悠々人生のエッセイ








 日本人は、新しいもの好きとみえて、古い歴史的な価値ある存在をあまり大切にしない傾向がある。とりわけ価値観や社会情勢の大変動があったような時期には、それがはなはだしく極端に現れる。戦後の混乱から高度成長期にふたたび古いものを壊す傾向が強まったように思うが、昭和40年代後半頃からようやくその悪い傾向は一服し、明治村などが作られたり、最近ではとりわけ心ある建築関係者などの努力で、少なくも公的建築物だけは残そうという機運が高まってきつつある。たとえば東京は大手町あたりのビルでは、昔の建物の外観を残しながら新しくビルを立てたり、あるいは日比谷のダイビルは、元の建日比谷ダイビルの昔の建物にあった動物の彫刻物の周囲にあった特徴的な動物の顔を新築ビルの周囲に飾っている。日本橋近くの首都高速を通ると必ず目に入る日銀ビルの隣には、古びた日銀本店の建物が残されている。

 話は飛ぶが、上野にある下町風俗資料館も、下町の庶民の生活史を残そうという努力の現れである。鍋や釜、洗濯板にやかん、コテのようなアイロンなどは、昔はどこにでもあった生活道具であるが、そんなものは、今やどこの家庭を探しても見あたらない。そういうものが、さりげなく飾ってあり、私などは懐かしくて感激するのである。これに加えて、ブリキのおもちゃとか、氷を入れる冷蔵庫などがあると、昔の我が家を思い出して下町風俗資料館、胸がいっぱいになる。自分が歩んできた人生の足跡と重なってきてしまう。われわれは、そういうものを次々に打ち捨てて、歩んできたのである。実は、そういう何でもない生活用品や身の回りの物こそが、私たちを育ててきてくれたのではなかろうか。ところが、それに気がつかないままに時が流れて、今度はそういうものが、とても貴重なものとなる。身の回りにあって、ありふれていればこそ、その価値に気がつかないのである。

 浮世絵だって、昔は二束三文のチラシの類であった。その芸術的価値に気がついたのは、当時の流出先のヨーロッパの人々である。ゴッホやマネがそれに強い影響を受けたのは、つとに有名である。ゴッホなどは、浮世絵そっくりの絵まで描いているではないか。話は飛ぶが、文京区で私の住んでいる通りに掲げられている「文豪の町」という看板が何の違和感もないほど、漱石、鴎外、樋口一葉の使った井戸樋口一葉、林芙美子など明治から大正にかけての文士が、それこそ何百人ほど住まっていた。もちろん、その住まいの大半はなくなってしまっているが、それでも私が気に入っているのは、樋口一葉の旧居跡にある、ポンプ式の井戸である。長屋の端っこにひっそりと鎮座しているが、いかにも当時の一葉のうら寂しい生活が偲ばれるところである。そういえば、京都の街角には、「新撰組屯所の跡」、「池田屋の跡」などが無造作に掲げられていて、それを探すのも、京都の旅の楽しみのひとつである。こういうものこそ、無形の文化である。

 さて、舞台をアメリカに移したい。 ワシントンDCに住宅を買って住み始めた友人の話であるが、この人の家は、125年前に建てられたコロニアル風の住宅である。周囲が木々に囲まれ、あたかも森の中にいるような雰囲気の建物だそうだ。買ってからしばらくして、もともとボロボロだったトイレの配管がこわれてしまった。アメリカでは、修理を頼んでも実際に誰かが来てくれるのに数ヶ月もかかるというのがよくあるので、こういう場合は、誰もが自分で修理してしまうのが常識である。ところがこんなに古い建物なので、いったいどうしたものかと思いつつ、その人は一応、その配管にあった古い商品番号のDの何とかというものをメモして、日曜大工屋に出かけた。すると驚いたことに、それと全く同一の規格の商品が、いまも売られていたのである。その人は、規格というものの大切さと、こういう日常のつまらない部品まで、100年近くもなお作られて売られているという事実に感激したのである。

 私は、あるときアメリカ東海岸のボストンに行った。海べりを散歩していると、砂浜にちよっと顔を出している石があった。とりたてて、変わった石というわけではない。ところがその前にカウボーイ・ハットをかぶった粋なお兄さんが立っていて、その横には銅のプレートが麗々しく置かれている。いったい何だろうと近づいていってそれを読むと、「1620年、メイフラワー号で清教徒が到着したときに、この石にとも綱を巻き付けた」と書いてあった。そのお兄さんは、ボランティアでその石を守り、観光客に案内していたのである。

 アメリカという国は、たかだか200年強の歴史しかない若い国であるから、他の国に対してそれが唯一といってもいい「引け目」である。必ずしもそうであるからかどうかは知らないが、そのわずかな歴史を大事にしている。このボストンの海岸の石もそうであるし、ワシントンDCに行くと、ナショナル・アーカイブつまり国立公文書館があって、諸般の公文書類を大事に保存している。

 それに対してわが国は、歴史は有り余るほどあるのに、人々にはそういう古いものに対する執着心などは毛頭ないようである。明治維新時の廃仏毀釈では、伝統あるお寺の文物がいとも簡単に壊された。各地では個人所有の歴史的建造物が次々に解体されて、つまらないコンクリートの箱になっていく。生活は豊かとなってきたが、人々の心はかえって貧しくなってきているのではないだろうか。

 もっとも、過去の歴史が破壊されていくそうした中で、一服の清涼剤のような存在もある。たとえば、名古屋市に、トヨタ自動車の肝いりで産業博物館のようなものができている。その中には、トヨタの発祥となった各種の繊維機械や昔からの自動車が並んでいる。なかでも私が心底驚いたのは、布を筒状に連続的に織っていく織機である。普通の織機は縦糸に対して杼(shuttle)が横に往復しながら一枚の平面の布を織っていくものであるが、これは豊田佐吉の独創的なアイデアによって杼がぐるぐる回っていくので、布の筒を織ることができる。よくこんなものを思いつくものだと感心した。もちろん、現代では使われていない技術であるが、産業史に残る日本人の独創性を示す記念碑であると考える。世の中には、日本人は物まねがうまいが独創性はないという論調がまかり通っているが、決してそうではないのである。これも、こうした輝かしい歴史を保存していればこそ、具体的に証明できるものである。

 同じように、愛知県には、明治村がある。ご承知のように、明治期の代表的建築を集めた地区で、全体が大きな建築博物館のようなものである。旧帝国ホテルをはじめとして、各地の明治時代に立てられた学校の建物などから、かつては文京区のわが家の近くに建っていた夏目漱石の家(「我が輩は猫である」を執筆した家として有名)などがそのままの形で保存されている。古いものを尊び、新たな世紀を迎える活力とするのは、とても良いことではないか。

 ちなみに、我が家で最も古いものと自認しているのが家内であり、私は「古いものほど良いものだ」と毎日暗唱させられている。






(平成13年 5月30日著)
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