不思議な花



 とある日曜日、白山神社の近くを散歩していたところ、民家の庭先で見つけた見慣れない花である。細長い白い花弁のような輪だけでなく、もっと細い花弁らしきものがわらわらと放射状に出ているし、その真ん中から青や黄や草色の花の雄しべや雌しべのようなものが三段に出ている。いったい、これは何という花か、誠に不思議な形をしている。

  すると、郷里の先輩の中川様から早速ご教示を賜った。その名は見た目どおりに「とけい草」というとのこと。調べたところ、学名は「Passiflara alata」、トケイソウ科で原産地はブラジル、和名はクダモノトケイソウ、英名は、Passion flowerという。

(2004. 6.13)30


桜の中の入学式



 春うらら、今年の東京では、ちょうど入学・入社式の日のあたりに、桜が満開となった。この4月から、学校や会社に新しく入学や入社された方々にとっては、桜吹雪の中の思い出深い式となったものと思われる。我が家でもひとり、大学院の入学式を迎えた者がいて、ご覧のような桜満開の中を、元気に手を振りながら、赤レンガの校舎に入っていった。この子の行く先に幸(さち)多かれと、願うばかりである。

 すると、郷里の先輩の中川様から早速ご教示を賜った。その名は見た目どおりに「とけい草」というとのこと。調べたところ、学名は「Passiflara alata」、トケイソウ科で原産地はブラジル、和名はクダモノトケイソウ、英名は、Passion flowerとのこと。

(2004. 4. 7)29

芝増上寺の桜の境内


 東京タワーの上から、あちこちを展望していて、ふと真下をみたところ、増上寺の境内が、桜で覆われているのが目に入った。桜の帯が回廊のようになって、お寺全体を取り巻いている。いやまあ、「すごい」の一言しかいいようがない。何というか、桃山風の、誠に豪華絢爛たる眺めである。弔われている徳川家の面々も、さぞかし心休らかに永眠されているに違いない。

(2004. 4. 3)28


東京の地下鉄が変身


 東京に住んでいて、4月1日に「あれっ」と思うことは、別にエープリル・フールのせいだけではない。今年の4月1日には、営団地下鉄が華麗なる変身(?)をとげて、東京地下鉄株式会社(メトロ)になってしまった。ご覧のとおり、地下鉄のロゴも「M」の字を象ったものとなったし、何よりも職員の制服が元に戻ったというか、普通の鉄道会社らしくなった。それがこのように紺色なので、何だか警察官のような気がするのは、私だけではないだろう。とりわけ現在は、イラクでの自衛隊の活動でテロに対する警戒が強まり、ただでさえ駅にいる警察官の数が急に増えたが、それにも増して警察官が増えたような気がするのは、この地下鉄職員の制服のせいではないだろうか。

 実は、私はこの東京地下鉄株式会社法案にいささか寄与したこともあって、社長さんにもお目にかかったが、総じてこの新しい制服は、職員の皆さんに大歓迎されているとのこと。そういえば、地下鉄サリン事件とか、中目黒での死傷事故とか、前の制服時代には、いささか暗い思い出が多いような気もしないではない。気分一新という意味で、いいことではないだろうか。これからも、無事故を願っている。

(2004. 4. 1)
27


天気晴朗なれども波高し

 独立行政法人国立公文書館アジア歴史資料センターのホームページを閲覧したところ、ちょうど「公文書に見る日露戦争」という特別展を開催していて、当時の写真や資料を展示してあった。今年は、1904年2月に開戦し、1年半続いた日露戦争から数えて100周年を迎えたとのこと。植民地主義の歴史の中で、この戦争が転機となり、近代の日本の基礎になったといえる。多くの人命が失われたものの、その意味では大いに評価されるべき歴史の1ページであろう。ところでこれは、その日露戦争時の電文である。

