My Works

毛沢東秘録

 

毛沢東秘録
(上 下)
著者 産経新聞取材班
訳 産経新聞社

ISBN4-594-02726-1
ISBN4-594-02806-3

毛沢東秘録
 これは、北京で入手した250冊の著作物から、文化大革命を中心として、毛沢東のたどった軌跡を丹念に描いた書物である。そもそも、はしがきの最初からして、苛烈である。
 「『真剣に学習し、体をいたわるんだ』と毛沢東は劉少奇に言った。毛沢東は自ら発動した文化大革命で国家主席の劉少奇を最大の標的とみなして窮地に追い込んでおきながら、ある夜、突然、劉少奇を呼んで優しげに気遣いの言葉をかけた。しかし・・・劉少奇゛誰にも看取られず、非業の死を遂げるのはそれから二年十ヶ月のちである。」
 まったく、この現代で、何と三国志を地で行ってるというのが、私のたったひとつの感想である。
 その名のとおり、毛沢東と文化大革命にまつわる大記録である。すべて刊行資料から寄せ集めたものらしいが、いやはや、これは大変な歴史的記録といえる。刊行資料だけでよくぞここまで解明できたものだと思う。記載の順序が前後してわかりにくいが、それにしても、カンボディアのポルポト政権の事例を挙げるまでもなく、理念先行の独裁国家がいかに国民にとっていかに危険なものかを示す好例である。

 私など、あの文化大革命の時代には中学から高校にかけての頃であったが、中国人が上から下まであの人民服と工人帽とでもいうのか独特の帽子を被り、赤い小さな毛沢東語録なる本を一斉にうち振っていたのを覚えている。その横には、疲れて憮然とした表情の幹部を紅衛兵なる若者がしょっぴいて吊し上げいる姿を見て、子供ながらに、胡散臭いことをやっている連中だと思ったことをよく覚えている。

 そういう原始体験があるものだから、われわれの前年に終結した大学紛争とその前の高校での同様の騒ぎにも特段に影響されることなく、私は比較的冷静でいることができた。この怒濤のような時期に、やはり頼りになるのは、自分自身の感性である。だいたい、孝養の序とか、父祖を敬えなどという儒教発祥の国で、自分の親ですらつるし上げないと、我が身が危ないなどという信じがたい争乱が起きているのだから、どこかおかしいと考えるべきである。しかし、そういうことに限って、調子にのって同調しようという者が現れるのが、日本人の悲しいところである。私の高校でも、あの赤い毛沢東語録を掲げて喜んでいたヤツがいた。それから二年ほどして私が大学に入学し、ふと新聞を見ると、殺人犯を手配という記事があり、そのところに何やら見覚えがある顔がある。かなり人相が悪くなっていたが、その名を確認すると、やっぱりその人物だった。この人も、ある意味では毛沢東の犠牲者である。

 それはともかく、本題に戻ると、毛沢東は、自分の過ちを修正しようとした劉少奇をつぶし、最大の追従者であった林彪を追従が過ぎるというわけで死に追いやり、江青ら四人組をのさばらせ、まあ大変な独裁者であったことがよくわかる。それにしても、中国共産党内部で生き抜くというのは、並大抵のことではない。周恩来などは、本当によく命を全うできたものだと思う。現代の日本に生きる者にとっては全く何の参考にもならないほどの「凄まじい」の一言に尽きる記録である。日本史で、これに比肩する時代はいつかと考えてみたが、安土桃山時代の織田政権に近いと思う。やっぱり、中国は、たいへんな国である。

(平成13年 4月18日著)
(お願い 著作権法の観点から無断での転載や引用はご遠慮ください。)





トップ

趣 味