悠々人生のエッセイ  潮来あやめ祭り



「〜〜潮来花嫁さんは〜〜舟で行く〜〜」の嫁入り舟




 昨年秋には、伊能忠敬ゆかりの地である佐原まで行って、お江戸の雰囲気を味わってきた。でも、同じ千葉県にある観光地の水郷潮来が、そこから電車でわずか10分余り先にあるということを知り、まだ行ったことはないがどんなところだろうと気にかかっていた。水郷だから菖蒲やアヤメで有名だそうだが、それなら行くとすれば5〜6月が良いが、天候が悪いと楽しさが半減する。そんなことを思いつつ、近頃の天候を見ていると、たまたま今年はカラ梅雨気味である。それなら、潮来あやめ祭りというのに行って来ようという気になった。JR東日本の「びゅう」の店舗を訪ねると、ちゃんと「水郷 潮来あやめ祭り」コースがあり、その名も「特急あやめ81号」という直通の電車で、東京駅からそのまま現地まで連れて行ってくれるらしい。ということで、さっそくそれを予約したのである。切符と旅行約款一式を電話機の脇におき、毎日眺めていた。こういう、事前に想像をめぐらすというのも、旅の楽しみのひとつだ。

 さて、家内とともに待ちに待った旅行当日となり、目論見通り天候は曇りだが、雨は降っていない。よしよしこれは良い日になりそうだと二人で話しをしながら、朝8時10分すぎに家を出た。自宅近くの駅から地下鉄千代田線に乗って二重橋駅で降り、そこから丸ビルの下を通ってJR東京駅地下に入ると、もうその下があやめ号の乗り場である。15分間ほど待って、ようやく電車がホームへと滑り込んできた。別に先頭車両にロゴマークがあるわけではなく、まったくもって素っ気のない普通の車両である。その8時53分発5両編成の列車に乗り込んでみると、全体の5分の1くらいしか、席が埋まっていない。これは人気のないコースだったのかと思っていると、実はそうではなかった。

 途中で止まる錦糸町駅、船橋駅、津田沼駅、そして千葉駅と続くに連れ、各駅でどっと人が乗り込んできて、あれよあれよという間に満席となってしまった。目的地の潮来は、東京や神奈川在住の人たちより、やはり地元の千葉県民の皆さんに愛されている観光地らしい。でも、乗客は、我々のような夫婦ものは少なくて、ぺちゃくちゃと喧しく話す中年のおばさんグループばかりが目立っていた。たまに、チョッキを来ているおじさんたちで、肩にはカメラのバッグ、手には三脚を下げて乗り込んでくるいるグループがいた。おそらく毎日が日曜日の退職者たちで、素人カメラマンの皆さんらしい。仲間同士が示し合わせて、菖蒲やアヤメを撮りに行くのではないだろうか。

様々な形と色の花菖蒲が満開

 特急あやめ号はどんどん走り続け、我々にとって何やら懐かしく思えてくる佐原駅を過ぎ、いよいよ潮来駅に着いた。東京からわずか1時間40分の距離である。心理的には遠いところだと思っていたが、いざ来てみると、こんなに近いとは知らなかった。単に頭に描いただけの地理感覚が当てにならないという見本のようなものである。潮来の駅頭に立って、もらったコース案内の紙を読む。この「びゅう」というコースは、案内してくれる人など誰もいないから、いつもこんな調子である。ええーと、それによると、潮来ホテルでの昼食か、舟による潮来十二橋めぐりかの二択ということになっている。カラ梅雨とはいえ、天気予報では午後になると雨が降ってくるというので、何はともあれ、先に舟に乗ろうということになった。

 大きな川(北利根川というらしい)まで行き、滔々と流れている川面を眺める。雨の多いこの季節だから、川水は水量は多いが、土色に濁っている。その岸壁に、「潮来十二橋めぐり」という桟橋があって、そこからサッパ舟というものが出入りしている。一隻で最大20人ほどが乗れるようだ。列を作って10分ほど待って、ようやく乗り込んだ。私たちは一番最後に乗船した位置にいたものだから、思いがけず、家内とともに、舟の舳先近くの席に座ることになった。写真やビデオを撮りやすい位置である。

潮来十二橋めぐりの途中、すいせん橋で舟がすれ違う

 ドッドッドッとエンジンの音を響かせて、対岸に向かったと思ったら、すぐに加藤洲水門という閘門に入った。何でも、利根川の本流と比べてこちらの支流は、水位を60センチほど低くしないと釣り合わないということで、そのための閘門である。我々の舟がそこに入ると、既に先に入っている舟があり、振り返ると、さらに3隻が次々と入ってきて、狭い門内は大混雑である。そして、そろりそろりと門が閉まり、次いで、水位が調整される。水中に没している階段の数から、水位がみるみる下がっていくのが見てとれる。そして、下がりきると、門が引き上げられて、舟が出発となった。

