先週末、仲間の皆さんとともに、また神戸を訪れた。何しろ東京から新幹線で3時間、車中でまどろんでいるうちに着くし、何よりも町がコンパクトで回りやすく、見所が多い。それに、私が小さい頃、住んでいたという地縁もある。たとえば、今回、神戸外国倶楽部の前を通ったら、そういえば、こんなところがあったなぁと、50年ぶりに記憶が甦ってきた。懐かしいばかりか、私の脳の片隅に半世紀も埋もれて全く忘れかけていた記憶の残りかすが再度点灯したわけだから、脳が少しでも活性化したかと思うと、無性に嬉しくなる。これで、当時の先生や仲間と会うことができれば、もう少し色々な記憶を思い出せるかもしれない。しかし、月日が経ち過ぎているから、その夢は到底かなわないだろうなぁ・・・。
それはそうと、今回はハーバーランドからクルーズ船のコンチェルトに乗って、夕刻のディナーを味わうという趣向である。航路は神戸港を出て単に明石海峡大橋の手前でUターンしてくるという単純なものだけれど、バンドの生演奏はあるし、なかなか賑やかなものだった。しかし、午後5時10分からの便を頼んでしまったので、帰り着く7時頃に至るまで外は明るくて、途中、夜景を楽しむことができなかったのが残念である。ただ、航路途中の確か川崎重工のドックで、海上自衛隊の潜水艦が修理していたりするなど、面白い見ものもあった。
いずれにせよ、神戸のハーバーランドに来て夜景を楽しまない手はない。そこで、クルーズ船コンチェルトが着いたモザイク・ガーデンの3階まで行き、港を前面に見下ろすお店で暗くなるのを待ち、そこで午後8時半頃まで飲みながら、仲間と雑談をした。横浜と違って、ここ神戸は、ポートタワーや港やらクルーズ船やら、それに妙な形のホテルがコンパクトに集まっていて、それらを一望の下に眺められるのが良いところである。当然のことながら、酒と話が弾み、とても楽しかった。
そこから、三ノ宮のホテル・モントレーまで歩いて帰った。途中でショッピング・センターのようなところを通ったが、変な馬車やら中国古代の服装をした人形がいくつか置いてあると思ったら、三国志をテーマにしたものらしい。しかし、顔は西洋人風だし、それに目がライト付で青色に光っているから、見ようによっては、なかなか怖い人形ばかりである。
泊まったホテル・モントレーというのは、三ノ宮駅からほど近いところにある。パンフレットでは、中世風の中庭などがあって、イタリアかスペイン風の雰囲気を醸し出しているが、その・・・何というか、全体的にいまひとつなのである。それらしくしてはいるが、本物に成りきってはいないし、表だけ取り繕っていて実質が伴わないというか、何か物足りないのである。銀座にもあるこのホテル・グループのバックグラウンドについての知識は全くないが、私の受けた感じからいうと、要するにビジネスホテルが、南欧のテイストを取り入れて脱皮を図ろうとしたものの、それが身につかずに、やはり中身はビジネスホテルのままといったところではないだろうか。
さて翌日は、北野地区の異人館めぐりである。前回、私はうろこ館グループの、英国館、フランス館、ベンの家、うろこ館などを見て回ったので、今回は風見鶏グループの風見鶏館と萌黄館、そしてその近辺を見ることにした。どちらも、なかなかきれいに管理されていて、気持ちよく見ることができる。風見鶏館では、これを建てたドイツ人Gトーマス夫妻のひとり娘のエルザさんが、20年ほど前に88歳で再訪して、自分の部屋を見ていたという写真がある。
萌黄館は、その名のとおり外壁が薄緑色に塗られており、それがまた庭の木々とよく合って独特な雰囲気を作り出している。震災のときに、屋根の上の暖炉の煙突が落ちてきて、女中部屋の天井を突き破ったとかで、レンガでてきたその現物が庭に置いてあった。庭の出窓が、とても感じがよくて、いかにもモダーンなデザインである。仲間内で、もうひとつのグループは、うろこ館などを見て回ったようだが、その中のひとりがベンの家で、ホッキョクグマやバイソンの頭などの剥製を見て、捕鯨に反対しているグリーン・ピースに見学させたいと行っていたとのこと。なるほど、まったくその通りである。
それから、布引ハーブ園に行くために、ロープウェイに乗った。市内を一望するはずだったが、あいにく残念なことに雨の日で、回りは白いガスに覆われているばかりだった。でも、ハーブ園の食事はなかなか味がよく、それからいろいろな種類のハーブを味わうことができた。私は、ラベンダーとローズヒップが好きだが、どちらも用意されていて、このハーブ園のものは、いずれも香りがよく、味もよかった。
その布引ハーブ園を後にして、姫路城に向かった。去年ここに来たときは、神戸から在来線で行ったために城に着くのが午後4時頃になって、4時半までの公開終了時間に間に合わなかった。そこで今度は新幹線で行って、3時間ほどの間に天守閣まで登ろうと考えていた。しかし、あいにくの豪雨で、湿度100%の蒸し風呂状態である。どうしようかと思ったものの、また出直すのもと思い直して、そのまま昇った。蒸し暑くて、一緒に昇った人たちも、額に大粒の汗をかいている。
ここは城だから、階段は頭をぶつけるほどに低いし、それに急角度である。そこを皆、縦に一列となって、黙々と・・・たまには蒸し暑いなぁと文句を言う人もいて、ゆっくりと上がっていく。天下の名城だから、その長いこと、遠いこと。全身汗でびっしょり、顔から汗粒がしたたり落ちる中で、ようやく天守閣のてっぺんに辿り着いたときは、うれしかったの何のって・・・。テニスの試合に連勝したような気分である。
天守閣からは、播州平野を遠くまでよく見渡せる。来てよかったと思う瞬間である。それにしても、こんな大構造物、目方にして5100トンもあるそうだが、木材だけで、しかも400年前に、よくぞまあ、作ったものである。それに太平洋戦争のときに、大空襲のあと、焼け跡だらけの中で、このお城だけがすっくと立っていたという話は、不思議としかいいようがない。この城を作った大工、この城に住んだ歴代の城主や武士、それに何よりも400年の間、この城を愛情を込めて毎日見上げてきた何百万人の庶民たちのご加護か・・・。何か、私も摩訶不思議な力が涌いてきたような気がする。
この記事の元となった・・・
(平成20年7月 1日著)
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