This is my essay.








 人生においては「友人は選ぶべきである」ということをよくよく心掛けるべきであるが、それ以上に「病院は選ぶべきである」ということも、これまた鉄則であると考えている今日この頃である。つい最近では異常な看護士が、点滴液に筋弛緩剤を入れて多くの人たちを死に追いやったと報道されている。そのような特別に異常な事態の場合はいうまでもないが、そうでなくても、病院の力量に大きな格差がある反面、病院の善し悪しや能力についての情報を入手できないという状態に置かれている現在では、一個人としては口コミによる自衛手段をとらざるを得ないのである。

 私の家の近くには、とある有名私立医科大学の付属病院がある。24時間救急体制の整備が売り物で、現にある事件のころに銃で撃たれて担ぎ込まれた政府高官の命を救ってその名を上げた。救急外来では、いくつかのチームを作って対処しているという。私も、そういう病院が近くにあるのは非常に心強いと、かねてから思っていた。

 ある冬の時期、息子がスキーに出かけて滑っているときに、人とぶつかって手をしたたか打ち、そのために残りの日程をキャンセルして帰ってきた。手首を押さえると痛いらしい。手をそのままじっとしているとよいが、少しでもひねると痛いという。あいにく土曜日だったので、行きつけの病院には行かずに、その私立医大病院に向かった。

 待合室に着くと、大勢の患者がいる。子供さんやお年寄りが多い。私たちの近くには、顔を真っ赤にしてぐったりしている女の子や、苦しそうにしている男の子、咳を連発している赤ん坊などがいた。そうした中で、ピンピンしている私と、そして大きな体で一見何ともない息子が座っているのは何とも気まずい。心の中では早く診察してくれないかとつぶやきながら、暇なので、待合室や診察室の周りを見渡すと、どこもかしこも非常にきたない。壁などは黒ずみ、長椅子はいつ買ったのかもわからないほどである。どうも嫌な予感がした。

 小一時間ほど待ったであろうか。堅い長椅子のためにお尻が痛くなったてきた頃になってようやく名前がよばれ、簡単な医者の問診のあとでレントゲン室に入って手を撮影した。その結果を待って診察室に再び行き、医者が写真を眺めて言った。ニキビ面でインターンなりたてのような、若い若い医者である。

 医 者 うーん、別に何ともないようですね。月曜日にもう一度診察しますが、まあ、今日のところは軽く包帯でも巻いて、湿布をしておきましょう。
 息 子 でも、この写真のここのところは、線が入っているようですが・・・。
 医 者 ああ、これ。うん。成長期にはよくあるものですよ。
    成長期といっても、もう大学生ですよ。うっすらと線が三本見えるじゃないですか。
 医 者 (うるさそうに) いや、いや、大丈夫です。


 という問答があった後で、軽く包帯を巻いてもらい、金1万円也(会計ができないので、とりあえず1万円もらって、月曜日の正式の診察時に精算するという。)そういうわけで、その場は引き取ってきたが、その医者の態度がどうも気になって、月曜日に再び行っって、まっとうな医者に見てもらうことにした。

 さて、月曜日になり、再び長く待ってようやく息子の番がきた。今度は、中年の医者である。そのレントゲン写真を取り出して、隅から隅まで眺めてこういった。「ちょっと、ひねったくらいですね、まあ大丈夫ですよ」土曜日のような新米でなくて、経験ありそうな医者だからこれだけ断定的に言われたので、さすがに私もその場は、まあそうかと思って、何もいわずに引き下がってきた。

 ところが、その晩、息子は手をひねるとやはり痛いという。今度は家内が非常に気にしだして、別の病院に行くことにした。選んだのは、港区の虎ノ門病院である。やはり大勢の患者が待っているものの、診察室は比較的きれいで、こざっぱりしている。レントゲン室に行くと、両手の写真を撮るというのである。怪我をしていない方の写真も撮られるので不審な気がした。しかし診察室に入ったとたん、その疑問は氷解したのである。医者はその二枚の写真を見比べて「ああ、三ヶ所に薄くひびが入っていますね。これは固定しなければいけません。」と断定する。その医者は、親切にも「これを見てください」といって、両方の写真を指して「良い方のこちらのこの部分は真っ黒ですね。それに対して怪我をしている方には、ほら、うっすらと三本の筋が入っているでしょう。これが骨折箇所です」と説明したので、息子と家内はびっくりしてしまった。それで、その医者は「この筋の入り方では普通のように固定したら直っても具合がよくないので、やや変則的ですがちょっとひねった形で固定しましょう」と言って、あざやかな手つきで石膏入りの包帯を固めてくれたというのである。おかげで、息子の手は何の後遺症もなく完全に直り、ハードなテニスの試合をでも何でも、以前と同じようにやっている。

 家内は「この病院の医者は本当に頭が良い。確かに良い方の手と悪い方の手とを二つ比べれば、一目瞭然だわ」と言って、さかんに感心していたのである。私は、それにしてもあの私立医大病院の誤診は木から猿が落ちたようなものかと思って専門家にこの話をすると、「比較写真を撮るのはこの世界の常識」と言われた。それじゃ、あの病院はいったい何なのだという気がしたのである。

 その後、この話を近くの東大の先生にした。この人は法学部の先生なので、やはり病院には素人である。ところが、その人も「あの私立医大病院には金輪際行きたくない」と息巻くのである。というのは、私たちと似たようなエピソードがあったのである。あるときその先生は、体が毎日だるくて困ってしまった。そこで通勤途中のこの病院に行き、診察してもらい、採血された。翌日その結果を聞きに行くと、その病院の医者は「結果の数値は何でもありませんよ」という。それで納得して帰ったが、なお体がだるい。そこで翌週再びその病院に行き、また採血してその結果を聞きに行った、すると医者は「数値は別に普通ですよ」と言ってからその先生の顔を眺めて「ああっ、あなた、顔に黄疸が出ていますね」と言ったので、びっくりするやら、あきれるやらだったとのこと。もちろん、肝検査の数値は異常であった。医者は二人ともそれを見逃していたのである。

 平成13年1月の新聞記事によると、この私立医大病院で頭の手術をした女性が亡くなって、医療事故として遺族が問題にしている。遺族側はこの病院の医者が手術中に頭に誤って針金を突き刺したのが直接の死因だと主張している。これに対して病院側は事実無根とし、記者会見をして針金は脳には達していないと説明した。それからほどなくしてその時の手術に立ち会った医者の一人が手記を出した。それには「針金が脳に達したのは事実で、病院側から口止めされたけれども、私は良心に従って事実を告白する。絶対的存在の医局に反旗を翻すのは自殺するに等しいが、それでも亡くなった患者のことを思うと、事実を述べたい」という、誠に立派なことが書かれていた。業務上過失致死罪と証拠隠滅罪が成立するかもしれないようなあきれた事案であるが、それにしても、良心に従って行動するこの告白者の勇気には、心から拍手を送りたい心境である。

 昨日、この私立医大病院の前を通りかかったが、待合室は相変わらず患者でいっぱいであった。それなりの支持を受けているようなので、これを契機に抜本的に立て直してほしいものだ。





(平成13年 2月16日著)
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