南北朝の仏像 1 (東魏〜北斉) 6世紀
菩薩像
6世紀 |
この展示会は、国立博物館の中で、最近竣工した平成館で行われていた。まずは噴水のところにあるポスターを撮影する。それが冒頭に掲げた菩薩像で(左の写真)、6世紀の南北朝の寺の跡から1996年に発掘されたものとのこと。菩薩の切れ長の目のゆるやかなカーブの具合と、顔全体に広がるかすかなほほえみとが誠によく調和している。この龍興寺跡からは、このような仏像が400体も発掘されたという。
この中から展示されている仏像の衣のひだの表現は、水の流れるがごとくに写実的で、また体の形もしなやかで優美、女性的である(右の写真)。そういうものを見てから頭を上にあげると、その仏様には顔がないものが多くて誠に痛々しい。戦乱などによるものらしいが、これほど美しい体を持っていた仏様の顔を見てみたかった気がする。
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菩薩像
6世紀 |
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南北朝の仏像 2 (北斉) 6世紀
七如来像
6世紀 |
6世紀の北斉の二つの如来像も、なかなか現代的で美しい。こちらには、もちろんお顔が付いている。凛としたひきしまった表情をしている。左右の写真にはないが、金と赤の組み合わせ、それに流れるような衣のひだを持つ如来さんもおわして、ごく自然な姿でお立ちである。仏像には男女の別はないそうであるけれども、これらのモデルは女性かなと思うほどである。
また、同じ年代の如来七尊(左の写真)像というものがあったが、これは大理石製で、何と透かし彫りである。左右の脇侍のあいだに空間が抜けている。ちょうど富山県井波の欄間のようなものが、大理石でできているのである。ひとつひとつの造形にも奥行きがある。裏に回ってみると、そこにも如来らしき像があって拝めるのである。思わず、ため息を漏らした。
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如来像
6世紀 |
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青銅器時代 (商) 紀元前13〜11世紀
金面頭
前13-11世紀
人面銅器
前13-11世紀 |
私の中学高校時代は、中国といえば「殷周秦漢隋唐宋元明清中華人民共和国」というわけで、殷(商)以前の世界は文献には夏という王朝があるが、それは伝説上の幻の存在にすぎないということであった。しかし、最近ぞくぞくと発見されている遺跡の研究によれば、夏王朝も実在したということがわかった。
それどころか、紀元前13世紀より前11世紀頃にかけて頂点を迎えた青銅器時代には、今回の展示品にあるように、獣や人の顔をかたどった祭祀の器が作られていたようである。これらは、「重厚な」という評を通り越して何か「まがまがしい感じ」すらする。この時代には、「青銅器は神聖な器物で、荘重な造形と装飾が追求」されていたと解説にはある。ところで、金面頭は、見る人をして畏怖させるところがないだろうか(左上の写真)。人面銅器も、この写真はピンぼけなのでどことなくひょうきんな感じすら受けるが、実物はどうしてどうして、非常におそろしい顔である(左下の写真)。真ん中は中空となっており、表も裏も同じ顔を見せている。
(注) 平成12年11月10日付け朝日新聞によれば、中国は夏商周の年代を科学的な方法で確定するプロジェクトを発足させて研究した結果、これまで司馬遷の史記で紀元前841年までしか遡れなかった古代について、次のように確定したとの由。すなわち、夏は紀元前2070年〜1600年、商(殷)は紀元前1600年〜1046年、周は紀元前1046年〜。 |
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新石器時代 紀元前4000〜3500年頃
深 鉢
前4000-3500年 |
日本の弥生式土器のような明るい煉瓦色をしたお鉢があった。その表面には、右側には柄に皮を巻いた斧が描かれ、また左側には魚を口にぶらさげた鳥が描かれている。時代は突然さかのぼるが、これが紀元前4000年前から3500年前の新石器時代の作品である。仰韶文化という時代らしいが、その表現は細かく、しかも力がある。それこそ野性味あふれる深鉢であった。
ところで、この赤茶けた壺の色は、どこかで見たことがある。それに大胆な図柄も・・・・大英博物館などに、これでもかとばにかり大量に陳列してあるギリシャ・ローマ初期の庶民の壺にそっくりではないか。
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礼と楽の時代 (春秋戦国) 紀元前6世紀
編 鐘
前6世紀 |
紀元前13世紀より前3世紀にかけての西周と東周の時代には、礼(儀式)と楽(儀式のために演奏される音楽)が重んじられたという。時の為政者は、これらを用いて人心を掌握しようとしたらしい。以前にやはこの国博で開かれた中国の展示会では、曹侯乙の墓から出土した編鐘で音楽を鳴らしていた。その豊かな音域には驚いたが、今回もそれと同様に26個から成る編鐘があった。かつてたった一度だけ見たことがあるものにすぎないが、まるで旧知の人に出会ったようである。
