悠々人生・邯鄲の夢エッセイ



法正寺の枝垂れ桜




 塩山へ桃と桜の旅( 写 真 )は、こちらから。


1.満開の桃の花と桜の古木

 桜の染井吉野の季節が終わってしまった。例年に比べて今年は3月下旬に入って急に暖かくなったことから、開花がかなり促進されたようだ。この間、私は今年も「桜の季節」が到来したとばかりに、都内をはじめ、横浜や鎌倉や小田原にまで桜の撮影に出かけた。昔は、単に満開の染井吉野がずらりと咲き誇る桜並木を撮って、大いに感激していたものだ。それも立派な桜の鑑賞だが、昔と違って今の私は、枝垂れ桜や八重桜、それに各地で大切にされてきたような桜の古木に、より関心が向いてきた。例えば、三春の滝桜身延山久遠寺の枝垂れ桜などである。

 ところで、山梨県の甲府盆地では、今が桃の花の見頃を迎えているという。「そういえば、桃の花は、見たことがないな。」と思いつつ、インターネットで調べたところ、塩山に行けば、今まさに満開のようだし、周林禅寺と慈恵寺という古刹に、桜の古木があるらしい。中央本線の特急「かいじ」を使えば、我が家から2時間もかからないで、行けそうだ。距離にして片道107kmだから、往復を買えば大人の休日カードが使えるので、3割引となる。行く気になった。

 ただ、もしかすると塩山駅からの交通の便が良くないかもしれない。タクシーがいないと困ると思って、グーグルで駅前の画像を見ると、南口にタクシーが並んでいるのが見えた。これなら大丈夫かと思ったが、念のためにバスがないかと調べたところ、大菩薩峠行きというバスが1日5本あり、もよりのバス停は粟生野原というようだ。帰りは、盆地を小1時間ほど下って行けばよいし、途中で桃の花の風景を撮ればよいので、特にタクシーやバスに乗ることもないだろうと考えた。


2.周林禅寺


周林禅寺


 塩山駅に到着して南口に出てみると、タクシーが3台も待っていた。最初の車に乗り込み、「周林寺へ」と告げる。するとタクシーは盆地の坂を上がっていき、涸れ川を越えて両側に桃畑が広がる細い道をどんどん進み、寺に着いた。残念ながら、大きな枝垂れ桜は盛りを数日過ぎたようで、目指していたほどのボリュームはなく、いささか物足りないものではあった。しかし、樹齢120年と言われている通りの堂々とした古木で、これに比べると六義園の枝垂れ桜(約60年)は、まだまだ若いという気がする。

周林禅寺


周林禅寺


 天真山 周林禅寺は、本尊が南無延命地蔵菩薩、開山は関秀西堂和尚禅師、勧請開山が大覚道隆大禅師、開創が大亀2年(1502)の室町時代だと書かれていた。せっかく来たので、お参りさせてもらった寸志として賽銭箱に何がしかのお金を入れて、再び、古木と向き合った。手前に「ぼんぼり桜と名付けました。」という趣旨のことが書いてあるのに気がついた。素朴な表現でそれほど悪くはないが、せっかくのお寺さんの命名であれば、古今東西の仏典を渉猟して、もう少し学のあるところを見せてはどうかと思った次第である。枝垂れ桜の枝が門の半ば近くまで覆っていることから、例えば「雲門桜」というのはどうだろう。100年後には、門全体を覆うかもしれない。ちなみに、雲門というのは、五代の末より北宋にかけて隆盛を極めた禅宗の一派である。

周林禅寺から見た桃の花と菜の花


桃の花


 お寺の周囲を見渡せば、まさに桃の花が満開だ。あちこちで農家の方が総出で、桃の木の摘花を行っている。良い実を作るには欠かせない作業だが、摘花後は花の数が極端に少なくなるので、写真を撮るにはいささか寂しくなる。それでも、カメラのファインダーを覗くと、遠くの蒼い山並み、近くのピンク色の桃の花、手前の黄色い菜の花が一望の下に見えて、なかなか美しい。また、あちらこちらのお宅の庭に、花桃が美しく咲いている。白色、ピンク色、それらが混ざったもの、赤色、それに真紅色の花まである。また、瑠璃色のネモフィラ、赤色、青色、白色の芝桜、藤色のルピナス、薄紫色の花大根、黄色い水仙、それにカラフルなチューリップと、大いに花盛りだ。

