私も、いささか歳をとってきたせいか、日本の伝統文化に興味を持つようになり、機会があれば、ジャンルを問わず、なるべく見聞きするように努めている。各地のお祭りを見に行くのもその1つで、それだけでなくつい先ごろの弘前ねぷた見物では、津軽三味線の演奏を聴いて、感激した。
それとは全く別の話であるが、先日、岐阜の鳳川芸伎連(ほうせんげいぎれん)の舞妓喜久豆さんの踊りと、幇間喜久次さんの舞妓さんについての話を聞く機会があった。それを材料に、印象に残った舞妓さんに関する豆知識を記しておきたい。
舞妓さん姿の上から下の順で話を進めていくと、まず頭については、もちろん日本髪を結っているが、これはカツラではない。あくまでも地毛を結うもので、1週間おきに結い直す。その間、髪型が崩れてはいけないので、高枕で寝るそうだ。髪型は、その日は「われしのぶ」という江戸時代の娘さんの髪型だった。髪に刺す花かんざしは、三角の羽二重(絹布)を摘んで三角形にして糊でとめて繋いでいくので、摘み細工という。その花の種類は、1月は松竹梅、2月は梅、3月は水仙、4月は桜、5月は菖蒲、6月は紫陽花または柳、7月は団扇、8月はススキ、9月は桔梗、10月は菊、11月は紅葉、12月は招きというように、毎月変えていく。花かんざしにぶら下がっている通称「ブラ」は、これがあるのは1年生の舞妓さんで、まだ幼いという位置付けだそうだ。それで、2年生、3年生となるにつれて、ブラがとれ、花かんざしも減っていき、要は「お姉さん」になることを意味する。芸妓さんになると、花かんざしなどは付けずに、鼈甲のかんざしなどの粋な飾りになっていく。
顔は、江戸時代から変わらない化粧法で、白粉(おしろい)、紅(べに)、眉墨(まゆずみ)の3色だけからできている。これは、江戸時代の行灯(あんどん)の下で最も美しく映えるようにできている。歌舞伎役者と同じである。もっとも歌舞伎の場合は、悪人だと化粧に青色、物の怪だと茶色をそれぞれ入れたりするが、舞妓さんの場合はこの3色だけだそうだ。紅は、最初は、下紅(したべに)つまり下唇だけにしか付けていない。これは、1年生の舞妓さんの特徴で、2年生になると、上唇にも付ける。これも、大人の女性の色香を表わす仕掛けである。化粧は、各自が自分でする。最初は色むらが出るが、慣れてくれば自分の顔の形がわかり、コツものみこめてくる。
襟の刺繍は手縫いで、何十万円もする。舞妓さんの初めの頃は赤い刺繍だが、次第に年季がいくにつれて白が増え、最終的には白の正絹で埋めつくされる。これを襟変えといい、舞妓さんを卒業して芸妓に変わることを意味するそうだ。振袖や肩には、わざと縫上げを作っている。これは、子供なんだという印のようなもの。昔は11〜12歳で舞妓になっていたが、今では府県の条例で岐阜では18歳からしか舞妓になれないので、せいぜい21歳で舞妓を卒業してしまう。
帯は、自分では締められない。プロに締めてもらわないと緩んでくるし、汗が出る。それというのも、汗腺が脇の下に当たる胴の部分にあるので、そこを帯できつく締めることで、汗が出にくくなる。帯どめは、舞妓さんの場合は「ぽっちり」といい、珊瑚、瑪瑙、水晶、真珠などの宝石で出来ている。高価な宝物で、各置屋で代々の舞妓に受け継がれている。
裾は「裾引き」、別名「お引きずり」ともいうが、これは江戸時代の正装であり、大奥などでは、このスタイルである。今でも料亭で廊下に畳が引いているところでは、このお引きずりで歩くと、優雅な姿で、しかも衣摺れの音がして、なかなか良い。しかし、地方色があって、京都やこの岐阜ではお引きずりだが、名古屋にいる2人の舞妓さんや秋田では、引きずっていない「おつぼり」である。襟足は、江戸時代は美のポイントで、細く長く見せるために、ここにも白粉を塗った。三本足の「M」字型に塗るのは「もんぴ」といって、特に型があり、黒紋付を着る特別な日のお化粧法である。帯の形は、舞妓さんの場合はだらりの帯だが、岐阜では舞妓は鵜飼舟に乗ってお客のお相手をしなければならないので、それでは邪魔になる。そこで、「矢の字崩し」にしてあるそうだ。
(平成28年8月20日著)
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