江戸東京博物館
平成13年8月7日より 10月28日まで






 旧市街には、東西1300メートル、南北700メートルに広がる石畳で舗装された道路が縦横に入っている。その地下には鉛の水道管が埋め込まれて市内各所に上水を供給している。市の中心部にはコリント式の石柱で囲われた広い市民市場と公衆浴場があり、仕事を終えた市民が居酒屋に立ち寄ってちょいと一杯をやって、それから三々五々集まり、それぞれに語らいを楽しんでいる。20軒ほどのパン屋があり、焼きたてのパンを売ってくれる。それを買って家に帰ると、中庭のある部屋には美しいフレスコ画が描かれ、あちらこちらに彫刻が置かれている。窓にはガラスがはめられ、部屋の中にはフルートなどの楽器がある。金属やガラスの食器がある。また、ペットのカタツムリやヤマネを飼う飼育壺まである。休みになると、近郊の緑豊かな森林でイノシシ狩りを楽しむ人がいたり、また、市街が面している美しいナポリ湾で釣り糸を垂れることもあった。

 これが、いまから約2000年前の光景であると聞いても、なかなか信じられないところである。いやいや、それが本当のことで、これは古代ローマ帝国治下のイタリア中部の都市ポンペイの市民の姿なのである。現代のわれわれと、ほとんど変わらないではないか。いや、場合によっては、それ以上かもしれない。

 ところが悲しいことに、紀元79年の、とある運命の日、この都市の背景に位置するヴェスヴィオ火山が突然爆発し、その火砕流がこの都市を一瞬にして飲み込んで全滅させてしまった。数メートルの火山灰で覆われたために、この都市はそれ以上朽ち果てることなく、18世紀に発掘が行われるまで地中深く眠りにつき、2000年前のタイムカプセルとして、現代にその姿を表したのである。

 技術も進んでいた。あの高い石柱の上に、横に長い石を置いたりしているが、それを可能にしたのは、現代のクレーンのようなものである。何本かの長い木の柱を斜めに立て、それの横に大きな水車のような仕組みを作り、その中で人間が歩いてそれを回す。そうすると、その水車のようなものがロープを巻き取って、木の柱の上からぶら下げられた石材をつり上げる。十分な高さに上がったところで、その木の柱を石柱に向けて少し傾ければ、その石柱の上に渡すことができるのである。なるほどと、感心してしまった。また、車の後部に装着して、走った距離を図る器械もあった。車輪の回転と連動してカタカタと歯車を回して、その回った長さで測定するのである。それに、抜歯器具のような医療器具もあり、さらには市場に度量衡の測定のための大きさの異なる穴や、天秤式の秤まで見つかっている。携帯日時計というものもあった。また、化粧品や装身具も、なかなかのものである。住居の暖房の仕組みは、韓国のオンドルと似ている。よく暖まりそうだ。

 部屋の壁に描かれているフレスコ画は、実に写実的である。ポスターに使われた「パン屋の夫婦」という絵は、夫婦そろって目鼻立ちがくっきりとして、知的な雰囲気がただよう。筆を立てて強調しているように見えるのは、自分たちに十分な教養があることを主張しているのだろうか。そのほか、キューピッドの絵や、森のような題材もある。いずれも、現代の家に描かれるとしても、何の違和感もないほどの出来映えである。この2000年の間、人類はいったい、どれほどの進歩を遂げたのだろうかと、疑問に思うほどである。少なくとも市民生活の内容は、現代と古代ローマとで、さほどの差異はないのではなかろうか。

 実はこれ、江戸東京博物館で行われている「ポンペイ展」で目にした内容である。この展示会は非常に混んでいて、土曜日に一度行ってみたが、満員のために一時間ほど入場制限をしていたので、諦めて帰ったことがある。そこで、午後8時まで開いている金曜日の夕方に出直して、やっと入ることができた。デジカメの写真を撮りたかったが、どうも日本のこの種の展示会では撮影が許されておらず、この日もその例にもれなかった。仕方がないので、出口で絵はがきを多少買って不満のはけ口とした。欧米では、フラッシュを使いさえしなければ、写真撮影を許されることが普通であるのに、何たることだろう。

 ポンペイについては、小学生の頃から悲劇の町として図鑑で読んで知ってはいた。その図鑑には、噴火で埋没したローマ時代の町として紹介され、その火山灰や溶岩で埋もれてしまった人々の体が長い間に朽ち果て、空洞になっているところに石膏を流し込んでその型をとり、溶岩流に襲われたときの逃げまどう姿を表していると載っていたのである。むろん今回も、その石膏が樹脂に進歩していたものの、そうした亡くなる直前の悲しい像がいくつか展示されていた。しかし、今回は、建築、市民生活、絵画、音楽、技術などが、あたかも2000年の時を隔てたタイムカプセルのごとくに展示されていた。これにより、私の中に全く別のポンペイのイメージができあがってきたことは、実に大きな収穫だったのである。行ってみてよかった。

(平成13年 9月26日著)
(お願い 著作権法の観点から無断での転載や引用はご遠慮ください。)





パン屋の夫婦


 壁 画

治療場面


ガラスのレリーフ


黒曜石の杯