東京の風景




浅草サンバ・カーニバル



 8月25日、近くの浅草で、またサンバ・カーニバルがあるというので、二年ぶりにそれを見に出かけた。近くのバス停から10分くらいで浅草寺に着く。境内にはいろいろなチームが待機していて、中には練習で音楽に合わせて踊っている皆さんもいる。あまりも人の数が多いので、ちょっとだけ見て帰ろうと思っていると、大音響のリズムに乗って、始まった。まったく、日本離れしている光景である。この写真などは、まだ学芸会との続きといってもおかしくないが、ブラジルの本場リオから連れてきたという踊り子は、はち切れんばかりの肉体をブリブリとゆすって、サンバのリズムに合わせて踊っている。家内いわく「松竹歌劇団が通りに出たというところね」。背景の歩道に立っている「うなぎ」、「もんじゃ焼き」という幟と、どうにも合わないのである。ま、これが浅草というものか。

 (2001. 8.31)17



紫陽花まつり



 私は、東京のこの下町近辺に引っ越してくるまで、紫陽花というのは、これほど美しいものとは思っていなかった。子供のころに自宅近くに咲いていた紫陽花は、薄ぼんやりとして日陰を好む、いかにも冴えない花だったからである。ところが、この下町の紫陽花の多彩でくっきりとした花の色を見ていただきたい。まるで引き込まれるような、青やピンクである。
 → 紫陽花の写真

(2001. 6. 9)14


パ プ リ カ



桔梗門と二重橋



 上の写真は、皇居の桔梗門の近くの櫓である。松を手前に配したアングルで撮ると、まるで時代劇の中に出てくるお城である。もっとも、最近はコンピューター・グラフィックで簡単に合成してしまうのかもしれない。

 下の写真は、有名な二重橋である。私は中学校の修学旅行の時、これに初めてお目に掛かった。当時たまたま私は、社会の教科書の副読本か何かで、この橋の写真を見たばかりであった。それは、終戦の日の報道写真で、この橋に向かって大勢の人たちが跪き、嘆き悲しんでいたものである。その印象があまりにも強すぎ、何か見てはいけないものを見てしまったような気がした。そういうこともあってか、私は上京して以来、この橋を再びじっくりと見たことはなかったのである。ともあれ、そういう先入観を振り払って改めてこの橋を見れば、ちょうど手前の若芽が芽吹いてきた柳の木と調和して、なかなか美しい橋ではないか。ああっ、はとバスのご一行様がやってきた。さて、早く撮ってしまおう。

(2001. 3.29)12





東京の写真散歩を始めるに当たって

 東京は、1200万人の人口を抱える世界でも有数の大都市であるだけでなく、日本の政治経済の中核たる存在であることはいうまでもない。しかしその実像はさまざまである。たとえば一方では世界でも珍しいほどのコスモポリタンの姿を見せているかと思うと、その他方では江戸開府以来の古い伝統をいくらでも垣間見ることができる。加えて、東京という都市の大きな特徴は、無秩序ともいえる変化の激しさとそのダイナミックさである。昨日まであった建物が、もう翌日には忽然と消えてなくなっているという例には事欠かないし、休日ともなれば、あちらこちらで思いも寄らない催しが行われている。ともかく、エネルギーに満ちあふれている都市なのである。

 私は、青年時代にたまたま上京して以来、わずか数年ほど外国暮らしをしたほかは、好んでこの大都会に住み続けている。良きにつけ悪しきにつけこのメガポリスは、私が家族と一緒に住み、ともに成長し、しばしば明け方まで働き詰めに働いた、甘く、ほろ苦く、又なつかしの故郷となったのである。私がその故郷の四季折々の姿をカメラに収めて、記録しておきたいと思ったのは、ごく自然の成り行きである。

(注) 第一部で書いたものを再掲した。
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