南アフリカは、日本から遠い。何しろ地球の反対側である。私は、たまたま訪れていたアルゼンチンからそのまま、このアフリカ大陸の南端の地に渡ったので、そのときは遠さをあまり感じなかった。しかし、南アフリカから日本に帰るのには、まずシンガポール行きの直行便を利用して16時間あまり、そこから飛行機を乗り継いでさらに7時間ほどで、やっと日本に到着した。 しかし、日本と南アフリカとの距離は、単に時間がかかるだけでなく、社会的な意味でも、ますます離れていっているというのが、私の受けた素直な感想である。ご存知のとおり、かつての南アフリカは、人種差別政策(アパルトヘイト)をとる悪名高い国として世界的に知られていた。国連の制裁決議に基づき、各国から政治上や貿易上の制限を受けていたのであるが、そうした長い混乱と関係者の努力の末に、1994年になってようやくこの政策が廃止された。そしてネルソン・マンデラが、新しい南アフリカの初代大統領に選ばれ、民主主義の国として再生の第一歩を踏み出したのである。しかし、革命直後の混乱は続き、このまだ若いひ弱な国を苦しめた。1998年に私がヨハネスブルグを訪れたときは、まだこうした社会的混乱が続いている時で、確かにアパルトヘイトはなくなったものの、これで社会的統制を失った多くの貧しい人々が、日々の糧を得るために大都市の中心に向かって大勢が移住してきて、住み着き始めた頃であった。このため、都市中心部の治安の悪化は目を覆わんばかりの有様となり、殺人、強盗、強姦、住居の不法占拠などの犯罪が横行していた。 当時の状況がそこまで悪化しているとは知らなかった私は、ヨハネスブルグに着いた直後、どこの国に行ってもやっているように、ダウンタウンのエリアを散歩して街を見物しようとした。そうしたところ、出迎えの人からあわてて止められた。ダウンタウンの高層ビル群を指さして彼が言うには、「こんなところで散歩などしたら、100メートル行かないうちに、少なくとも2回は、拳銃強盗に遭いますよ、そんなこと、やめてください」。確かに、ヨハネスブルグの中心街を自動車で通っているときに、道行く人たちを観察していると、たくさんの通行人が歩いているけれども、いずれも貧しい身なりの黒人の人ばかりで、他の人種はほとんど見当たらない。白人は、どこに行ったのかと思うばかりである。 繁華街であったと思われる通りの両側には、多くの店があったが、何かおかしい。よく見ると、ショーウィンドゥにはガラスなどなくて、その代わりに汚いベニヤ板が打ちつけられている。店の前の歩道には、たくさんの露天商が物を売っている。新しい高層ビルがあったが、正面玄関は閉じられてゴミだらけである。わずか数ヶ月前のこと、真昼間にこのホテルの前で、邦人観光客が立て続けに強盗に遭ったという。君子危うきに近寄らずというわけで、われわれもすぐにその場から離れた。 黒人ばかりの中心街を離れて向かったのは、郊外のサットン地区である。高速道路を20分ほど走って、両脇を緑の街路樹に挟まれたこの地区に入った。そして、大きなショッピングセンターに足を踏み入れた瞬間、とても驚いた。カートを引いて買い物している人たちは、全員が白人だったからである。商品はあふれ、皆、幸せそうに買い物をしている。まるで、アメリカのロサンゼルス近郊の町のような気がした。出迎えてくれた人のオフィスも、ここからほど遠くないこの地区内にあるという。こういう、社会の二重構造が厳然と残っているのだと、実感した。 ところで、私がこのショッピングセンターになぜ連れて行ってもらったかというと、歯医者に行くためであった。というのは、アルゼンチンからこのヨハネスブルグに来る機内で、食事中に歯に不具合を感じたからである。そこで、飛行場に到着してすぐ、出迎えの人に、いい歯医者は知らないかと尋ねて、こちらを紹介されたのである。さっそく、入り口の表示板を見て、二階にあるその歯科医院に行ってみた。 待合室に足を踏み入れてみると、中年の女性、お年寄りの女性、母に連れられた12歳くらいの女の子、それに中年男性が順番を待っていた。いずれも白人である。受付は、インド人のてきぱきとした女性で、その人に症状を告げて、待った。20分くらい経って、私の名が呼ばれて診察室に入ってみると、中年の歯科医がニコニコしながら立っていて、「どうしました」と尋ねる。その笑顔につられるように、「機内で歯がおかしくなったと思ったら、差し歯が外れて、これ、このとおり」と、その差し歯を見せた。するとこの先生は、すぐに状況を理解し、「心配しないでください」と言って、しっかりとゴム手袋を着用してその差し歯を洗った。それが終った頃、もう一度「心配しないでください。」とまた言って、私の口内を洗ったあとでそれを私の歯茎にとり付けたのである。ものすごい力で押し付けられ、一瞬どうなるかと思ったほどであるが、幸いにすぐに終わり、しばらく綿を咬んでいるようにといわれた。30分ほどそのままにしていると、「はい、結構です。心配ないから」とまた言われた。どうも、心配ない(Don't Worry)というのは、この先生の口癖のようであった。お勘定の段になって、いくらかなと思ったら、米ドルで20ドル、思ったより安かった。ところがこの先生が取り付けた歯は、その後10年近く持ち続けた。なかなか立派な治療であったといえる。 その後、ホテルに帰った。翌日にプレトリアまで行って現地の政府と交渉事があるのでその準備をしていたが、その合間に一階に下りていってみやげ物を見て回った。そしてこれは良いと購入したのが、この石 ![]() 私が感心したのは、ドライバーの黒人男性である。立派な英語を話し、将来の展望を語ってくれた。こういう人が、この国の中心的な層として育ってくれたら、これからもっとよい国になるに違いない。 (平成12年11月21日著) (お願い 著作権法の観点から無断での転載や引用はご遠慮ください。) |
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