悠々人生のエッセイ



「さくらぽっぷ」さんのイラストのお母さんと赤ちゃん



  関 連 記 事
 初孫ちゃんの誕生
 初孫ちゃんは1歳
 初孫ちゃんは1歳4ヶ月
 初孫ちゃんは1歳6ヶ月
 初孫ちゃんもうすぐ2歳
 初孫ちゃんは2歳2ヶ月
 初孫ちゃんは3歳4ヶ月
 初孫ちゃんは3歳6ヶ月
 幼稚園からのお便り(1)
10  初孫ちゃんもうすぐ4歳
11  幼稚園からのお便り(2)
12  初孫ちゃん育爺奮闘記
13  初孫ちゃんは4歳3ヶ月
14  初孫ちゃんは4歳6ヶ月
15  孫と暮らす日々


 実は、昨年末のことであるが、我が家にはじめての「孫」が生まれた。私と家内は、もう来年には、この子から「おじいちゃん、おばあちゃん」と呼ばれることになる。私の同級生の中には既に4人の孫に恵まれている人もいるが、私たちの場合は、この子が正真正銘の「初孫」である。だからというわけでもないが、いやまあ、その可愛いことといったらない。顔はもちろんだが、チョコチョコよく動くその小さな手や足を見ていると、可愛くてしようがない。ああ、髪もちゃんと生えているとか、目がすずやかだとか、唇をしっかりと結んでいるから意志が強そうだとか、ひょっとしたらとても賢いのではないかとか、親馬鹿ならぬ、爺婆馬鹿がもう始まっている。今からこれでは、仕方がないではないかと思うが……、どうにも止まらない。

 昨年、娘から赤ちゃんが出来たと聞かされてから、長い間、待ちに待ったものだが、ようやく誕生の日を迎えたというが実感である。途中、妊婦健診にも同行させてもらって、赤ちゃんを超音波の画像で見ていたので、順調に育っているとはわかっていたものの、実際に生まれてきた赤ちゃんを見ると、うれしさもひとしおである。昨年末、娘の夫から、「破水したので、これから病院に向かいます」という短いメールをもらってから、ほどなくして生まれたので、安産だったといえよう。幸い、「母体も赤ちゃんも健康で、まったく問題ない。」と担当医が太鼓判を押してくれた。

 生まれてきた赤ちゃんを見るのは、30年ぶりだが、この段階では、どの赤ちゃんも似たような顔をしている。ところが10日ほどすると、顔がすっかり赤ちゃんらしくなってきた。こうなると、可愛いという言葉しか思いつかないほどに、愛らしい顔、手、足、そして体つきである。手や足を色々と動かしていて、これからコントロールのすべを次第に身に付けていくようだ。この初孫くん、泣くときはギャーッと派手に泣くが、眠るときにはすーっと寝付いてくれる。だから、なかなか育てやすそうなので、娘ともども、ひと安心である。さて、この子はこれからどんな大人になるか、今からとても楽しみである。それまでに、我々に対して、大きな幸せを与えてくれそうだ。

 子育てが何かと手探りと試行錯誤だった私たちの時代と比べて、現在では赤ちゃんについての知識が飛躍的に向上している。この初孫ちゃんも、そういう時代の最先端の知見を生かしながら、両親によってすくすくと育てられていくものと思うが、まず何よりも、この世に生れてきて、本当におめでとうといいたい。

 ちなみに、私の母からも、こんなメールをもらった。皆から祝福されて、本当に幸せな赤ちゃんである。

 「可愛い赤ちゃんで、写真見た時、吃驚しました。
 かしこい顔して、はっきりとした輪郭、わずかまだ生まれて二週間でしょう。驚きました。
 
 目と目の間が離れているので、今に成人したら、大物になって海外に行くのではないでしょうか。立派な赤ちゃんで驚いています。

 あなたたちお二人とも、抱いている姿、板についていますよ。
 日に日に大きくなっていく姿が楽しみですね。
 これからも温かく見守ってあげてください。」

(平成21年1月 9日著)



