この夏休み、ハーバード大学の物理学専攻のリサ・ランドール教授(45)の書いた「ワープする宇宙」(NHK出版)を読んだ。しかし、これがとてつもなく難しい本で、書いてあることを追いかけるのが非常に骨が折れる代物だった。要は「我々が住んでいる縦横高さ時間の4次元宇宙の隣には、もうひとつの4次元宇宙があり、ここでは重力が強い。その二つの世界に挟まれているのが5次元時空で、ここは大きく歪んでいて、重力の濃淡がある。その結果、我々の宇宙の重力は、同じく基礎的な力である電磁力、強い力そして弱い力と比べると、格段に力が弱いことが説明できる。この理論は、今年からスイスで稼働が始まる高エネルギー大型ハドロン加速器(LHC)の実験で、そうした余剰次元の証拠が発見されると期待している。」というのである。 ○ニュートン力学 → 一般相対性理論→ 標準モデル → 余剰次元 ○古典的物理学 → 量子力学 → ひも理論 → M理論 何がなにやらというのが正直な感想であるが、先頃の私のエッセイでも紹介したニューヨーク大学理論物理学専攻のミチオ・カク教授の手による「パラレル・ワールド」と対照して読むと、全体の流れが少しは見えてくる。どうやら最新の宇宙論を研究する素粒子物理学の世界には、プリンストン大学を中心とする「ひも理論」派と、ハーバード大学を拠点とする「モデル構築」派の、二つの学派の対立があるようなのである。そして、「モデル構築」派は「ひも理論」を数学上の夢想だとけなし、反対に「ひも理論」派は「モデル構築」など時間の無駄とののしるという始末である。私の理解したところでは、「ひも理論」は数学的に完璧に近いほど美しい理論ではあるものの、その方程式が記述する対象は、プランク・スケールというとてつもなく小さな「ひも」と、とてつもない高エネルギーの世界なので、現代の技術水準でいかに優秀な加速器を作ってもそれを証明できないという弱点がある。これに対して「モデル構築」は、電磁気力、強い力及び弱い力を統一的に説明できる従来の標準モデルを基礎として、4つの力のうちの残る重力を取り込んでいこうとする在来型の理論であるが、壁に突き当たっている。 ○世界を構成する4つの力=電磁気力、強い力、弱い力、重力 直近の10年間で繰り返されてきたこの図式に従えば、ミチオ・カク教授はひも派、本書のリサ・ランドール教授はモデル派ということになり、そこでまた激しい論争が行われそうである。しかし、話はそれで終わらないのが本書で、なんとまあ、リサ・ランドール教授は、標準モデルを基礎としつつも、新たに「余剰次元」という特殊な発想を持ち込んでモデル構築を試みており、ひょっとするとそれが「ひも理論」の発展系である「M理論」と同じようなことを証明しているのかもしれないというわけである。「余剰次元の研究がきっかけとなって、両者の差は再び曖昧となり、双方が互いに話をするようになった」らしい。 ○物質→分子→原子→陽子・中性子→素粒子→ひも? リサ・ランドール教授は、従来の標準モデルは良く機能していると評価する。すなわち、電磁気力、強い力、弱い力についての質量と荷重は、高い精度で検証済みで、ヒッグズ機構はどのようにして真空が電弱対称性を破り、WZのケーシーボソンに質量を与え、クォークとレブトンにも質量を与えるかを証明済みである。ところが、重力の場合と同様に、ヒッグズ粒子ひいてはウィークボゾンの質量が16桁も低いということを説明できないという、「階層性問題」がある。これは、なぜプランク・スケールのエネルギーが、ウィーク・スケールのそれよりもはるかに大きいのかという疑問である。これについては、超対称性粒子か、あるいは余剰次元にエネルギーが漏れていくようなことでも考えない限り、説明がつかないという。 その余剰次元で動く粒子を4次元モードで見たものが、カルツァー・クライン粒子である。その性質を知るということは、余剰次元についての知見が得られるということであるが、これが実在するとすれば、余剰次元の数は、10のマイナス17乗センチよりも大きいことはないと考えられてきた。ところが最近、この余剰次元はもっと大きいのではないかという説がいくつか出てきた。リサ・ランドール教授がラモン教授との共同研究で提唱した以下の説も、そういうもののひとつである。 従来の標準モデルは4次元時空(ブレーン)を説明するものであるが、宇宙には、そうしたブレーンがいくつもある。たまたまそのような二つのブレーンに挟まれた5次元時空があるとすると、空間が強烈に曲がり、それでもって自動的に階層性問題が解決されるというのである。標準モデルの粒子は4次元時空の3次元にしか広がらないが、ひも理論と同様に重力はブレーンに閉じこめられないので、5次元バルクの至るところに広がる。しかし、この5次元の世界もそれ固有のエネルギーをもっていて、それが時空を強烈に曲げて(歪曲=ワープして)いる。