This is my essay.



近くの「コロラド」に置いてあるクマのプーさん




 オフィスの近くに古いビルがあった。それを某お金持ち財団が買ったらしくて、たちまち全面的に改修をし、ガラス張りの近代的ビルに生まれ変わったのは、数年前のことである。そのビルの表通りに面したところに、「S」という喫茶店が開業し、そこに入ったお客が、道行く人々をガラス越しに眺めている。私は今まで、何の気なしにその前を通り過ぎるだけだったが、先日、あまりの暑さに遠くのレストランに行く気が失せて、初めてその喫茶店に入った。

 入ってみると、どうやら出来たてほやほやのパンを売り物にしているようで、そのパンをトレイ(取り皿)に入れてレジに持って行き、その場で飲み物を注文するという形式である。私も、くるみのパンとか、ぶどうパンなどを持って行って、最後にコーヒーを注文した。すると、使い捨ての紙コップに入れられたコーヒーが出されたので、いやな予感がしたものの、今更もう遅い。そのままトレイを持って、表通りがよく見える席に座った。

 一口、そのコーヒーを口にしたとたん、そのあまりの不味さに、思わずカップを取り落としそうになった。口の中にとてつもない苦さが広がり、それを中和するためにパンを口に運んだが、いったん舌が受けたダメージは、なかなか消え去るものではない。いやまあ、ホントに不味いとしか、言いようがない。よくこんなものを飲めるものだと思って、周りを見渡すと、OLやら、外回りの営業部員らしき若い人たちが、黙々と食べ、そしてこれを飲んでいる。

 どこかで、これと同じ思いをしたなぁと記憶をたどると、そうそう、近くに大手米国チェーン店が出来たときも、そうだったと思い出した。確かあのときも、コーヒーのあまりの不味さに、とても飲み続けることができなくて、ほとんど全部を捨ててしまった。加えてそのときは、スコーンとかいうパンも、これまた不味くて、しかもカチンカチンの石のようだったので、あきれてこれまた捨ててしまった。親から「物を大切にしなさい」と言われて育った世代だが、こんなものを飲んだり食べたりすると、胃や味覚に支障を来しかねないので、致し方ない。それにしても世の中の人、特に若い人は、こんなものをよく飲んだり食べたり出来るものだと驚いている。いささか余計なことかもしれないが、コーヒーとして、こんな味しか知らないということは、人生の楽しみを知らないということではないか。

 アメリカへ出張や旅行で行って、あちこちでコーヒー‥‥日本流でいえばアメリカン・コーヒーということになるのだろうが‥‥を、たぶん50ヶ所以上で、飲んだことがある。しかし、こんなに不味かったという記憶はない。そもそもこの大手米国チェーン店は、確かシアトルが出のコーヒー・ショップのはずなのに、日本向けにいわば「改悪」したのだろうか。今から思うと、アメリカのコーヒーの味は、はるかに薄い。薄いからこそ、これを常時火にかけていても、そんなに濃い味にならないうちに、飲めてしまう。だからといっては何だが、そのコーヒーの味が美味いか不味いかなどをじっくり味わうことにはならない。水分をとればいいとでも思っているような節がある。日本でいえば、緑茶というより、番茶のような感覚で飲んでいる。だから、はっきり言ってしまえば不味くてもいいのだが、それにしても、飲めないほどの不味さでは、話にならない。

 これに対して、ヨーロッパでは、エスプレッソが好まれている。グループで食後のコーヒーという段になって、我々日本人やアメリカ人は普通のコーヒーだが、ヨーロッパ人のおそらく8割は、エスプレッソを注文する。私も真似をして頼んでみたが、味はもちろん濃いが、確かにコーヒー本来の味がする。ただ、私にはやっぱり普通のコーヒーの味わいがよい。ところが驚いたことに、息子がヨーロッパにちょっと旅行に行って帰ってきたら、食後のコーヒーはいつの間にかエスプレッソに変わっていた。こんなところまで、影響を受けるとは‥‥‥。

 印象深いのは、ベトナムでのコーヒーである。普通のコーヒーのカップ・アンド・ソーサーの上に、薄くて丸い金属製のドリップがあり、そこからポターリ、ポターリとコーヒーのしずくを滴り落としている。そして、2〜3分経ったら、飲めるというものである。ところがこれ、やたらと甘いし、どろどろのミルク・コーヒーだし、飲み終える頃には、舌のザラザラとした感触が残るのである。しかし、なぜか懐かしくなって、今でもたまに「サイゴン」などのベトナム料理店に行き、食事のあとは、これを注文することにしている。

 ところで、私が初めて、「コーヒーとは、こんなに美味しいものか」と感動したのは、今を去ること40年ほど前の大学生の頃である。その当時、中小企業のオーナー社長の息子で、ちょっとハイカラな友達がいた。何でも、人より一歩先のものを持っていたり、やったりしていた。たとえば、キューバ産の葉巻を吸うわ、美人のガールフレンドを持つわ、派手な車を持って運転するわで、人目を引いていた。ある日、私はその友達の下宿へ行って、ミルで引いたコーヒーをごちそうになった。ミルの取っ手を回しているときから、芳醇な香りが部屋一杯に広がり、それから入れてもらったコーヒーの美味しかったこと。それまで私がたまに飲んでいたネスカフェのインスタント・コーヒーの味とは。まるで月とすっぽんの違いである。この香りと味は、私にとって一生の宝のような思い出である。その友達にブランド名を聞くと、「ああ、これか、『ブルー・マウンテン』というんだ。」というわけである。

 これが私と本格的コーヒーとの出会いで、それがコーヒーの王様だったことは、実に幸せなことだといえる。というのは、それ以来、モカ、ブレンド、キリマンジャロ、その他いろいろなコーヒーを飲む時の美味さの指標となってくれたからである。最近、私が気に入ってるのは、自宅近くの「コロラド」で、ブルー・マウンテンを飲むことである。歳のせいか、やっぱり、先祖返りをしているようだ。




(平成19年9月14日著)
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