This is my essay.








 いささか親馬鹿気味であることは、百も承知であるが、うちの子が外科医として、いろいろと奮闘している様子を聞いていて、なかなか世の中のためになっているなぁと、ついついうれしくなったので、ここに記録しておくことにしたい。

(学生時代 1) 救急外来の実習のとき、待機していると、高速道路で事故が発生し、怪我人が出たとの一報が入った。隊員と救急車に飛び乗ってその高速道路に入り、現場に急行したが、現場から1キロメートルの場所で救急車は渋滞でちっとも進まなくなった。そこで救急車からあの重い救急機器を抱えて飛び降り、その1キロメートルを走って現場に駆けつけ、怪我人の手当てに当たった。

(学生時代 2) やはり救急外来の実習のとき、工場の作業員が機械に巻き込まれて瀕死の重体となり、病院に運ばれてきた。その怪我人に蘇生を試み、体の上で一生懸命に全力で心臓マッサージを施したが、残念ながらそのまま帰らぬ人となった。家族への告知など一切を終えて気がついてみたら、着ていた白衣が、油で真っ黒になっていた。その怪我人が巻き込まれたという機械の、グリース油だったようだ。

(研修医1年目) 土曜日の夜にひとりで当直していると、腹痛の学生さんが救急車で運び込まれてきた。腹痛は1週間前から続いていたという。消去法で腹痛の原因を探っていくと、どうやらこれは盲腸だと診断した。そのまま薬を投与して痛さを緩和してあげた。このような場合は、翌朝に専門の病院に行ってもらうというのが普通の対応で、看護婦さんたちもそのように勧めた。しかし自分は、1週間前から痛みが続いていたというのが気になった。そこで、一刻も早く手術した方がよいと判断し、設備とスタッフがいて直ちに手術ができる専門病院に搬送してもらった。しばらく経って、その搬送先の病院長からこちらの病院長に対して、「直ちに搬送してきたのは、実に良い判断であった。あと6時間も遅れていたら、あの患者は命がなかったと思う」という感謝の手紙が送られてきた。

(研修医2年目) 大学病院で救急外来にいたところ、近くで交通事故に遭って大怪我をした患者が運ばれてきた。頭に怪我、片方の耳はちぎれ、下半身に大怪我を負っている。頭部の怪我を調べるためにCTスキャンを準備しているわずか20分程度の間に、一刻も早い方が良いと思って、とっさに判断し、そのちぎれた耳をくっつけるべく一生懸命に縫った。その後は、自分の科の担当ではないので、診察に行けずに気になっていた。しかし、一ヵ月後に機会を見つけてその患者を看にいくと、そのちぎれて縫ってあげた耳に、めがねをかけていたので、びっくりした。しかし、幸いにその後、その耳はちゃんとつながって、定着した。

(勤務医1年目) 夜間、事故で耳がちぎれた女性が運び込まれてきた。小さい耳だったが、何とかそれを縫って、元に戻すように努力した。一年後、たまたまその女性を電車の中で見かけたが、一度ちぎれたとは、まったくわからないほどきれいにつながっていたので、思わずうれしくなった。

(勤務医3年目) 夏休みに、リゾートの病院で勤務する機会があった。一週間の間に来た患者といえば、蜂に指されたひと8人、擦り傷切り傷のひと5人、ナイフや包丁で手を切ったひと3人というところだが、このほかに蛇に咬まれたひと2人が来た。そのうち一人は、自分を咬んだ蛇を生きたまま捕まえて、「先生、ホラ、この蛇ですよ」と言って事もあろうに診察室の娘の足元に放り出し、それがぴくぴく動いたときには、さすがに怖かったと言っていた。「で、何の蛇だった?」と聞くと、「あまりに怖くて蛇の種類までは、よくわからなかったけれど、自分で捕まえてくるくらい元気な患者だから、大丈夫だった。」とのこと。



 以上であるが、今後とも、世のため、人のために、大いに頑張っていただきたい。

 しかしそれにしても、研修医時代は本当に過酷な勤務だった。一週間のうちで、土日もなくほぼ毎日が午前様という状態であったし、それだけでなく徹夜するのも二日、しかもその徹夜明けには通常勤務という本当にひどい状態が続き、そうしてやっと2年間が終わった。ともかく、体はくれぐれも大切にしてね。 





(平成16年5月20日著)
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悠々人生・邯鄲の夢





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