悠々人生・邯鄲の夢エッセイ



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 先日、私の自宅近くのマンションの部屋について、その摩訶不思議な価格設定に驚いたものである。それからわずか2週間しか経っていないが、この年末の休みは、東南アジアに滞在している。当地にいると、日本と比較して、まるで冗談のような面白い話が色々と聞ける。そこで、今度は東南アジアの不動産事情について、記しておきたい。

 まずシンガポールといえば、日本を遥かに凌ぐ経済発展を遂げて、大成功を収めている国であるが、その唯一の泣きどころは国土が狭いことである。だから、フェリーで50分のところにある隣国のインドネシアのビンタン島で、政府間の共同プロジェクトによりそこを一大リゾート地にして、シンガポール経由の観光客を誘致して成功している。土地はないが、知恵と商才があるので、他人の土地を借りて商売をしているようなものだ。同様にマレーシアとの間でも、シンガポールに面するジョホール州において、両国政府で共同開発するイスカンダル計画が進行中である。これは、マレーシア国内の未開発地域を利用して、シンガポール並みの経済発展地域をその3倍の規模で作ってしまおうという野心的なプロジェクトである。

 ただこのイスカンダル計画には、難しい課題がある。シンガポールがなぜあれほどの発展を遂げたかというと、リー・クアンユー元首相の類い稀な指導力と、クリーンで能力の高い政府があったからこそである。ところが、マレーシアはというと、かつては立派な世界観を持ち強力な指導力があったマハティール元首相がいた。その路線で今や中進国から先進国への仲間入りをしようとしているが、このところ足踏みが続いている。というのは、その後継者について指導力に不足があったり、1MDBを通じた腐敗の影が見え隠れしたりするという有り様である。市場はそういう政治の混乱を見てとったかのように、通貨のリンギットは対ドルで下落が止まらない。そういう意味で、マレーシア・ジョホール州でのイスカンダル計画の先行きを懸念する向きもある。

 日本でも、ジョホール州のイスカンダル対象地域で売り出されているマンションの広告を、しばしば目にする。私は、退職後は家内と2人で京都や奈良に長期滞在するのもいいな、いや場合によっては、かつて住んでいたシンガポール・マレーシア地区のマンションを購入して、そこでしばらく外国暮らしてもよいなと思っていたので、現地の不動産事情がどうなっているのか、大いに関心があった。そこで、機会があれば見聞してみたいと思っていたところ、このたび、たまたま日本人を対象とするマンション説明会に参加することができた。実は、その説明会そのものよりも、そこで参加者から聞いたよもやま話の方が、はるかに面白いものだった。

 その人は、クアラルンプール郊外の日本人街といわれるモント・キアラに住んでいて、都心の「ゴールデン・トライアングル」といわれる日本で言えば、丸の内と銀座を合わせたような経済の中心地で仕事をしている。そこから、車で15分ほどの小高い丘の上に立つ38階建ての高級マンションの34階の一室を購入し、そのオーナーとなった。ただ、住居表示は33Aだという。なぜなら、中国人の間では「4」という語は、死を連想させて、よろしくないからだそうだ。ついでに言うと、そのマンションでは、エレベーターにも「13階」「14階」という表示はなくて、それぞれ12A、12Bとなっている。そのように、当地では、縁起担ぎは徹底している。

 そのオーナーが、「まあ、見にいらっしゃい。」と言ってくれたので、説明会に出た何人かと一緒に、お言葉に甘えてそのマンションにお邪魔した。建物を見上げると、高層マンションだけあって、確かに他の低い建物群を睥睨するように建つ、実に立派なマンションである。もちろん、敷地は高い塀に囲まれていて、入り口にはガードマンが24時間張り付いており、出入りする人や車をチェックしている。出入りの車には、白色のカードが渡されており、それをカメラにかざすと、ゲートが開く仕組みである。カードが斜めに提示されても、ちゃんと反応するから、上手く出来ている。建物に入るときもガードマンがいるし、その同じカードを読取り器械に提示しないと入ることができないし、エレベーターも動かない。なるほど、これは安全だ。

 その部屋は、日本人の感覚では、実に広くて立派なものである。150m2もあるそうだ。ベッドルームが4つ、リビングルームは広々とし、台所は少し狭いとはいえ、ユーティリティ・ルームとサブ・スペースを合わせれば、我が家のリビング・ルームほどもある。天井も高い。3mはあるのではないか。部屋の外に目をやると、眺めは非常によい。かたや街の高層ビル群が、もう一方では山々が見える。何と素晴らしい眺望だろう。

 こういうところに夫婦で住み、美味しくて価格も手頃な当地の中華料理を堪能し、社交クラブで気の置けない仲間と談笑して共にゴルフを楽しみ、時間があれば同じマンションの8階に降りて行って、ジムで汗を流し、卓球をし、プールで泳ぐというのは、人生最高の贅沢ではないか。アストロという衛星放送で日本のNHKの国際放送を観られるし、日本人コミュニティもしっかりしている。お金を出せばちゃんとした医療サービスも受けられる。我々は2人とも英語を話すから、ローカルの皆さんとの意思疎通は十分にできるので、全く問題はない。

 日本はもう、人口も減る一方で、経済成長は望めない。ところがこの国は、若者が多く、教育もしっかりしていて石油や天然ガスという資源が豊富であるし、電子機器などの工場が数多く立地していて国際貿易が順調に発展している。年に何ヶ所も大型ショッピングモールが開業し、行くたびに街の様子が変わっていて、どこもかしこも燃え立つようにギラギラと成長に向けて走っている。新しい大型ショッピングモールを歩くたびに、こんな熱気がこれからの日本にあるだろうかと寂しくなるのは、私だけではない思う。いずれにせよ、これだけ沸き立つような社会だと、新しく見たり聞いたりすることがとめどもなくあるはずだから、退職後にこちらに移住しても、認知症で惚けているいとまがないと思うくらいだ。

