法科大学院特別委員会(第18回)議事録・配付資料(平成19年11月29日)より

 司法制度改革の趣旨に則った法科大学院教育の在り方について(報告)案
    −法科大学院設立の理念の再確認のために−(抜粋)


 当報告は、先般の慶應義塾大学大学院法務研究科(法科大学院)における司法試験考査委員による不適切な課外指導に端を発する問題状況をふまえて文部科学省が実施した調査「法科大学院における新司法試験に関連した指導の状況について」に関連して、文部科学省から「司法制度改革の趣旨に則った法科大学院教育の在り方について」の検討の要請を受け、法科大学院特別委員会で4回にわたって議論した結果をとりまとめたものである。

 本来、司法試験考査委員としての行為の適・不適の問題や司法試験問題の漏洩防止方策は、司法試験の公正性の確保等の観点から、司法試験制度や司法試験考査委員制度及びその行動準則等の在り方として議論されるべきものであるが、司法制度改革により新たに整備された法曹養成制度の下においては,司法試験は法科大学院における教育を前提とし,原則としてその教育課程を修了した者のみに受験資格が認められているという一体的な関係にある以上,司法試験考査委員を務める個々の教員だけでなく,各法科大学院およびそこに所属する教員すべてが,その教育の過程や学生・修了生に対する指導などにおいて司法試験の公正性・公平性を妨げることのないよう万全の配慮をすべき責務を負うことは言うまでもない。のみならず、今回不適切として問題とされた行為の背景として、司法制度改革の一環として法曹養成のための中核的な役割を担うべき教育機関として創設された法科大学院において、司法試験の受験指導に主眼を置いた教育や司法試験の合格のための指導に過度に偏った教育が行われているのではないかとの指摘があることは、法科大学院制度創設の趣旨に照らして看過できないところである。

 新たな法曹養成制度は、旧来の司法試験という「点」のみによる選抜ではなく、法科大学院における理論と実務を架橋した法学専門教育、司法試験、司法修習を有機的に連携させた「プロセス」としての法曹養成制度を整備したものである。このプロセスの中にあって、法科大学院は、単なる「点」としての司法試験への対策としての教育に陥ることなく、将来の法曹としての実務に必要な学識及びその応用能力並びに法律に関する実務の基礎的素養を涵養するための理論的かつ実践的な教育を体系的に実施することにより、多様かつ広範な国民の要請に応えることのできる高度の専門知識、幅広い教養、国際的な素養、豊かな人間性及び職業倫理を備えた法曹を養成するという理念を実現する教育を実践しなければならない。

 そのような法曹養成のための中核的な教育機関として、法科大学院制度が平成15年度に創設され、もっぱら法学既修者を対象とした昨年度の第1の新司法試験に引き続き、初めて法学未修者も対象として実施された今年度の司法試験により、社会人や法学部以外の出身者から広く人材を受け入れ、多様な分野において活躍することの出来る法曹を養成するという制度が本格的にスタートしたこととなる。

 このような時期にあって、今回問題とされている不適切な行為の背景に、法科大学院制度の依って立つ基本理念を忘れて、司法試験合格者数という目先の数値を追う状況が仮に存在し、それが特定の法科大学院に限られるものとはいえない現象であるとすれば、法科大学院制度の根幹を揺るがしかねないものであり、法科大学院制度が創設された原点に立ち返り、法科大学院教育の在り方を考え直す必要がある。

 今回の検討を行なうにあたり、文部科学省においても、法科大学院教育の在り方の検討の参考に資すること等を目的として、法科大学院教員が実施する新司法試験に対応した指導について、実態調査を行なった。

 この中では、答案練習等を実施した教員は調査済教員4,227人のうち467人(54大学)、件数にして延べ711件とされている。もとよりこの件数の中には、単に司法試験受験指導を直接に念頭に置いた指導というよりは、法曹に必要な論述能力の向上を図るための指導として法科大学院における適切かつ必要な指導と評価されるべき教育・指導が多数含まれており、この数値をもって法科大学院において広く受験指導に偏した教育が行われていると即断することは適当ではない。しかしながら、その概括的な調査内容からも、プロセスとしての法曹養成の中核的教育機関である法科大学院として、将来の法曹として必要な豊かな学識及び能力を培いつつ、同時に、その確認をする中間点としての司法試験について、旧司法試験対策としてみられた受験技術偏重の教育を避けながら、他方、法科大学院の教育課程において十分な成果を収めた学生が司法試験にも確実に合格することができるという結果を実現するために、各法科大学院が苦悩し、試行錯誤している姿が窺われる。また同時に、一部においては、司法試験受験指導を過度に意識した教育となっているのではないかとの指摘を受けかねない事例も見られた。

