悠々人生のエッセイ








高尾山ケーブルカー・リフト駅


 台風が過ぎて、しばらくぶりに天気の良い土曜日の朝を迎えた。気温も、そう高くはないし、むしろ秋の気配さえ感じられる清々しい天気である。このようなときは、さほど暑くないところで自然浴でもすれば、気分がよい。そういえば、高尾山が富士山とともに、ミシュランで推薦されていたことを思い出した。では行ってみるか・・・ただし、まともな装備を持っているわけではないので、あくまでも都内を散歩する程度のものにしよう。

高尾山エコー・リフト


 ということで、家内とともに、新宿から京王線で高尾山口駅に着いて、二人乗りのリフトに乗った。天気の良いときには、これに限る。もっとも、今どきの乗り物には珍しく、ただ腰掛けるだけでベルトがないものだから、ちょっと揺れればたちまち落ちてしまいそうな代物である。乗っている女性の中には、「だんだん体が硬くなってきた」などと泣き言をいう人もいるほどである。そうかと思うと、外国人が一家で乗って来て、すれ違い様にその中の男の子が手を振って「コンニチワ!」などと言うものだから、あわてて、「ハ・ハロー! こんにちは!」と答えたりした。そういう調子でしばらくリフトに乗っていると、山腹を上がっているにつれて、都内や横浜の市街が遠くに眺められるようになってきた。それを写真に撮っていると、いつの間にか終着駅に着いてしまった。

たこ杉

 高尾山略記によると、「高尾山は天平16年(1200有余年前)に、行基菩薩が聖武天皇の勅願を奉じ東国の総祈祷寺として開山された。今から600年前、俊源大徳が中興し、併せて飯縄大権現を祀って修験道の根本道場とした。現在は、新義真言宗宋智山派に所属する大本山で、高尾山薬王院有喜寺と称する関東三山のひとつである。お護摩の火は、智恵の火であり、護摩木は煩悩をあらわし、この火を通じてすべてのものを清浄にし、御本尊の無限の力と信ずる者の力が一体となる時、『お護摩の功徳』が生ずる」という。

飯縄大権現の分かれ道。右は女道、左は男道。


 何と、1200年もの歴史があるのか・・・そういえば、リフトを下りて上がってくる途中、道端に「たこ杉」という大きな杉の木があって、450年以上と書いてあったが、そのほかに千年物の杉がたくさんあるという。行基(668〜749年)、聖武天皇(701〜759年)といえば、奈良時代(710〜794年)前半の人なので、1200年前よりさらに古いような気がするが、まあ細かいことは言うまい。空海(弘法大師)が開いた真言宗、最澄によって開かれた天台宗は、いずれも9世紀初頭のことだから、この時代は、密教系が流行りの最新の宗教だったようだ。どうも密教の教義や歴史まで勉強する時間も気力もないが、高尾山を象徴する天狗は、密教の修験者を表わすのだろうと、勝手に想像している。

高尾山の天狗の像


 飯縄大権現の社まで着いて、やっと一息を入れた。左右の大きな天狗の面がある。ああ、やっと着いたという感じである。一応、御参りをしようとしたところ、お護摩というものがあって、長い四角い形をした護摩の木に、願い事と名前を書いておくと、それを焚いていただけるという。それでは、二人でやってみようということになり、それぞれに書いて、預けておいた。家内は、息子になり代わって書いていた。いくつになっても、子どものことは気にかかるものらしい。

飯縄大権現の社の天狗の面


 さてそこで、もうひとつ階段を上って別のお社に行ったところ、正面左右にある天狗の像の表情がなかなかよい。そこで、天狗の顔に近付いて、なるべく背景がボケるようにF値を低くしたが、レンズの性能の制約で、これ以上は無理だった。

背景がボケるように試みた天狗


 頂上までもう少しだったが、体調も考えてそのあたりで自重することにして引き返し、下る途中のお茶屋で、「天狗そば」なるものを食した。要するに天麩羅そばなのだが、蕎麦が名古屋のきしめんのような太さだったので、びっくりしてしまった。

天狗そば




(平成21年9月 6日著)
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