悠々人生エッセイ








 


 娘がハワイ大学で、外科手術の技量を上げるためのトレーニングに参加するという。ハワイねぇ・・・40〜30年前に3回ほど旅行で行き、とても気に入ったが、そういえば最近はとんとご無沙汰だ・・・と思った瞬間、この機会を逃すと家族で行けなくなるとの考えが頭をかすめる。ちょうど三連休にかかるので、さらに一日の休暇をとり、家内と孫を連れて、私も一緒に行くことにした。アメリカへの家族旅行としては、もう随分と昔に世界一周で立ち寄った時以来である。その間、9・11事件が発生したこともあり、アメリカへ渡航するのはかなり厳しくなった。日本のように短期滞在ならビザ不要となっている国の国民であっても、ESTA(渡航認証許可)なるものを取得することが必要らしい。どんなものかなと思いつつ、それ専用のホームページを開いてみたところ、一人当たり14ドルを支払って意外と簡単に取得できた。なんでも自分でやってみること、案ずるより産むがごとしである。

 ホテルは、インターネットで予約した。搭乗する飛行機については、夜に出て朝に着くものはないかと思ったら日本を代表する二つの航空会社であるANAとJALのいずれにも、良さそうな便があった。一緒に行くことができればよかったのだが、娘は参加する団体の旅行社が手配してくれる関係でANA、我々は使い慣れたJALと分かれた。しかし、どちらも成田空港から、しかも10分違いで出発するという。そこまで張り合うこともなかろうにと思うくらいである。たまたま為替レートが1ドル118円を超える円安下で、これでお客さんが集まるのかなと思っていたが、いざ成田空港に行ってみたところ、驚いたことに少なくともJAL便は満席だった。

 到着まで7時間もかかる飛行機の中では、映画のゴジラを見て過ごした。つがいの怪獣とゴジラが、アメリカ西海岸やハワイを派手に破壊してしまうという筋書である。映画ではこれから行くホノルルも、怪獣に破壊されてしまったので呆気にとられた。だからいざホノルル空港に降り立ってみると、当たり前のことだけれども、すべて平和だったから、かえって何か妙な気がしたほどである。

 ホノルル空港で案内をしていただいた日本航空の方に、「会社が破産する前に入られたのですか」と聞いたら、やはりその前だという。そこで「では、ご心配だったでしょう」と聞くと、
「ええ、人員整理があったり、給与カットがありましたけど、やっとここまで来ました」とお答えになって、その顔は危機を乗り越えて自信にあふれていた。遠く日本での会社経営の躓きが、危うくこの方の人生設計に不幸をもたらすところだった。救われて、つくづく、良かったと思う。そのついでに、我々が今晩から泊まるこのホテルについて聞くと、「ああ、ピンク・パレスって言われています。外観も部屋の中も、みんなピンクなんです。お高いんですって。隣のシェラトンと同じ経営なので、設備は一体的に使えるそうです。」などと言う。インターネットで適当に予約したので、確かに高かったが、ピンク一色だということは全く知らなかった。

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 ホノルル空港から30分ほどで、ワイキキの浜辺を見渡せるそのホテルに到着した。ホテルの浜辺に面したレストランで、朝食をいただいた。ウェイターさんが「This is for the baby.」といってパンケーキを渡してくれた。するとすかさず初孫ちゃんが「I'm not a baby.」といって抗議し、ウェイターのおじさんがタジタジとなったので、「これこれ、そんなことを言うな。」と一応たしなめたものの、二人の表情が面白かった。一寸の虫にも五分の魂といったところだろうか・・・将来、日本だけでなくアメリカでも仕事をしなければならないだろうから、それくらい自己主張するのでちょうど良いと思う。

 ところでアメリカの浜辺は、ホテルのプライベート・ビーチであり、ホテルのプールを抜けたら、そこはもうワイキキの浜辺である。白い砂浜があって、そのすぐ先には、碧味がかった限りなく透明に近い海水が、ザザー、ザザザー、またザザザーと押し寄せ、砂浜の上で白い波をみせて砕け散る。そのたびごとに、磯の香りが運ばれてくるから、それを鼻から胸いっぱいに吸い込む。沖合いをヨットが帆に海風を受けてぐんぐんと勢いよく走り、海水浴客がきゃあきゃあと言いながら、波と戯れている。