 そのサッパ舟とやらがようやくすれ違いできる程度の、狭い水路である。その壁は、どうやら大谷石でできているようだ。こんなところにも、関東北部の地下から切り出された石材が使われているとは、驚きである。利根川の水運を利用して運んで来たのだろうか。水路には、左右に紫陽花が大きく咲いていて、花菖蒲がポツポツ、一面ピンクのマツバギクなどが美しい。その水路の上に、かわいい橋がかかっており、いざよい橋、こそだての橋、すいせん橋などという名前が付いている。これを潮来十二橋めぐりというらしい(注)。

 もともとこれらの小さな橋は、水路の両脇の農家の皆さんが、日常生活のために、ちょっと架けた橋だという。なるほど、中には2本の板を渡しただけの、素朴な「橋」ならぬ「通りぬけ板」もあった。こんなものに、もっともらしい名前を付けたものだ。水路の途中には、舟の乗客が舟から買えるようにと、売店まである。こういうのを、ドライブ・スルーならぬセイル・スルーとでもいうのだろうか。初めて見たので、面白かった・・・。その一連の橋々が架けられている小水路を通り抜けると、与田浦という大きな水面に出る。さらに進んで与田浦橋の下を通り抜け、奥水郷という一面に水また水という湖のようなところに行きついた。そして右折して大割水門という閘門に再び入り、北利根川に戻って、潮来大橋をくぐり、出発点の桟橋へと戻ったのである。わずか70分の、長いような短いような舟の旅であった。同じ千葉県にあるディズニー・ランドでジェットコースターに乗って味わうスリルとは、まるで対極にある遊びであるが、まあ、年相応に満足したという感想を残しておこう。

 それで、潮来ホテルで大勢の中に混じって食事をした。これがまた・・・何というか・・・呆れてしまうほどおいしくなかった。魚の煮つけはコチコチに固まっているし、ごはんは輪っぱ飯を小さくしたような容器に入っていてパサパサだし、味噌汁といえば、ざらざらとした舌触りにペラペラのワカメらしきものが付いているから、これは絶対にインスタント食品に違いないと思った。他にも食べたものがあったはずだけれど、何にも記憶に残っていない。ただ、ひとつだけ、白魚の卵とじだけは、食べられた。これでもホテルなのか、泊まらなくてよかったと、つくづく思った次第である。私は先進国はもちろん発展途上国のホテルを含めるともう数百か所に泊まったことがあるけれど、食事がこんなに不味かったという経験をしたことは、これが初めてである。

前川あやめ園のたくさんの花菖蒲

 そういうわけで、ホテルの食事は外れだったが、まあいいと思って外に出て、前川あやめ園を見に行った。あるある、たくさんの花菖蒲が・・・。実は、こちらに来る前に、花の見分け方を調べてきた。花弁の根元が、菖蒲は黄色、カキツバタは白色、アヤメは網目(綾目)の模様があるとのことだった。そういう目で見ると、何だ、ほとんどすべてが花菖蒲ではないか・・・「あやめ園」とは、いったい何のことだと思ったが、それはともかくとして、つくづく菖蒲を眺めると、様々な色と形の花があるものだ。純粋の紺色・・・これは目に焼きつきそうだ、艶やかな紫色・・・かつて高貴な色とされた理由がわかる、白地に紫の筋が入る・・・大ぶりな花でもさっぱりした感じがする、純白の白色・・・とはいえ、それでも菖蒲なので花弁の根元は黄色くなっている、真っ黄色の花もあるが・・・これはともかく良く目立つ。

目に焼きつきそうな純粋に紺色の花菖蒲

 こうした花菖蒲の細長い田を真横に貫くように、二つのアーチ型の橋、水雲橋がかかっている。その上に登ってみると、花菖蒲の田と、その横に流れる前川とがよく見えて、なかなかの景色である。そうこうしているうちに、その橋の周辺の菖蒲田の辺り、地元の婦人会の皆さんが、「潮来あやめおどり」を披露してくださるという。「〜〜 潮来出島のまこもの中にあやめ咲くとはしほらしや 〜〜」と歌っているらしいことは、パンフレットを見てわかった。この暑い中、我々観光客のために婦人会の皆さんが総出をして踊っていただき、本当に有難うございます。