 法科大学院において、理論と実務を架橋する教育が求められることや、新司法試験と法科大学院における教育内容との有機的連携の必要性に鑑みれば、例えば新司法試験の問題やそれに類する形式の事案が法科大学院教育において教材の一つとして使われることをもって直ちに、現在の法科大学院教育が本来あるべき法科大学院教育とはかけ離れた、受験指導に偏った指導であるということは適当ではない。

 しかしながら、法科大学院の教育は、将来の法曹としての必要な学識とその応用能力、法律実務の基礎的素養を涵養するための理論的・実践的な教育により、豊かな人間性や創造的な思考力、法的討論の能力等を広く養うため体系的に行うことが求められているものであり、仮にその教材として司法試験問題等が扱われる場合であっても、それはあくまでこうした目的達成のための手段の1つとして活用されるに留まるべきである。すなわち、本来涵養されるべきこうした幅広い能力の育成よりも、司法試験合格を過度に意識した、事例の解答の作成方法に傾斜した技術的教育が、法科大学院教育の理念に適うものとはいえないことは明らかである。

 法科大学院においては、従来、大学教育と司法修習とで分離していた、実定法に関する理論的指導と実務における法適用の在り方に関する指導の融合とともに、法理論教育と実務教育の導入部分(要件事実や事実認定)など理論と実務の架橋を意識した教育を行うこととされている。このため、一定の事案をもとに法的に意味のある事実関係を分析し、その法的分析・検討を行い、一定の法律文書を作成する能力を育成する教育は法科大学院本来の教育であり、法曹として実務に必要な文章能力の育成は当然に求められるものである。この能力の涵養のために、一定の課題等に基づき論述の機会を与え、効果的な添削指導等を行なうことは、通常の授業の中においても十分有り得るものである。(なお、このような論述訓練のうち、過去の新司法試験問題又は同形式の作成問題を素材に、一定時間内において答案を作成させ、添削・解説等を行なう訓練・指導がいわゆる「答案練習」と呼ばれているものであるが、この中には、上記のような目的のもと法科大学院教育に相応しい内容として実施されている場合も多いが、試験対策に傾斜した指導になっていると見られる可能性がある場合等も含まれていると考えられる。)

 このような論述指導を行なうに際して、その課題として、各教員が独自に作成した一定の事例問題のほか、過去の新司法試験問題を取り上げる場合がある。新司法試験の出題内容自体が長文の事案を読ませ、その事実関係を分析した上で、法的な分析・検討を行なわせるものであり、またこのような出題内容が法科大学院において行なわれるべき教育との有機的連携を図るものであることから、新司法試験の問題やこれに類似する事例問題を活用することをもって、直ちに、本来の法科大学院教育とかけ離れたものということは出来ない。しかし、論述訓練による添削・指導が、司法試験にどのように対応すればよいかという、受験技術に焦点を当てたものである場合、本来あるべき教育理念から離反しているものといわざるを得ない。

 また、授業において行われる論述訓練が当該授業内容との連続性・体系性を欠いた指導であったり、授業そのものの時間配分が過度に論述訓練に偏し、双方向・多方向型の授業を通じて創造的に考えさせる能力を育成することをおろそかにしている場合、本来の法科大学院教育としては不適当と考えざるを得ない。

 なお、論述能力を涵養する指導に関して、一定の法律文書を作成する能力の前提として、一般的な文章能力の育成が必要な場合があるが、このような指導に当たって教材として過去の司法試験問題等が適当であるか、また受験技術に焦点を当てた指導とならないような指導方法の在り方等について、各法科大学院において適切に検討することが必要である。

 また、法曹に必要な論述指導に関して、クリニック等において行なわれる実務指導等は、法曹が行なう法文書作成に必要な論述指導という観点から積極的に位置づけられるべきである。クリニック等においては、法律相談、事件内容の予備的聴き取り、事案整理、関係法律の調査、解決案の検討等とともに、準備書面等の法律文書起案も行なわれるものであり、このプロセスは単なる論述能力の育成に留まらず、内容分析とそれに対応した実践的な文章展開能力の育成という観点からも、より積極的に評価されるべきものである。