(左)
日本海々戦の初め、敵を発見したる後、午後一時五十五分視界海内にある我々全艦隊に対し皇国の興廃この一戦にあり。各員一層奮励努力せよの信号を掲揚せり。

(右)敵艦隊見ゆとの警報に接し、聯合艦隊は直ちに出動、之を撃沈せんとす。本日天気晴朗なれども波高し

(2004. 2.22)26




東京国際女子マラソン


 11月16日午後0時10分に国立競技場スタート地点として、第25回東京国際女子マラソンが行われた。来年のアテネ五輪の代表選考会を兼ねた大会ということで、日本のエース、Qちゃんこと高橋尚子が優勝するものと期待されたが、残念ながら2位となってしまった。この写真は、大手町付近で撮ったもので、Qちゃんの横にいるのが優勝したエルフィネッシュ・アレム(エチオピア)である。彼女が2時間24分47秒で、Qちゃんが2時間27分21秒だった。Qちゃんは終始独走気味でレースを引っ張ったものの、気温24度という暑さにやられたのか最後に失速し、39キロ地点でアレムに抜かれて2位でゴールした。

(注) その後の後日談だが、翌年3月に行われたアテネ・オリンピックの代表選考会で、残念なことに、高橋尚子選手は代表選手から漏れてしまった。この選考会での成績が祟ったらしい。

(2003.11.16)25



神田祭り

 また二年ぶりに、神田祭が行われた。5月11日の午後は、100基もの氏子お御輿のお宮入りがあった。中でも太田市場の数百人のお御輿は、実に圧巻であった。

(2003. 5 15)24


満開の八重桜


 4月19日の桜を観る会で、新宿御苑に行ったところ、八重桜が満開だった。たまたま気温も高い日で風も強く、それがヒューッと吹いてきたら、あたり一面に桜吹雪で真っ白になった。

(2003.4.19)23



小石川後楽園



 冬といっても、東京の2月ともなれば、ぽかぽか陽気の日もある。そういうときは、もう春そのものといった風情があり、そうした春の香りにさそわれて、近くの小石川後楽園に出かけた。入り口正面のしだれ桜は、まだ一向に開花する気配もないが、梅の花が咲き始めている。三分咲といったところだが、風向きによって園内に梅の香りがただよう。たまたま土曜日だったから、ちょうど湯島天神のように、ここでも梅まつりを開催していて、奥にある茅葺の家の前で、尺八と琴の競演をやっていた。二人ともまだ若いのに、なかなか上手だ。

 宮城道雄の「春の海」からはじまって、やや現代風にアレンジした曲まで、小一時間ほどの演奏だったが、ときおり、カラスがカアカアと鳴いたり、よちよち歩きの子供が走り回ったりで、のどかな午後の一日であった。

                   
(2003. 2.15)22


ノーベル賞学者


 近くの東大も、最近は大忙しである。昨日は、天皇陛下が前立腺ガンの手術で入院されるし、また小柴昌俊名誉教授のノーベル賞受賞記念講演もあった。私の家内が、それに行って、小柴教授のご尊顔を拝したとのこと。それにしても、銀河系以外からの超新星の爆発によって放出されたニュートリノを人類として初めて観測できたなんて、幸運にも恵まれなくては得られない成果だ。しかし、そんな観測装置を、あんな神岡鉱山跡のような山奥に作ろうなんて、相当な大法螺吹きか山師のように思われたろう。その意味では、本当にいいことだ。


(2003. 1.17)21


苺 の 鉢



 この苺の鉢、家内が買ってきたものだけど、部屋中にとてもいい香りを振りまいて、そこに居る人を幸せな気にさせる。一日置きに水を絶やさないであげ続けていると、花が次々に咲き、それがどんどん実になり、しかも全部おいしく食べられるなんて、一石数鳥の楽しみである。それにしても、こんなに手軽に苺を育てられて、いいものだろうか。

 かなり昔のことになるが、年末のあるとき、静岡県内を車で通っていた。すると、道端で苺の苗が入ったプランターが売られていたので、思わずそれを買ってしまった。そして、家に持ち帰って、室内に置いてその面倒を見たのである。早く、実が食べられないかと、家族みんなで、心待ちにした。ところが、年が変わって春先になっても、葉が大きくなって青々と茂るだけで、実など全く成る様子もない。そのまま、五月までいって、やっぱり何もなかったのである。家族一同、がっかりしたものの、原因もわからずに、そのままになってしまった。

 その後、ある人に聞いてわかったことは、そのプランターを暖かい室内に置いていたことが悪かったようだ。人間と同じで、あまりいい生活をしすぎると、子孫を残すなどという面倒な仕事をしてくれないらしい。


