Please enjoy my tennis essay.



 私がはじめてテニスをやりはじめたのは、いまから8年前のことである。それまでの私はゴルフが好きで、月に平均二回ほどはグリーンに出て楽しんでいた。ところが、これも朝が早くて、場所も遠くて、しかも値段が高いという欠点がある。とりわけ歳をとってくるにつれて、朝は午前5時に起きてゴルフ場に出かけるのがだんだん嫌になってきたのである。さりとて、体を動かさないと、次第になまってくる。何とかならないかと思っていた矢先に、家内が今度の土曜日にテニスをやらないかとさそってくれた。

 最初は、少しためらいがあった。だいたい私は、小学校時代から運動というものが苦手で、何をやっても中位の順位なのであった。昔の学校での運動会のかけっこは、今の学校のように同じくらいの早さの者を同じグループで走らせるという馬鹿なことはしないで、完全に無差別で走らせたから、私は全体での自分の位置がよくわかっていた。毎年、いくら一生懸命に走っても、全くの真ん中の成績なのである。高校でマラソン(といっても、16キロ)をやったが、私はそれこそ必死に走ったものの、ゴールしてみるとやっぱり、参加した集団のちょうど真ん中の成績だったのである。こういう陸上系はまだいい方で、球技はというと、これがまた無様なほどに不器用なのである。背の高さを生かせるバレーやバスケならともかく、特にラケットを使って球を打ち合う競技などは、からっきしダメであった。

 そういう学校時代の運動競技の原体験があるものだから、歳をとってテニスをするというのは、どうにもこうにも最初から気が進まなかった。それでも社会に出て数回やってみたけれども、やっぱりこれは向いていないと悟って、それ以降20年近くずっとやっていなかった。一方、家内は根っからのスポーツウーマンで、学校時代は短距離の陸上選手をやっていたような人だから、体を動かす競技は何でもOKである。とりわけそれまでの数年間は、ご近所の気の置けない奥様方とお互いに誘い、誘われて、近くのコートで熱心にテニスをやっていた。私も少し、そのプレーの様子を眺めたことがあるが、それがとても上手なのである。たとえば、普通のプレーヤーであれば、バックのハイ・ボレーなどは、なかなか力を入れた球を打てないものであるが、家内がやるとそれがおもしろいように決まるのである。負けず嫌いの私としては、それもあって、なかなかお誘いには乗らなかった。

 ところがその日は、各奥様方がそれぞれの旦那様を呼んできて親善試合をしようという手はずであった。私としても気が進まなかったものの、お付き合い上、どうしても出ざるを得ない羽目に陥ったのである。そこでしぶしぶ白いトレーナーに着替え、家内にせき立てられて、テニス・コートに向かったのである。しかしこれが、私のテニス・キャリアの幕開けになったのであるから、人生というものは、全くわからないものである。

 コートに着いてみると、その奥様グループの面々がもう集まっていた。男性は、私を含めて三人である。私のほかのひとりは、大学の体育の教官、もうひとりは、建築会社に勤めている建築士である。形ばかりの練習をしたあとで、早速、テニスの試合が始まった。ところが、男性陣は、奥様方の華麗なテニスにきりきり舞いさせられたのである。男は力だとばかりに思い切り球を打つと、ホームランとなって隣のさらにまた隣のコートまで飛んでいってしまう。そこで、力を入れずにそっと打つと、今度は奥様にバシーンと、まるで蠅叩きのように打たれる。球がコートの左に来たのでペアの男同士そちらの方に寄っていくと、奥様方は誰もいなくなったコートの右の隅に球をチョンと決められる。もう、さんざんであった。

 そこで、われわれ男三人は、「このままでは面白くない。近いうちに絶対敵討ちをするぞ」と固く誓ったのである。それから、毎土曜日をテニスの日に決めて、ともかく三人そろって一生懸命に腕を磨いたのである。しかし、そう簡単にうまくなるものではない。どうやらこうやら奥様方の高い水準に追いつくまでに、かれこれ三年はかかったであろうか。「石の上にも三年」とは、よく言ったものである。問題は、こちらがある程度うまくなっても、先方もそれだけ上手になっていることである。それも道理で、奥様方は週二回も三回もやっているのである。なかなか、敵討ちどころではなかった。しかし、この男三人とも、そろって負けず嫌いで、ただでさえ家では奥様第一で過ごしているので、こういう遊びの場では負ける訳にはいかない。その一徹で、ともかくがんばったのである。

 三人は、それぞれ個性的なプレーヤーである。大学教官は、稲妻サーブが特徴である。ともかく、目にも止まらぬ早さのサーブで驚かせる。ただし、入るのは20回に一度である。建築家は、バレー打ちサーブである。元バレーボールの選手だったらしくて、手の平で打つようなやり方であり、相手コートにすべるようにして入ってくる。私のサーブは羽子板並みでどうにもうまくないが、その代わりストロークでは下から上へとこすりあげるような打ち方をするので、スピンが利きすぎているから相手は打ちにくいという。三年ほどたったところで、改めてこういう個性があるなと自覚し、それぞれてんでに直そうとも思ったが、そう簡単に直るような代物ではなかった。

 奥様方の一人に、とてものんびりした方がいる。たまたまサーブするためにトスを上げたら、あまりに空の色が美しいものだから、思わずそれに見とれてしまってサーブをするのを忘れたというエピソードの持ち主である。お歳はその頃で50代の後半であった。テニスはまだ初心者で、われわれと大差なかったが、週三回もやっているうちに、めきめき上手になったのにはびっくりした。あまり体を動かさないが、どんな球が来ても器用にボレーで球を返すことができるようになった。その返しのボールがどこへ飛んでくるかわからないので、相手方はとても対応しづらい。本人は、たまたまラケットの当たりが悪いだけだというが、これも技の内である。

 かくして、私は家内以上にテニスのとりこになり、ゴルフをだんだんしなくなった。確かにテニスは、近くて、早くて、安いのである。ただ、そろそろ私は、またゴルフを再開しようと思っている。テニスは、60歳代を超すと体力的につらくなるであろうが、ゴルフは、80歳代でもまだまだ楽しめそうだから、再びグリーンへと気をそそられるのである。

(平成13年 1月 7日著)
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(出典) ラケットとボール (Miho's House様)