【後日談 1】生まれて6週間目

 2月初旬の土曜日午後、文京シビックセンターのレストランで家内としばし雑談の時をすごした。話題の中心は、いうまでもなく初孫くんのことばかり。ここまで来たら、是非とも顔を見に行かなければということになり(実は、この方面に来たのは最初からそのつもりだったという話もあるが・・・)、近くの娘の家に立ち寄って、孫を1週間ぶりに抱かせてもらった。腕にずしりとくる重さになり、その体のまあ熱いこと、熱いこと、まるで湯たんぽのごとくである。また大きくなったみたいだ。首もしっかりとして来つつある。

 お乳を飲んで、うつらうつらとしている時に抱かせてもらったので、私の腕の中でもしばらく静かに寝ていた。ところが20分ほど経って、ふと目を開けた。じっと私の顔を眺める。まず不審な顔をし、それから「これは、お母ちゃんと違う人だ!」とばかりに、片手を突き出して嫌がり、ウェーンと泣き出した。そこで、やむなくギブアップ。生まれてわずか数週間なのに、もう顔の区別ができるのだろうか。それとも、私の抱き方があまりに下手だったのか。



 最近は、泣き顔ひとつにも、いろいろと表情が出てきたようだ。ミルクを飲みたいとき、着過ぎて暑いとき、逆に寒いとき、おしめが濡れたとき、抱いてもらって甘えたいとき・・・。それぞれに違っているという。それについ先週までは、両手両足を意味なく動かしていたが、この日は、両手のポジションが万歳をするような形に揃ってきている。娘によれば、胸を合わせるようにして抱いてやると、安心するらしい。それに、頭の髪の毛が幾分か濃くなってきた。こちらは、薄くなってきているというのに・・・、大変な違いである。

 ともあれ、初孫くんは、なかなか順調に発育している。この調子で健やかに育っていってもらいたいものだ。

(平成21年2月 9日著)



【後日談 2】生まれて3ヶ月目

 初孫の赤ちゃんが生まれて3ヵ月を越えた。手足をバタつかせながらミルクをたくさん飲み、出すものもいっぱい出して、日一日と大きくなっている。こちらは、週に一回程度、会いにいくぐらいであるが、行くたびに何かしら進歩していることに気づく。そのたびに、驚くやら嬉しいやらで、爺婆(じじばば)症候群が、ますます深刻になるばかりである。

 たとえば、3週間前に、赤ちゃんの前で、舌をべろりと出してみた。これは、その少し前のNHKの番組で紹介された、スタンフォード大学の幼児研究室が行った実験の真似をしたものである。その番組では、実験者が生後数ヵ月の赤ちゃんに対してこれをやったところ、赤ちゃんが反応して、同じように舌をベロリと出したというので、大騒ぎをしていた。そこで私も、ウチの初孫くんに対して、それを試してみたというわけである。

 すると、何とまあ、まだ生後3ヵ月にも満たない赤ちゃんだというのに、私の真似をして、やはり舌をベロリと出してくれたのである。もちろん、すぐに反応したわけではない。最初は不思議そうに見ていたが、何度かやっているうちに、それにつられるようにベロリと出した。それを見て、これはすごいと、感動してしまった。家内もしっかりと見ていたので、間違いない。もっとも、まだ手足を不規則に動かしているだけの赤ん坊だから、これだけなら単なる反射のようなものかもしれないと思ったりもした。

 しかし、これには続きがあって、反射などではないのである。その次つまり2週間前に行ったときに、私が赤ちゃんを見た瞬間、舌をベロリとやったら、赤ちゃんもすぐにベロリと出して反応した。近くにいた家内は「いやだ。そんな品のないこと教えるなんて」などとご不満のようだったが、赤ちゃんとしてはしゃべることも手足を使って意志を伝えることもできないのだから、舌を使うくらいは良いではないか。まあこれで、私のことを舌ベロリのおじさん・・・ではなかったお祖父ちゃんと認識してくれたようだ。

