悠々人生のエッセイ








 9月9日、法務省で新司法試験の合格発表があった。それに受かった人から、何件かのうれしい報告があったことは、前回のエッセイに書いたところである。ところがその合格者リストの中に、私が一番、気に掛けていた学生さんの名前がなかった。私は思わず愕然として、リストに誤りがあるのではないかとすら思ったほどである。

 約3年半前のことになるが、この人は法科大学院で私の授業を受講してくれた。その意味では私の教え子というわけである。しかし、それだけではない。その頃は、私は大学へ通うのに都バスを使っていたが、ときどきその都バスでご一緒して、よもやま話に花を咲かせていたという間柄なのである。ところがその人は、法科大学院を修了後、新司法試験にチャレンジしたものの、過去2回、合格することが出来なかった。

 ご承知の通り、新司法試験の受験は、受験資格を得てから、つまり法科大学院を修了してから5年以内に3回までという制限が課せられている。特に1回と2回目の試験でいずれも不合格になると、3回目の受験は文字通り最後の機会となる。だからこの人は、その1回と2回目の不合格の度に、とても辛かったと思うが、私あてにメールをくれて、その中で来年こそは合格したいというようなことを書いていた。私はそのメールに接すると、自分を信じて頑張ってくださいと返信しつつ、心の中で「これほど真面目で律儀で勉強熱心な人だから、次回こそは受かるだろうと」と思っていた。そのようにして迎えた最後の試験なのであった。この機会を逸すると、いわゆる三振でアウトということになる。だから、合格者の中に見当たらないということは、やはりダメだったのかと、板子一枚下の深い海の底を見たような気がしたのである。それ以来、どうしているかなと気に掛けていたところ、発表から1週間たって、次のようなメールが届いた。

 「突然の連絡で失礼いたします。法科大学院においてご指導いただきましたA.M.です。在学中は、学業を離れた相談にも応じて下さり、本当にありがとうございました。昨年度に続き本年度も司法試験を受験したのですが、力不足ゆえ不合格となりました。

 先生には在学中のみならず卒業後も力強い励ましのお言葉をかけていただくなど暖かくお力添えいただいていたのに面目ございません。

 今は、まず、先生を始め多くの方に助けていただけたことに感謝し、その上で新たな目標を立てこれに邁進していきたいと考えております。暑さ厳しい折から、くれぐれもお体をお大事になさって下さい。今後ともご指導ご鞭撻下さいますよう宜しくお願い申し上げます。」


 ああ、やはりと思うと同時に、メールを書けるくらいに気持ちが前向きに戻ったのは良いことだと思い、次のような返信をした。

 「それは、誠に残念でした。あなたのこれまでのご努力には、本当に心から敬意を表したいと思います。よく頑張りましたね。しかし、人間関係と同じように、試験にも、人知を超えた「相性」というものがあるのかなと思ったりしています。

 これからは、また新たな道を進まれるということですが、その過程では、この数年間のご努力は、決して無駄ではなく、これによって身につけられたご経験と知識が、必ずやお役に立つものと考えています。

 当面は、少しお辛い日々が続くかもしれませんが、取り敢えず、終わったことは忘れるというのも、人生のコツです。それでまた、新しいことに挑戦していくことです。毎日の生活と仕事を出来るだけ充実したものにしようと、一歩一歩努めていかれれば、必ずやそのうち、笑って振り返ることが出来ると思います。

 人生、山あり谷ありが交互に来るのが常ですから、今度は何をやっても、山に向かうことになるでしょう。そのうち、良いことが必ずありますから、ともかく、前進して行って下さい。

 ではまた、そのときまで、お元気でお過ごしください。さようなら。」


 ということだが、この法科大学院の三振アウト制度というのは、本当に罪作りである。わずか数日前には、別の教え子さんからその3回目でようやく合格したと、喜びで弾むようなメールをいただいたので、私も非常に嬉しかった。しかし、この人の場合はその3回目でもまた合格できなかった。つまり、法科大学院で3年間、それを終了してからさらに3年間の合計6年間を棒に振ったというわけだ。しかも、本来であれば人生で一番楽しかるべき20歳代中盤の青春時代を、勉強に次ぐ勉強でつぶし、それでいて何の資格も得られなかったのであるから、残念無念といったところであろう。

 私は本来、新司法試験の合格者の数を増やして、法科大学院の修了者ができるだけ多く合格できるようにすべきであるという意見を持っていた。ところが、2010年頃には合格者数3000人、合格率8割程度を目指すというかつての政府の目標に対して、現実の合格者は平成23年で2063名にとどまっている。これは、各地で有象無象の法科大学院が数多く乱立して法科大学院全体の定員が6000人に迫ったためと、一度では合格できずに2回、3回と受験する人がどんどん積み重なってきたためである。その結果、新司法試験の初回(平成18年)の合格率が48・3%だったものが、昨年は25・4%にとどまり、今年(平成23年)の合格率は23.5%まで下落した。

 最近の法曹に対する需要が全く伸びない中で、日本弁護士連合会も現在の宇都宮会長に代わってから、これ以上の合格者増には反対であるし、むしろ引き下げを主張している。とすれば、彼のような三振という憂き目に遭う人をなるべく少なくするためには、そもそも合格率が非常に悪い一部の法科大学院は論外として、私の法科大学院のように合格率が高いところでも、その定員を大幅に削減するか、あるいは法科大学院の中において、言葉は悪いがふるい落としを早めに行って、この分野に向かない人に対し早めに引導を渡すしかないと思われる。ただ、事はそう簡単ではない。特にこの引導を渡すという点については、私の法科大学院での経験でも、稀にではあるが、まるで中学生の作文程度のものしか書けない学生がいるのを見ると、やはり必要だろうと思う。しかし、上記のメールを送ってくれた元学生さんは、それなりに立派な文章を書いていたから、たとえそうしたふるい落としを行ったとしても、ふるい落とされずに残る組に必ず入る人であったと思う。では、なぜ落ちたのか、どこに問題があったのかは、本人に対してはもうそんなことは聞けないし、聞くべきではもちろんない。しかし、あれだけ一生懸命にやったのにそういう結果となったのには、どこかに何か、うまくいかない原因があったのだろう。それも含めて、その人のこの分野での実力だったのかもしれない。

 それにしてもまあ、何回考えても、あまりに悲しすぎる結果となってしまった。気を落とさないで、過去のことはきっぱりと忘れ、しっかり前を向いて新しい人生の舞台で活躍していってほしいものだ。唐の時代の中国で、天才肌の詩人であった杜甫は、科挙の試験に何度も挑戦したが、結局合格することはかなわなかった。その代わり、いやその挫折があったからこそ、「国破れて山河在り」などの有名な数々の詩を残したのである。彼も、これからの人生を頑張れば、必ずや、何かを残せるはずであるし、是非ともそうあってほしいものである。


関連エッセイ「新司法試験三振に負けず前を向いて歩こう」




(平成23年9月17日著)
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