 正面の海の方を見てから視線を左に振ると、そこにはハワイの景色を代表するダイヤモンドヘッドがある。明け方、その頭の上から昇る朝日が有名だが、午前中は逆光となって黒く見える。しかし、日が真上に来て西に沈むまでの間は、緑豊かな小さな半島である。それを眺め、再び沖合いを行くヨットを目で追いかけ、白波を立てて砕け散る波の音を耳にすると誠に心地よい。日頃は事件に次ぐ事件の張り詰めた生活なので、なかなか心身の安らぐ暇がないが、今回ばかりは本当にリラックスをした。


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 ところで、初孫ちゃんにとっては、こんな安穏としているところは、退屈で退屈で堪らない。5分もすれば身体を動かそうとする。さりとて、海の中で遊ばせようとしても、海水が大きく砕け散るのを見て「嫌だ。怖い!」と、後ずさりをして決して入ろうとしない。それを見て周りのアメリカ人観光客が笑うが、頑として聞き入れない。

 仕方がないので、浜辺からホテルのプールに戻った。プールを囲んでビーチパラソルが幾つも並んでいる中で、我々が「アラブの天幕」と名付けたものがある。四角いスペースで、中にソファーがあって四隅をカーテンを留めるようにしてあり、外にはリクライニング・チェアーが並んで置いてある。一家でそこに座ったら、たちまち係員がやって来て、半日104ドルだという。でも、風は通るし心地よくて日に焼けないので、そのまま使わせて貰うことにした。冷やしたボトル水とカット・フルーツを持って来てくれたり、そこでレストランに注文して食べられるなど、なかなか良かった。

 ところでそのプールの中で、初孫ちゃんが10人くらいの白人に囲まれて、何かしゃべっていた。耳をすますと、
「What do you say "my friend" in Japanese?」と聞かれて、「お・と・も・だ・ち」などとやっている。それから、グランマ(家内)のところに戻って来て、小声で「グランマ、あの人たち、英語しかしゃべらないんだよ」という。

 それからまた、何人かの知らない観光客たちと話をして、戻ってきて今度は私に話しかけてきた。それは
「I want to go to the another pool. 」と、ちゃんと英語モードになっていたから、笑ってしまう。そこでこちらも、「OK. You can go.」と応じた。

 そのプールで、2歳くらいの日本人家族の子供と遊び始めた。自分もロクに泳げないのに、
「ああするんだよ。こうしてはいけないよ」などと堂々と指南しているから、笑ってしまう。それから、黒人のお姉さんがやってきて、その人と水を掛け合って笑い転げている。それを見ていたのか、プールサイドのベンチでのんびりしていた私の前を通りかかった中年の白人のおじさんが、私に「Is that your boy?」と聞くので、「Yeah!」と答えると、「He's very cute.」つまり「とても可愛い子ですね」と言ってくれるので、「Oh Thank you」と言っておいた。

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 ハワイについたその翌日の晩は、家族皆でカラカウア通りをそぞろ歩き、お腹が空いたからどこか適当なレストランに入ろうということになった。ちょうどそのとき、私がたまたま「Tanaka of Tokyo」という店を見つけた。ホテルの案内にあった店だ。これは、全米のチェーンで有名な紅花オブ・トウキョウと同じような、パフォーマンス付き焼肉店である。家族の皆に聞いたところ、全員がこれにしようと意見が一致して、店に入ったのである。

 エレベーターの扉が開いたとたん、うす暗い照明の下で、鏡と金属の近未来的な装飾が目に飛び込んでくる。よく見ると、あちらこちらに「繭のような島」がある。片側に10人ずつの席が据えられており、真ん中に二人の料理人が背中合わせに立つ。熱せられて水を掛けるとジューっと音がする熱い鉄板の上が、彼らの仕事場だ。まず鉄板の上に野菜がバラ撒かれ、塩と胡椒の金属製の容器とフォークで、カタカタカタッとリズミカルに切って味付けをしていく。それを各人に配る様がコミカルで、お客さんを笑わせてくれる。