そしてこの5次元の世界において、重力も含めた4つの力を大統一できるかもしれないというのである。これが階層性問題を解決したRS1理論だそうだが、これだと、我々の世界に4次元時空に次いで、もうひとつの4次元時空を考えなくてはならないが、その次の局所集中した重力のモデルであるRS2理論では、それが要らなくなった。5次元時空つまり余剰次元を考えるだけでよく、ただそれは無限にある可能性があるというのである。余剰次元が我々に見えないのはなぜかというと、時空の歪曲の仕方により、余剰次元が無限に伸びていながら、なおかつ目に見えないことがあると説明する。 うむむ、ここまで来ると、どうしてそうなるのか数式でもって確認しないと、なんだかさっぱりわからないが(そして実際に数式を持ち出されるとさらにわからないのは確かだが)、私がその命を全うする頃までには、「ひも理論」と「標準モデル」との決着がついていそうだ。もっとも、同じことを別の手段で説明していたにすぎないということになっていたりして、それがいかなる結末となるか、今から楽しみにしている。 (平成19年9月 6日著) 【後 日 談】 この「ワープする宇宙」の話は、あちこちで波紋をよんでおり、ニュートンの2007年12月号や08年1月号でも取り上げられている。その1月号にはリサ・ランドール教授へのインタビューまで載っているが、聞き手の能力のなさの問題か、はっきり言ってあまり出来の良いものではない。しかし、その中でも、この「ワープする宇宙」の内容を補足するような記述があるので、それらをメモがわりに、ここに残しておきたい。 アルバート・アインシュタインは、空間である3次元に時間を加えた4次元時空を考えて重力を説明した。これに対して、ドイツの数理物理学者テオドール・カルツァは、1919年、アインシュタインに手紙を書き、1次元を加えて5次元時空とすることを提案した。というのは、このようにすれば、重力に加えて電磁力をも説明できると思ったからである。アインシュタインはその考えはすばらしいと思ったものの、目に見えない次元なので、困惑したという。次いで1926年になって、スウェーデンの数理物理学者オスカー・クラインは、第5の次元は存在し、それは3次元空間のミクロの各点に小さく丸め込まれていると述べた。 この二人の5次元時空の考え方は、1980年代に世に出た超ヒモ理論に取り入れられ、最近では少なくとも6次元が丸め込まれていなければならないとしている(カラビーヤウ多様体)。超ひも理論では、すべての素粒子は、振動する小さなひもで、電磁力、強い力及び弱い力は、我々の4次元時空の上にその両端を付けてすべるように動く。したがって、我々の身の回りの物質及び三つの力は、4次元時空から飛び出すことはない。しかし、重力は輪ゴムのように両端を閉じているので、4次元時空には縛られずに、他の余剰次元に飛び出して行ってしまい、それだからこそ、重力は他の三つの力に比べて極端に小さいというのである(階層性)。 その一方、超ひも理論とは異なる立場で第5の次元があると主張するのがリサ・ランドール教授であり、1999年に発表された。それによると、第5の次元は小さく丸め込まれているのではなく、我々の住んでいる4次元時空を一枚の膜(ブレーン)とし、第5の次元はその外に広がり、その向こうには我々の4次元時空とは別の4次元時空があるという。それはパラレル・ワールドである。 ところで、スイスの山中に建設中の巨大な粒子加速器LHCが2008年に完成するので、ひょっとすると、第5の次元に逃げていくカルツァ=クライン粒子が発見されるかもしれないし、第5の次元があることを前提とした小さな人工ブラックホールが生まれるかもしれないという。そうなると、これはコペルニクスの地動説、アインシュタインの相対性理論などに相当する、人類に対する大きな知的衝撃となるだろうと予測されている。 2001年に発表されたエキピロティック宇宙論は、ビックバンは、ブレーン同士の衝突だという。これは、@二枚のブレーンが余剰次元を隔てて存在し、Aそれが互いの重力によってだんだん近づき、Bついに衝突する。これがビックバンといわれるもので、Cその衝突のエネルギーによって条件が合えばブレーンに物質が作られ、Dその後二枚のブレーンは徐々に離れていって、さらに相当の時間が経過した後、再び@から始まるサイクルを繰り返すとしている。 (2007年12月5日記) (お願い 著作権法の観点から無断での転載や引用はご遠慮ください。) |
![]() |
|
1 | ![]() |
2 | ![]() |
3 | ![]() |
4 | ![]() |
5 | ![]() |
6 | ![]() |
7 | ![]() |
8 | ![]() |
![]() ![]() |
![]() ![]() |
![]() ![]() |
![]() ![]() |
(c) Yama san 2007, All rights reserved