 さらにその1週間後のこの間の日曜日に行ったときのことである。赤ちゃんは、私を見たとたん、自分から舌をベロリとやったではないか・・・ああ、ホントに驚いたの何のって・・・。私を認識して挨拶をしてくれるこの孫は、ひょっとして天才ではないかと思ったくらいである。だって、まだ生まれて13週目だというのに、ちゃんと私の顔を覚えてくれている。それだけではなくて、ベロリの挨拶まで自ら進んでしてくれようとは、想像もしなかった。家内も、これにはびっくりしていた。

 それでまあ、私も気をよくしたので、ここはひとつ、赤ちゃんにもっと覚えてもらおうと思い、何か芸でもしようという気になった。「いない、いないバァ」とやってみたのだけれど、赤ちゃんは、何のことやらわからず、キョトンとするばかり。この手は駄目だなぁ・・・そこで、家内に聞くと「この間来たときは、証城寺の狸囃子を唄ってあげたら、とっても喜んでいたわよ。この子は歌が好きなのよ」というので、「歌かぁ・・・童謡ねぇ、何か思い出せるかなぁ」と、半世紀以上前の記憶をたどっていくと、リズミカルで調子のよい音楽として、汽車ポッポと、鳩ポッポを最初に思い出した。

 それで、赤ちゃんの眼前に顔を持っていき、「汽車 汽車 ポッポ ポッポ シュッポ シュッポ」と、「ポッポッポー 鳩ポッポ」とをカラオケよろしく交互に歌った。すると、何ということか、赤ちゃんも、それを合わせて「うーうーっ、うぉーっ」とやり出したのには、笑えてきた。手のバタバタのリズムも変わって、明らかに歌のリズムの乗っているようだ。私が右手を使って赤ちゃんの体の横をリズミカルにそっと叩いてやると、また調子が出てきて、唇を尖らせて、「うーっ、うーっ」などとやっている。これは面白いし可愛いので、調子に乗って思いつくまま、どんどんと昔の歌を繰り出していった。曲としては、まだ複雑な旋律は無理らしくてたとえば和音が入るような子守唄風のものは駄目で、フニクリ・フニクラのようなリズムがはっきりしたもの、それからロンドン橋とか500マイルズのような英語の歌も、意外と反応はよかった。

 「よしよし、これで傾向と対策がわかった」と思ったのだが、悲しいことにどの曲も、1番の歌詞しか出てこなくて、2番以下は全然出てこない。頭の記憶が錆びついてしまっている。仕方がないので、どれも1番だけの繰り返しだったが、それでも赤ちゃんは一緒に歌ってくれた。そうやって、10分近くやっていたら、声が枯れてきたり喉がヒリヒリしてきてもう続かなくなり、とうとうストップしてしまった。すると、赤ちゃんもそれに合わせるようにうつらうつらし始めて、すぐに寝入ってしまった。どうやら赤ちゃんも、カラオケ大会に参加して騒ぎすぎて、疲れたようだ。


(平成21年4月 8日著)



【後日談 3】生まれて7ヶ月目

 我々の初孫ちゃんも生まれて7ヶ月を越え、ようやく首が坐って来た。それとともに、仰向け状態から体を横に捻ってうつ伏せとなり、頭を持ち上げる動作を繰り返すようになった。ところが、うつ伏せ状態からそうして頭を持ち上げたものの、上体を両手を支えることはまだ無理なようで、突っ立てた首が疲れてくると、また仰向け状態に戻るということを繰り返している。そしてときどき、うつ伏せ状態になった後、床の布団の上におでこをつけたままで、両足を前後にバタバタ動かす動作をしている。その頭突きのような状態で、少しずつ匍匐前進をしているから面白い。そのうち、両手で首を支えて前後に動かせるようになれば、文字通りハイハイになるので、その練習をしているものと見える。