 何と言っても圧巻は、玉ねぎをスライスしたものを縦に積み上げ始めたときである。小さなタワーを作るので、あれなんだろうと思っているうちに、それに火を付けた。たちまち、ボウァッと1メートルくらいの高さの炎が上がり、お客さんがわぁーっと歓声をあげる。これこそ料理人が得意満面の瞬間だ。調子に乗って、その炎の中に片腕を通したりする。そうすると、お客さんがわわわぁーと、また驚くから、その反応を楽しんでいるようだ。

 焼肉は、一人一人に焼き方を聞いて、その注文の通りに焼き、切り、配りの作業をリズミカルに繰り返す。昔々に入った紅花の店内では、肉を配るときには、肉をナイフで切ってフォークで突き刺したかと思うと、お客さんの皿の上までポーンと飛ばしたものだが、ここではそこまではしなかった。でも、最後にモヤシを焼くときに、それでハートの形を作るなどして、なかなかのサービス振りだった。家族が喜んだのは、いうまでもない。


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 翌日も、初孫ちゃんは朝から晩までホテルのプールで過ごしたので、我々もまた、あのアラブの天幕にいた。いったんここに入ると、もうあまりに心地よいから、あまり動きたくなくなる。それでも一度、せっかくワイキキの浜辺にいるのだから海水浴をしないで帰るのはあり得ないと思い、初孫ちゃんの手を引っ張って行って、海に入れようと試みたが、前日と同じように怖いと言って逃げ出してしまった。やはり、駄目だった。その代わり、今日はプールの中で、中年の白人のカップルに遊んでもらって可愛い可愛いと言われ、男の人には水泳まで教えてもらっていた。あまりにお世話になったから、そのお二人には、シーフードピザを差し入れしたほどである。

 私はお昼過ぎに、アラブの天幕をいったん出て、ホテルのコンシェルジェに、フラダンスショーを見に行くので、予約をお願いしたいと頼んでおいた。すると、一番良さそうな所はバスで1時間もかかるというので断念した。次の所もやや遠かった。しかし、そもそもなぜそんな辺鄙なところでしかショーをやっていないのか、市内にないのかとコンシェルジェを問い詰めたら、どうやらこれらの施設と「提携している」つまり、キックバックをもらっているらしい。何だという気がして、一番近いところを紹介せよと迫ったら、タクシーでわずか5分のヒルトン・ハワイアンビレッジのラウア・ショーがあるという。

 その場で問い合わせてもらったところ、プレミアム・シートは2人分しかないという。多少、時間が掛かってもよいから、そこをなんとかお願いしてもらい、2時間ほど後にやっと家族全員の席が確保できた。少し、コンシェルジェに仕事をしてもらったので、チップははずんでおいた。ところで、このショーを見終わってホテルに戻ってきたところ、ホテルの中庭に面した廊下で、たまたまこのコンシェルジェに出会ったので、「ショーはとても良かった。ありがとう。家族みんなが喜んでいる。あなたのおかげだ。」とお礼を述べた。すると、
「それは良かった。また次回、良いところを探します。」などと言ってくれた。

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 ラウア・ショーの時間が近づいてきたので、我々は先に行き、大学で実習中の娘だけは後から追い掛けてくる手筈にした。そうはいっても我々はどちらも行ったことのない場所なので、いまどこにいるかを時々刻々、iPhone6のSMSで連絡しあった。これは本当に便利である。日本国内にいるのと全く同じ感覚で使える。

 さて、ヒルトンホテルの中で駐車場のようなところを抜けて、やっと会場にたどり着いた。ところがその会場は、建物の屋上のようなところで、お月さまが見えたりして開放的なのは良いのだけれども、その日はたまたま風が強かったから、体が寒く感じて参った。そこで、後から駆け付けてくる娘に何とかならないかとSMSで頼んだら、ホテルの売店で全員分のバス・タオルを買ってきてくれた。しかも幸いにも、ショーが始まる前に合流出来、それを肩から羽織って寒さ除けにすることができた。

