悠々人生・邯鄲の夢エッセイ








 富岡八幡宮 水かけ祭( 写 真 )


 8月14日の富岡八幡宮の例祭を見物に行ってきた。これは深川八幡祭とも言われ、赤坂の日枝神社の山王祭、神田明神の神田祭とともに「江戸三大祭」の一つとされているそうだ。3年に1度の本祭りでは、4.5トンもの重さの日本一の黄金神輿(御鳳輦・一の宮)が渡御を行い、加えて120数基もの町神輿が担がれて連合渡御するという。しかし残念ながら、昨年が本祭りだったので今年は陰祭りの年に当たるから、その年には一の宮の神輿ではなく、宮神輿(二の宮)が渡御する。それでも、重さは2トンだという。その2つの神輿が、大鳥居を越えた左手にある神輿庫に並んで飾ってあった。

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 私が行った14日は、子供神輿の渡御で、総数54基も出るという。「ワッショイ、ワッシヨイ」という掛け声とともに、大通りを次々に神輿がやって来る。富岡八幡宮への参道に入るところで、待ち受けている白装束の神職らしき3人から、水をこれでもかというばかりに浴びせられる。担ぎ手への清めの水だそうだ。いや、これは激しい。江戸っ子、それも深川の威勢の良さそのものだ。強いて言えば、「江戸の粋を今に伝える」というのが、この八幡宮の説明だ。

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 せっかく来たのだからと、お参りの後に、おみくじを引いたら、 【中吉】さし出ずる朝日の影もうららかに 枝も鳴らさぬ千代の松ヶ枝 【運勢】わざわい自ずから去りて幸福となり、波風なき運なり、但し心おごりて無理をなすときは運が崩れて金銭に苦しむなり、というのが出たが、まあ、当たっていると思う。

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 境内の一角に横綱力士碑なるものがあるので、何かと思ったら、江戸時代に100年間ほど、ここ冨岡八幡宮で相撲の興行が行われていたそうだ。その間、定期興行制や番付制度が確立されて、興行場所が本所の回向院に移っていったという。まさにこの地が、江戸の庶民文化の中心地だったわけだ。

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 そう思うと、お神輿の威勢のいい掛け声と、バシャバシャかけられる水の勢いがいいのも、分かる気がする。上京してきて、かれこれ半世紀近くになるが、これほど江戸の庶民文化の華のような行事を見たのは、これまでなかった。

 15日は、大人神輿があるかと思ったら、案に相違して前日の子供神輿の中に混じってやっていたという。そういえば、大きなお神輿もあったが、てっきり子供ばかりかと思っていた。確かに、今年は、陰祭りの年だった。









(平成28年8月15日著)
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