 ところで、これまで初孫ちゃんにはそれこそ毎週のごとく会っていたのだけれど、この3週間ほどは、お互いに用事があったりして、会うことができなかった。もう人見知りをし始める時期なので、旦那さんのご両親がしばらくぶりに会いにきたときは、びっくりした初孫ちゃんが、大泣きしたという。それを聞いて私は、せっかく会いに行っても泣かれると困るなぁと思っていた。そこで、玄関ドアを開けたところで抱かれて待っている初孫ちゃんに対し、いきなり顔を近づけるようなことはやめにして、少し遠いところから、声をかけたり、手を振ったり、ついでに笑顔を造ったりした。

 抱かれた状態でバタバタしていた初孫ちゃんは、両手両足の動きをばったりと止めて、私たちを注視している。この人たちはいったい誰なんだろうという表情である。そういえば口も、ポカーンとした感じで縦に小さく開けっ放しである。しかし、こちらが笑顔を造って笑いかけると、思い出してくれたのか、それとも反射的なのかはわからないが、口元がにっこりとした。おお、覚えていてくれたのかと(勝手に)感激する。いずれにせよこれで、赤ちゃんとコミュニケーションが成立しそうだ。床に敷いた布団の上に、そっと寝かせて、その上からまた、話しかけたり笑いかけたりすると、両手を振って、キャッ・キャッと叫んで喜んでいる。それがひとしきり終わると、横に転がるようにして頭をぐいっと持ち上げ、「どう、こんなこともできるようになったよ」とばかりに得意げである。

 家内が膝の上に乗せて、「アリさんとアリさんが・・・ごっつんこ・・・」と言って、おでこを軽くぶつけると、キャッ・キャッと言って大騒ぎをする。そして、「またやって」とばかりに、あたかもお願いといっているような目の表情をするので、再度ごっつんこをすると、両手を左右に大きく揺らしてまた大喜びするという具合である。きょうは、鳩ポッポの日ではなくて、アリさんとごっつんこの日のようだ。

 娘に保育園での話を聞くと、この子はいつでも愛想が良いので、皆の人気者だということだ。さもありなんという気がする。ただ、少しは男っぽいところも出てきたそうだ。あるとき、手に持っている物を取りに他の男の子が来たときは、絶対に離すものかとばかりの表情をして、厳しい目を向けたので、その取りに来た子は、すごすごと退散したという。ははぁ・・・やるもんだ・・・そうでなければ・・・。所有権の主張は、もうこの頃から始まっているらしい。もっとも、単なるケチだと困るのだが、まあそれは、おいおい教えていけばよいだろう。

 そこで、最近買った一眼レフを取り出して、写真を撮ることにした。シーン撮影で「子供」とあるので、それで撮り始めたのだが、室内なので顔色がいまひとつである。そこで、ポートレートで撮ったのだが、これは顔を大きく撮るのには適しているようだが、逆に動きの速い子供の動作にはついていけない。帯に短し、襷に長しというところである。それでも、私も床にごろりと転がって、赤ちゃんの目線から撮ったり、にっこりとしているところを撮ることができたりしたので、大いに満足した。

 そういう調子で、顔の上から初孫ちゃんを撮っていると、一眼レフ・カメラから肩ひもがだらりと下がっている。赤ちゃんは、それに手を伸ばして、ぐいっと掴み、それを振り回して得意げである。最初は、なすに任せていたのだけれども、あまりに大きく振られるので、赤ちゃんの手を外して、それをそっと取ろうとした。すると、赤ちゃんの顔がみるみる赤く染まって、まるで梅干しのような泣き顔になってしまった。ただ、本気に泣くという感じではなくて、ウーッウーッと言って「嫌だ、これを持っていたい」と抗議をしているようである。そこは、家内がうまく割って入って慰めてくれたけれど、ははぁ、こんな表情もできるようになったのかと感心した次第である。



(平成21年7月11日著)