(2002.12.17)
20


紅葉の季節(東大構内と後楽園)

東大構内の銀杏並木
東大構内の銀杏並木

紅葉の映える後楽園の池
紅葉の映える後楽園の池

紅葉の映える後楽園の池


 秋も深まり、紅葉や黄葉でも見に行こうと、近くに散歩に出た。夫婦二人でそれぞれデジカメを持ち、至るところでカチャカチャとシャッターを切っている様子は、他人から見ると、いささか滑稽かもしれない。しかし本人たちは、「ああ、これはうまく撮れた」とか、ちょっと手がぶれてしまったとか、猫や鳥を撮ろうとしたら、プイっと横を向かれて逃げられたとか、それはそれで結構、楽しんでいるし、また真剣そのものなのである。

 最初の立ち寄り先は、本郷の東大構内。正門から安田講堂に続いている道の、その左右に続く銀杏並木である。その前に立つと、まるで大きなトンネルの中にいるようである。ふさふさと茂った銀杏の目の覚めるほどの黄色の葉っぱの大群が両端から出てきて、まさに天を覆っている。その下の方には遠くに続くトンネルの出口が見えて、それが安田講堂の入り口のアーチとうまく繋がっている。これは壮観な銀杏並木である。それを二人で写真に撮り、満足して次の場所に歩いて行った。

 それから約20分ほど歩くと、後楽園に出る。ここは、いわずと知れた水戸藩の上屋敷跡。水戸光圀が朱舜水の教えを請いながら作り上げた名園で、全国各地の風景が作られ、ある意味では大きな盆栽のようなものである。入り口すぐには、春先に有名な「しだれ桜」があるが、この季節は、葉も落ちてしまって、痛々しい気すら感じる。ところが、そのまま園内を進んでいくと、紅葉が実に美しい。それが池の水に映えて、絶景を作り出している。池の鯉用にと、麩を売っていたので、それを買った。さあ、それを鯉にあげようと水面にばらまくと、あれあれ、鯉の代わりに鴨がやってきて、ほとんど攫っていってしまった。


(2002.11.20)19


東京ディズニー・ランド


シンデレラ城 ・ 暑い日だった


むかし、ロサンゼルスで、このカヌーを漕がされて、
手に豆ができたことを覚えている。まだ、やってる。



マーク・トゥェイン号。最上階は、意外と眺めがよろしい。


夜のパレード。まあ、昔の花電車ですね。といっても、
これを思い浮かべる人は、かなりの歳の方ですが・・・。



これは、シンデレラのかぼちゃの馬車です。家内の撮影。


 久しぶりにディズニーに行ったと思ったら、そちらはディズニー・シーだったから、今度は本物のディズニー・ランドに行こうといわれて、まさか一週間後に同じところに行くとは思いもしなかった。まあ、それはともかく、大人のムードの「シー」に比べて、やっぱりこちらの「ランド」は、遊園地でした。しかし、それなりに楽しんで、閉園まで、長居をしてしまった。

(2002. 8.18)18


東京ディズニー・シー


ホテル・ミラコスタより、プロメテウス山を眺める


対岸のアーチの左上が、朝食をとったベッラビスタ


Porto Paradiso Water Carnival


ホテル・ミラコスタ内の帆船

 記事参照


東京都観光菊花大会



 11月も半ばとなってしまった。天気もことのほかよくて、青空がまぶしいほどである。お昼になって、オフィスの近くをぶらりぶらりと散歩した。落葉の木々が色づき始めて、なかなかきれいだ。午後1時を少し過ぎたばかりというのに、もう太陽は相当に傾いてきているとみえて、建物の影が長くなっている。日比谷公園では、東京都観光菊花展なるものをやっていて、白、黄色、薄紫の大きな菊がいっぱい並んでいた。その横には、モンペをはいたおばさんとか、農家風のおじさんがいて、育ての親のようだ。はあ、こんな方々が育てているのか、と思いながら通り過ぎようとしたら、呼び止められ、長々と育てるコツを聞いた。いやいや、たいへんなご苦労のようで、手をかければかけるほど、菊はそれに応えてくれる、とのこと。何しろ、そこに並んでいたのはいずれも、こんもりした形の菊で、花の部分は人間の頭より大きいし、背丈も中学生以上である。それに加えて会場には、菊の盆栽もたくさんあって、なかなか立派なものだった。