 そのショーは、「女王」と称する肝っ玉母さんのような人の司会で始まった。この肝っ玉母さんには、7人も子供さんがいるという。その語り口は誠に力強く、ポリネシアから海を渡ってきた経緯とか、戦いの様子とかが、男性の踊りで表現されるので、よくわかった。

 それをキヤノンEOS70Dのカメラで撮ろうとしたが、何しろ初孫ちゃんがいるし、じっくり諸元を考える暇もなかった。踊りの舞台は屋外だから、照明の当たり方にむらがあってただでさえ難しい上に、その踊り方が非常に激しいときている。最初は試しに「Pモード」で撮ってみたが、ボケてしまって写真にならない。だからキヤノンの「Tvモード」つまり他社の「Sモード」でシャッター速度を早くし、フィルム感度を12800にしてみたら、今度は暗すぎるしザラザラ感がひどい。じっくり試す暇もないので、「シーン・モード」中の「スポーツ」にしてみたら、1秒間に7枚の高速撮影をして、そのうち1枚くらいは使えそうなものがある。たとえば、踊り子さんがとりあえず上体をそれほど動かさずに腰をちょっと動かす程度で、手に持った飾りを高速で動かしていると、上体や腰は全くブレず、手の飾りはややボケるという臨場感にあふれる写真が撮れる。これで行くことにした。


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 肝心のショーの内容だが、男性の踊りは力強くてそれなりに面白いのだが、やはりフラダンスの華は、女性ダンサーの優雅な踊りに尽きる。しかもいずれも美人揃いであるから、観客の目を釘付けにしている。そうして、誠に優雅な踊りを披露してくれた。最後には、男性が火を使うファイア・ショーを演じて、これも面白かった。

 そういうことで、家族一同、一晩を楽しく過ごすことが出来た。ハワイは、何と言ってもこのハワイアン・ミュージックを聴き、優雅なフラダンスを観ないと始まらない。ショーの帰りは、目をこすり始めた初孫ちゃんをホテルの部屋に送り届け、私と娘だけ、近くのABCに行って土産物を買うことにした。職場のもの、娘と家内のお揃いのハワイマークのTシャツ、初孫ちゃんの学校のクラス、そして初孫ちゃんの二人のガールフレンド向けである。最後のガールフレンド向けには笑ってしまうが、あちらのご家族の旅行のときにもお土産をいただくので、お返しの意味もあるのだとか。


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 ともあれ、無事に帰ってくることが出来た。家内の健康がとても気になったが、一時と比べてかなり良くなり、短い旅程ならこうやって外国旅行まで楽しむことが出来るようになった。それがまず何よりも喜ばしいことである。次に、初孫ちゃんが、結構、英語をしゃべって、それがまた比較的く通じることが分かった。家では依怙地なほど英語は話さないから、その実力のほどはとんと分からなかったが、やはり3年近くインターナショナル・スクールに通わせただけのことはあると思った次第である。でもこれが、日本の小学校に入学すると、すっかり忘れてしまうのではないかと思う。はてさて、どうしたものかと来年4月の入学を前に、思案のしどころである。

 ところで、娘に、「わざわざハワイまで来て、どんな実習をやったの?」と聞いたら、日米の著名な医者の講義のあとで、医者二人に一つの「新鮮な」生首を与えられ、それで手術の技量を大いに磨き、自信をつけたそうな・・・せっかくハワイ・ムードになっていたのに・・・聞かなければよかった。外科医というのも、かなり妙な世界である。もっとも、法律家の世界も、何をやっているかを外からみたら、もっと怖い世界かもしれない。どちらも、最終的には、人の生と死を扱うからだろう。いずれもルーティンの中にどっぷり浸ってしまうと、見るべきものも見えなくなる。ひとつひとつ真剣に取り組むことが大事だと思う。





(平成26年11月25日著)
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