【参考情報】赤ちゃんの研究が進展中

 最近のヒストリー・チャネルなどを見ていると、近頃では、アメリカの大学でも赤ちゃんの研究が進んできているようだ。ご承知のように、我々の脳細胞の数だけを見ると、3才頃がピークで最も多いが、それから成長するにつれて徐々に減っていく。そして10歳頃になると、ほぼ3分の1になり、大人の脳細胞の数になるとのことである。それではその乳幼児の時代に、赤ちゃんの脳にいったい何が起こっているのかということが判明しつつある。

 たとえば、第一の実験は、生後わずか6ヶ月くらいの赤ちゃんについてのものである。まず赤ちゃんの目の前の舞台の真ん中に、赤ちゃんからその内側が見えないようにするための小さなスクリーンを置く。一つのおもちゃを舞台の袖から赤ちゃんに見えるように動かしてそのスクリーンの陰に隠し、次にもう一つ別のおもちゃを見せ、同様に舞台の袖から動かしてスクリーンの陰に隠す。その上で、そのスクリーンを倒して赤ちゃんにその二つのおもちゃがあることを見せる。こんなに小さいのに、赤ちゃんは、「そうだろうな」という顔をする。意外と、大人っぽい顔なので、笑ってしまった。

 次の段階として、同様に赤ちゃんに見えるようにしておもちゃを動かし、その二つのおもちゃをスクリーンの裏に隠す。そのうち一つのおもちゃを赤ちゃんに見えないように取り除いたうえで、スクリーンを倒して赤ちゃんに見せる。そうすると、一つしかないおもちゃを見て、赤ちゃんは、「あれっ」という不思議な顔をする。つまり、こんなに小さくて言葉も出せないのに、もう赤ちゃんは、記憶しているばかりか、数字の概念を理解していることがわかる。

 今度は第二の実験として、8ヵ月と1歳3ヵ月の二人の赤ちゃんに、こんなことを見せる。赤ちゃんを前にして、左にビスケット、右にゆでた野菜のブロッコリーを載せた皿を置き、まず赤ちゃんに自由にそれを取らせる。いずれもビスケットを選んで食べてしまった。そこで次に、赤ちゃんの前にいる実験者が、ビスケットをちょっと口に入れたあとすぐに美味しくないという嫌な顔をして、それを元の皿の上に戻す。続いてブロッコリーを口に入れて、これをニコニコしていかにも美味しそうに食べる。その上で、赤ちゃんにまたどちらかを選ばせる。すると、8ヵ月の赤ちゃんは、やはり前と同じようにビスケットを選ぶが、1歳3ヵ月の方は、驚いたことに実験者の顔を見ながら野菜のブロッコリーを選ぶのである。これは、もう1歳3ヵ月になると、周りの人の様子を観察しながら、それに適した行動をするようになるということを示している。

 私が考えるに、生まれたばかりの赤ちゃんには、どんな環境にも耐えられるようにと、最大限の数の脳細胞が用意されるのではないだろうか。そして、上に述べた様々な能力、とりわけ運動能力、観察能力、判断能力、言語能力など、人間としての数多のチャンネルを構築するために、こうした脳細胞ネットワークが造られる。おそらく3歳になるまでの間に、こうした作業がピークを迎え、そして10歳になる頃には一段落して、そのまま大人の頭脳に移行していくのであろう。

 だから、赤ちゃんが単にミルクを飲んで寝ているだけと思ったら大間違いで、実は自分の頭脳をこのように徐々に構築していっている重要な期間なのだと思う。だから、親の方から赤ちゃんに話しかけたり、あやしたり、周囲を見せたり、そうしたスキンシップが必要なのである。しかし、大事なことは、こういう過程を、あたかもお酒を熟成させるように自然に無理なく行わせることだと思う。この間に、幼児の早期能力開発などと称して、言葉や数字などを詰め込んだりするような、あまり不自然なことをしないことである。かえって、落ち着きがなくなったり、情緒面に問題が起きるという。





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