個々の鐘の形を見ていくと、真ん中辺りに突起がぽつぽつと出ているところなどは、日本のお寺にある鐘とほとんど同じ形状をしている。家内が、「あれ、日本のお寺の鐘のルーツね」とつぶやいていたが、確かこの突起は音に余韻を残すうえで、非常に重要だと聞いたことがある。その頃からこの鐘の構造が確立していたとは、まるで思いもしなかった。
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漢の時代 1 (前漢) 紀元前2世紀
長信宮灯
前2世紀
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驚いたのは、前漢時代の紀元前2世紀に、長信宮という宮殿で用いられていたという灯である。青銅製の金メッキをほどこした侍女が掲げる灯りそのものが灯火で、その中で火をともすようになっている。その灯りは方向を変えられるので、思ったところを照らすことができる。しかも、その灯りから出た燃えすすは、再び侍女の体に還っていくという凝った作りである。日本はこの時代は弥生の頃で、田圃を耕していた時分であるから、ずいぶんな違いである。ただ、そうかといってその格差が現在まで続いているかというと、そうではないところが歴史の面白いところである。日本は、明治期に先人が苦労を重ねて今は逆に一定の格差を付けているが、この格差をいつまで保てるのであろうか。今の子どもたちを見ていると、心許ない気がするのは、私だけであろうか。いや、それとも年をとった証左なのかもしれない。
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漢の時代 2 (前漢) 紀元前2世紀
金縷玉衣
前2世紀
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長信宮灯と同じ時代の金縷玉衣は、中国人が今でも好きな「玉」の小さな片を、ひとつひとつ黄金の針金でつづり合せて遺体を包んでいた衣装である。これも1998年の秋に江戸東京博物館で大黄河文明展に出品されたものと同じようなもので、「やあ、またお会いしましたね」というところである。ただし、今回はもう一体あって、そちらの方は全身真っ赤な糸で覆われており、金糸の代わりに赤の糸を使っている。非常にあざやかである。いずれも、個々の玉片は、体の湾曲に対応して形を微妙に違えてあり、とても芸が細かい。
(注)「玉」には、腐敗を防ぐ力があると信じられていたらしい。
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唐の宮廷 (唐) 8世紀
唐美人
8世紀
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それから、唐美人を見てしまった。まあるいお餅を作ってその真ん中に目と鼻と口をちょっと付けたという感じの顔をしている。よくいえばふくよかであるが、あまり現代向きの顔とはいえない。むしろ、日本風にいうと、「おかめさん」といえばいいかもしれない。「かくして、美人といわれる顔はその時代時代で違うね」と家内の顔をのぞき込んでいったものだから、複雑な表情を返されてしまった。
なお、同じく唐時代の8世紀の六花形盤には金色で鳳凰のような鳥が描かれている。堂々とした鳥である。私なら、もうちょっとトサカの辺りに装飾を付けるのになどと勝手なことを考えた。
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六花形盤
8世紀
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秦の国家統一 (秦) 紀元前3世紀
兵馬俑将
前3世紀 |
最後の部屋は、いよいよ兵馬俑である。手前の二体は、いずれも弓兵らしい。左の方は片膝をつき、もう一方は立ったまま立射の姿勢をとっている。以前、NHKの番組で兵馬俑はいかに写実的であるかという例証として、その片膝をついた弓兵の足底の裏の滑り止めの模様まで描かれているとあった。まさにその弓兵である。それをのぞき込んだが、残念ながら暗くてよく見えなかった。その二体のうしろには馬が何頭かと、それに御者がいた。この像は当然のことながら両手を前に出していて、なかなか堂々としている。
さらに出口の近くには、将軍と前線の隊長らしき二体があった。その将軍さんのお姿には品位と威厳があり、ほとほと感心してしまった。顔の風貌があまりに立派で、身につけている服装もなかなかのものだったからである。家内が「まあ、この将軍さんは、うしろに映っている影も立派だわ」というので、どれどれとのぞいてみた。なるほど、隣にいる隊長さんの影よりもはるかに堂々としている。しかし、兵馬俑の影まで誉めたのは、われわれぐらいかもしれない。家内も面白いことをいう。 |
兵馬俑弓
前3世紀
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