





悠々人生のエッセイ

(c) Yama san 2001-2007, All rights reserved