 話は横道に逸れたが、このマンションの部屋は、本当に良くできている。入り口の瀟洒な鉄格子とは思わせない飾りグリル、造り付けの家具、美しく機能的な台所と洗濯部屋など、素晴らしい。ところが、よくよく聞いてみると、これらは全て、この人自身が注文して作らせたそうだ。日本だと、新しくマンションを買うと、それなりの装備が何から何まで備わっているから、そこに住む人は、ソファー、ベッド、家具や電気製品は別として、極端に言えば、照明器具さえ買って取り付ければ、すぐにでも住める。

 ところが、このオーナーは、マンションの引き渡しを受けて半年ほどかかって改造をして、やっと人が住める状態にしたという。つまり、引き渡しを受けた状態では、とても住めるものではなかったという。たとえば、

 (1) 入り口に防犯グリルがなく、木のドア1枚だから防犯上危険、
 (2) 部屋の中のコンセントの数が不十分で 置きたいところにテレビ、照明、空気清浄器などを置けない、
 (3) 天井に配線コードがむき出しでそのままでは照明や天井扇が付けられない、
 (4) このクラスのマンションでは、造り付けの家具が普通であるがそれがない、
 (5) シャワールームには温水器が必須であるが、水しか出ないしそのための配線がない、
 (6) 台所に換気扇がないので付ける必要があるが、外壁にそのための穴すら開いていない、
 (7) 台所のシンクの品質が悪く気に入らないので全部を輸入品に替えた、もっとすごいのは、
 (8) 洗濯部屋に見えたところが実はバルコニーだったのを、壁を作って小部屋にしてしまった、という。

 いやはや、こうなったら、新築マンションというのは単に材料にすぎず、大幅な改造を要するということだ。そうでないと住めない。だから半年もかかって一分の隙もない部屋を作り上げたのかと納得した。

 しかもそう単純な道のりではなかったらしい。まとめて改造を請け負う業者は見当たらない。だから、仕事を分けて、自分で別々のコントラクターにやってもらうことにした。まず、電気の配線のやり直しと各部屋の照明、天井扇の取り付け、コンセント増設は電気屋、造り付け家具は大工、台所のシンクの取り替えは水道屋、洗濯部屋への改造はミニ工事屋といった具合である。

 これらコントラクター相互の調整はもちろん大変だったが、それより個々のコントラクターの勝手な振る舞いに悩まされたらしい。中でも一番に難航したのは電気屋で、当初2ヶ月の工期の予定が何だかんだと延ばされ、結局4ヶ月半もかかったそうだ。これができないと家具が取り付けられないので、さんざんやり合ったが、あまり強く出たりすると、仕返しに漏電するような仕掛けをされても困るので、何とか宥めすかして、仕上げてもらったそうだ。なるほど、これは奥が深い。あるいは、大工が途中でストライキを起こし、追加料金を求められたりしたという。そういう名うての連中と渡り合って、何とか人が住めるように完成させたときは、もう感無量だったそうな。さもありなん。それにしても、歳をとって海千山千のこんなコントラクターとの交渉など、できるはずもない。

 ところで本題のこのマンション価格はといえば、日本円で3,900万円、改造費と家具や電気製品の購入費が600万円で、合わせて4,500万円だそうだ。広さとロケーションを考えると、まあまあの値段である。このオーナーは、自分でコントラクターと交渉してやり遂げたが、探せばそういう面倒な改造を請け負ってくれる業者がいるはずだと思う。しかし、私はそこまで熱心になるつもりはないので、特に調べてはいない。なお、当地の人々は、新築物件を売るのになぜオーナーの改造を前提にしているのだろうかとか、買う側としてはなぜ面倒な改造をしようとするのかという点が疑問に思うところである。これについては、「当地の人の気質が、他の人と同じ家は嫌で、自分独自の仕様の家にしようとする嗜好が強い。そのためには、良いものなら少しでも安く手に入れる交渉も厭わない」からだそうだ。

 確かに、当地の人は、市場の商人やコントラクターなどと、日常的に交渉し、阿吽の呼吸で値切る習慣があるから、そういうやり取りが生活の中に自然に組み込まれている。ところが、私を含めて今の日本人はもう、このように値切って1円でも安くという日常生活の習慣を失っているから、日頃の細々とした買い物ならともかく、不動産のような大物を本音の値段にまで値切るのは、なかなか難しいだろうと思う。かくして、当地でのマンション購入は、ますます遠のいた感がする。2〜3年程度滞在するのなら、やはり、賃借した方が無難である。

 ただ、日本の場合、マンションは新築が好まれるのでその価格は買った途端に下がりだし、10年もすれば半額になることも珍しくない。ところがこちらは、立地条件がよければ、オーナーが手を加えた分だけ値上がりし、不動産市況にもよるが、買ったときの価格より、はるかに高く売れることが多い。たとえば、10年物のマンションでも、周辺の地価が上昇して2倍近い価格でも売れることがあったという。それだけ経済が成長している証左なのである。残念ながら、日本では、東京23区以外では、望むべくもない。経済の勢いの差とはいえ、いささか寂しい限りである。おっとまた、老経済大国日本についての、老人の愚痴になってしまった。





(平成29年 1月 1日著)
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