東京には、全国各地の都道府県が、それぞれの郷土の品を紹介しようとして、いわゆるアンテナ・ショップを設けている。私がよく行くのは、有楽町の交通会館の北海道、富山県、それにマリオン近くの鹿児島県である。それに最近では、虎ノ門にある山形県の「ゆとり都」に行くが、その山形県の場合は、別に産品を買いに行くのではない。その中にある『出羽香庵』というところに、ただ蕎麦を食べにいくのである。 この『出羽香庵』の蕎麦は、その辺の蕎麦屋の「小麦粉だらけの」そして「パサパサした」うまくない蕎麦とは違い、ほのかな味があってしっとりして、それにダシもなかなか重厚な感じがするのである。そして何よりも、これを週に2回ほど続けて3ヶ月ほど食べ続けていたら、体重が目に見えて減ったので、いまでも喜んで通っている。ただ、店としてどうかというと、狭いし、客あしらいにしても食券システムにしても、ぶっきらぼうでお粗末である。人から「あそこはうまい」という話を聞かなかったら、とってもこんなところには入らなかったと思われる店である。 この店で、「蕎麦八徳」なる書き物を見つけた。これは、その昔に作られた蕎麦屋の宣伝文とのこと。江戸時代か、それとも明治の時代かはよくわからないが、それにしても、本当にうまく書いたものだ。現代的にいえば、「コピーの天才」というところか。それを以下に紹介しよう。 もう少し、見やすく書き下すと、こういうことである。 非穀美於穀 こくにあらずして、こくよりうるわしく 五穀ではないが五穀よりおいしい 膳中備天地 ぜんちゅうにてんちをそなえ お膳の中に自然の全てが入っている 器少饗応厚 うつわすくなくしてきょうおうあつし 器は少ないがもてなしは厚い 雖食後能進 しょくごといえどもすすめてよし 食後でも蕎麦くらいは食べられるだろう 多食腹耗易 おおくたべてもはらこなれやすく 蕎麦はたくさん食べても消化がよい 和湯防寒気 わとうはかんきをふせぎ 蕎麦湯を飲めば寒気をふせぐ 毎日食無飽 まいちにしょくすれどもあきない まいにち蕎麦を食べても飽きることがない 実是仙家食 じつはこれせんけのしょくなり 仙人はかすみを食べて生きていたというが、これは蕎麦のことではないかという説 お昼には、以上の書き付けを手にとって見ながら、最後の蕎麦湯をすすっている。我ながら、年寄りくさくになってしまったものだ。 それはともかく、先日インターネットを散策していると、この虎ノ門のアンテナ・ショップの本家を見つけた。「庄司屋」というらしい。慶応年間にできた山形では一番の老舗と書いてある。そのホームページの宣伝文句をみて、これもなかなか上手に書いてあると思うので、以下に引用しておきたい。 「山形のそばは従来県内消費だけで、全国的には美味しいと言われて来ましたが一般的にはそばと言ったら信州そばと相場が決まっておりました。永年の間、一部のそば党の人達から、こんなに美味しいのに山形の皆さんは宣伝が下手だ等と言われて参りました。 近年情報化社会となり、山形そばを食う会や山形蕎麦研究会、山形そば街道、など等のそば屋さん達の営業姿勢、山形そばブランド化事業等の行政の梃入れがあり、東京に山形そばのアンテナショップ『出羽香庵』を開店(庄司屋東京支店)マスメデアを通して情報として全国に知れ渡り、一躍全国区になり、健康食ブームなどとも相まってそばブームが沸き起こり、全国からそばファンが山形へとそば食べにわざわざ来るようになりました。 当店は慶応年間、山形城三の丸吹張口の堀端にそば茶屋として創業いたしました山形では一番の老舗です。 先祖伝来の手打ちそばに徹して、その手法を現代に伝えておりますので腰の強さが特徴です。又、そば粉十割つなぎ一割の「といちそば」で色は少々黒いがその青味を帯びた香と甘味が喜ばれます。 さらに、汁の取り方も時代とともに若干の変化があるものの、創業以来の伝統を守り吟味いたしております。 今後とも皆様のお口に叶います様一層の精進と努力を重ねますので末長くお引き立て願いあげます。」 それにしても、わざわざ山形県まで、蕎麦を食べにいくなんて、どういう人なんだろう。もっとも、わが国には少数ながら狂信的な蕎麦教徒がいて、それなりに活躍されておられるようだから、十分にあり得ることかも。少なくとも、札幌や喜多方にラーメンを食べに行くというよりは、周りの理解が得られるかもしれない。 ちなみに、庄司屋の東京支店である出羽香庵は、山形県のアンテナ・ショップの閉店に伴って、平成20年10月、近くの新霞が関ビルの一階に移転した。 (平成16年6月 1日著) (お願い 著作権法の観点から無断での転載や引用はご遠慮ください。) |
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