(2001.11.23)


浅草サンバ・カーニバル



 8月25日、近くの浅草で、またサンバ・カーニバルがあるというので、二年ぶりにそれを見に出かけた。近くのバス停から10分くらいで浅草寺に着く。境内にはいろいろなチームが待機していて、中には練習で音楽に合わせて踊っている皆さんもいる。あまりも人の数が多いので、ちょっとだけ見て帰ろうと思っていると、大音響のリズムに乗って、始まった。まったく、日本離れしている光景である。この写真などは、まだ学芸会との続きといってもおかしくないが、ブラジルの本場リオから連れてきたという踊り子は、はち切れんばかりの肉体をブリブリとゆすって、サンバのリズムに合わせて踊っている。家内いわく「松竹歌劇団が通りに出たというところね」。背景の歩道に立っている「うなぎ」、「もんじゃ焼き」という幟と、どうにも合わないのである。ま、これが浅草というものか。

 (2001. 8.31)17



紫陽花まつり



 私は、東京のこの下町近辺に引っ越してくるまで、紫陽花というのは、これほど美しいものとは思っていなかった。子供のころに自宅近くに咲いていた紫陽花は、薄ぼんやりとして日陰を好む、いかにも冴えない花だったからである。ところが、この下町の紫陽花の多彩でくっきりとした花の色を見ていただきたい。まるで引き込まれるような、青やピンクである。
 → 紫陽花の写真

(2001. 6. 9)14


パ プ リ カ



桔梗門と二重橋



 上の写真は、皇居の桔梗門の近くの櫓である。松を手前に配したアングルで撮ると、まるで時代劇の中に出てくるお城である。もっとも、最近はコンピューター・グラフィックで簡単に合成してしまうのかもしれない。

 下の写真は、有名な二重橋である。私は中学校の修学旅行の時、これに初めてお目に掛かった。当時たまたま私は、社会の教科書の副読本か何かで、この橋の写真を見たばかりであった。それは、終戦の日の報道写真で、この橋に向かって大勢の人たちが跪き、嘆き悲しんでいたものである。その印象があまりにも強すぎ、何か見てはいけないものを見てしまったような気がした。そういうこともあってか、私は上京して以来、この橋を再びじっくりと見たことはなかったのである。ともあれ、そういう先入観を振り払って改めてこの橋を見れば、ちょうど手前の若芽が芽吹いてきた柳の木と調和して、なかなか美しい橋ではないか。ああっ、はとバスのご一行様がやってきた。さて、早く撮ってしまおう。

(2001. 3.29)12





東京の写真散歩を始めるに当たって

 東京は、1200万人の人口を抱える世界でも有数の大都市であるだけでなく、日本の政治経済の中核たる存在であることはいうまでもない。しかしその実像はさまざまである。たとえば一方では世界でも珍しいほどのコスモポリタンの姿を見せているかと思うと、その他方では江戸開府以来の古い伝統をいくらでも垣間見ることができる。加えて、東京という都市の大きな特徴は、無秩序ともいえる変化の激しさとそのダイナミックさである。昨日まであった建物が、もう翌日には忽然と消えてなくなっているという例には事欠かないし、休日ともなれば、あちらこちらで思いも寄らない催しが行われている。ともかく、エネルギーに満ちあふれている都市なのである。

 私は、青年時代にたまたま上京して以来、わずか数年ほど外国暮らしをしたほかは、好んでこの大都会に住み続けている。良きにつけ悪しきにつけこのメガポリスは、私が家族と一緒に住み、ともに成長し、しばしば明け方まで働き詰めに働いた、甘く、ほろ苦く、又なつかしの故郷となったのである。私がその故郷の四季折々の姿をカメラに収めて、記録しておきたいと思ったのは、ごく自然の成り行きである。

(注) 第一部で書いたものを再掲した。
(お願い 著作権法の観点から無断での転載や引用はご遠慮ください。)


第一部へは、こちら → 





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