アーチ型の橋である水雲橋の上から婦人会の踊りの皆さん(待機中)と花菖蒲田を眺める

 午後2時から、「〜〜 潮来花嫁さんは〜〜 舟で行く 〜〜」の嫁入り舟が出るというので、櫓舟乗り場の向かいの岸に陣取って待っていた。お嫁さんは、公募で選ばれた茨城県筑西市の方だという。もう予定時間の2時を過ぎたというのに、一行がなかなかやって来ない。20分ほど過ぎて、ようやく白無垢のお嫁さんの姿が見えた。どうやら、道中、付き添いのご両親ともども緊張して足取りがゆっくりしすぎたらしい。舟の先頭には、三つの米俵と酒樽、そして赤い「寿」の文字が入った提灯が掲げられている。舟の中には緋毛氈が敷かれ、真ん中にはお嫁さん、その後ろにはご両親が坐り、最後に櫓をあやつる船頭さんがすっくりと立ち、それでゆるゆると進みだした。両岸から「おめでとーっ!」「幸せにねーっ!」という声がかかる。うつむきがちなお嫁さんが、いちいち頷く。すると、中には厚かましいおばさんの声で「お嫁さーん、ちょっとこっち向いてーっ」と叫ぶので、皆の間でどっと笑いの波が起きる。

 そんな、なごやかな感じの船出であった。前川を櫓舟がゆっくりと進んでいき、それを見送ったところで、今度は舟の先回りをしようと、見物人が川岸を移動していく。われわれもその中に混じっていたが、お婿さんの待っている船着き場まで行くことにした。途中に橋がかかっているところで、嫁入り舟の写真を1枚撮った。花嫁さんの白無垢と緋毛氈の対比が美しい。そして船着き場の方を見ると、お婿さんが背伸びして、舟の来る方向を見ている。そこをゆっくりと舟が近付いていくと、思わず笑みが漏れていた。いよいよ、舟が到着し、まず米俵や酒樽が下され、そこにお婿さんが駆け寄って、花嫁さんの手を引いて、二人並んで消えていった。なかなか、情緒があり、記念に残るものだっただろう。これは本当に、見に来てよかった。

お婿さんの待っている船着き場に嫁入り舟が着く

 その後、再び菖蒲田の櫓舟乗り場に戻ってきたところ、女性の指揮するブラスバンドが、潮来節などを演奏していた。しばらく聞いていたところ、小学生の演奏だと聞いて、観光客は「ええーっ! あれが小学生?」と口々に叫ぶ。なかなか上手だったので、驚いたり感心したりしたのである。先ほどの婦人会の皆さんに続いて、小学生の皆さんからもこうやって歓迎していただけるとは、本当にありがたいことである。そんなことを思いながら、櫓舟乗り場の脇にある潮来花嫁さんの像のところに佇んでじっと眺めていたら、「これから、新調された宮川町の御神輿の披露があります」というアナウンスがあった。

元気な御神輿。周りの世話役が麻色の着物にパナマ帽というレトロ調のスタイルが良い。見ていた法被の人も、こらえ切れずに担ぎ始めた。担ぎ手に、笑みがこぼれる。

 何だ、御神輿かと思っていたら、これがまた、ものすごく活気のある担ぎ方で、惚れ惚れとしてしまった。狭い道なのであるが、そこをよいしょ、よいしょと肩に担いできて・・・ここまでは普通であるが・・・それから両手で大きく御神輿を持ちあげる。それで、ひときわ大きい声でワッセ、ワッセと叫び、かつ回り出す。周囲に配置された世話役が四方八方から押さえないと、どこに飛んでいくかわからないほど激しい動きである。それがひとしきり続くと、「ああ、疲れた」という感じで、また普通の担ぎ方になり、しばらくして元気が戻ると、またワッセ、ワッセになるというわけである。これは凄いと、しばらく見とれていた。

 それに、もうひとつの魅力は、担ぎ手がすべて白装束でいかにも神社の氏子らしいし、回りにいるの世話役の恰好がこれまた素晴らしくて、麻色の着物に、パナマ帽というレトロ調のスタイルなのである。まるで、大正時代のモダンボーイ姿だ。一目で、気に入ってしまった。そのうち、この人たちの何人かが、堪らなくなった感じで、白装束の担ぎ手のひとりに代わってもらって、自分でもワッセ、ワッセとやり始めた。おやおや、その様子を見ていた法被の人たちも、こらえ切れずに担ぎ始めた。ああ、御神輿の先頭にいてニコニコしているではないか・・・その気持ち、よくわかるなあ。まあ、楽しんでください。

 というわけで、潮来ではわずかな時間しか滞在できなかったが、花菖蒲の見物のほか、十二橋めぐり、潮来花嫁さんの嫁入り舟、地元婦人会によるあやめ踊り、地元小学校のブラスバンド、御神輿の披露など、たいへん盛りだくさんだった。地元の皆さんが元気で、しかも精一杯、観光客をもてなそうという気持ちを感じたというわけである。これこそ、元気の出る観光地だといってよいと思う。われわれ観光客のために一家総出で一日頑張っていただいた地元の皆さんに、心から感謝を申し上げたい。






(注)正式には、前川に架かっている橋を中心として、あやめ橋、雨情橋、思案橋、水雲橋、潮音橋、天王橋、出島橋、まこも橋、千石橋、上米橋、前川橋のことを十二橋というらしい。




(平成21年6月16日著)
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