ネモフィラ


花桃


花桃


花桃


芝桜


芝桜





3.慈雲寺


	小学校の桜


 さて、周りの写真を撮り終えて、慈雲寺に向かった。グーグル・マップの道案内を使うから、道を間違えることはない。便利になったものだ。ただし、この地図では高低差が表現されないので、現場に行ってみてすごい坂であることに気付くことがよくある。この日も、慈雲寺への道がそうだった。途中、左手に桃畑があり、右手に小学校があった。その敷地に沿って、大きな染井吉野の桜が満開である。それを撮っていると、小学校から子供たちが出てきて、大きな声で「こんにちは!」と、挨拶してくれた。最近の都会では、知らない人には挨拶しないようにという妙な教育が徹底されているせいか、たとえ同じマンションに住んでいても、挨拶もせずにブスっとしている子供がほとんどだ。それからすると、こちらの子供たちの挨拶は、誠に気持ちが良い。人間、こうでなくては・・・私も、大きな声と笑顔を返した。

紫ルピナスと桃の花


花大根


 あと数分で慈雲寺というところで、年配のおじさんと一緒になった。年配といっても、私と同年代だ。その人が「どちらから来ましたか」と聞くので、東京ですと私が答えると、「ああ、同じだ。青春18切符を使って鈍行で来ました。」などという。なるほど、そういうやり方もあったのかと思った。ただ、私には無理だ。第一に暇がない。第二にあんな鈍行電車の固い直角の座席に長時間座っているのにまさる苦痛はないからだ。

天龍山 慈雲寺


樋口一葉の像


 そうこうしているうちに、慈雲寺に着いた。天龍山 慈雲寺は、臨済宗妙心寺末、暦応年中(1337〜42年)に夢窓疎石が開創、境内の糸桜は山梨県指定天然記念物という。こちら塩山は、樋口一葉の両親の里らしい。寺の入り口近くに一葉の上半身の像があったが、顔がまるで西洋人形のような小顔で、一葉の写真(五千円札)と似ても似つかないので閉口した。入り口の門の左手には、立派な枝垂れ桜があった。進んで行くと、奥の本堂の前に「糸桜」と呼ばれる実に大きな枝垂れ桜があった。こちらも周林禅寺のぼんぼり桜と同様に、盛りを数日ほで過ぎていて、いささか残念であった。まあしかし、その桜の古木としての威容を十分に感じさせるものだった。本堂では、住職さんが参拝に訪れた人々の御朱印帳にせっせと書いておられる。

カワヅサクラ


素朴な焼き菓子


慈雲寺入り口の門の左手にある立派な枝垂れ桜


花桃


奥の本堂の前の「糸桜」


 私はそういう趣味はない。さりとて少しはお布施をしようと思って、抹茶をいただくことにした。寺の名称が押された素朴な焼き菓子が付いてきた。それで一服して周りの人々を見渡せば、近在の農家のような方々が多かった。それから立ち上がって薄くて品のあるピンク色の花のところまで行くと、「ハナモモ」という札が掛かっていた。その隣には桜の花だが中心に行くに連れてピンク色が濃くなるのがあって、何だろうと思ったら、「カワヅサクラ」とあった。本拠地の河津では、もうとうの昔に散ってしまったと思うが、こんな離れた場所で、まだ健気に咲いていたとは驚きだ。


4.法正寺


滝見山法正寺


滝見山法正寺の立派な枝垂れ桜


 そのお寺を出た後、塩山駅に向けて歩き始めた。狭い農道のようなところをビュンビュンと軽自動車やトラックが走り過ぎるから、注意して歩く。しばらく行くと、法正寺というお寺さんがあった。インターネットでは検索に出て来なかったところだ。一瞬、通り過ぎようとも思ったが、「せっかくここまで来たのだから、これも何かのご縁だ。」と思い直して、お参りすることにした。実はこれが大正解で、満開の枝垂れ桜が重たそうに桜の花を一杯に付けて、待っていてくれた。これは素晴らしいと、思わず心の中で呟いた。

滝見山法正寺


滝見山法正寺


 滝見山法正寺は浄土真宗本願寺派ということだが、こういう伽藍配置なのだろうか。門をくぐると奥の本堂に至るまでの間に2階建の鐘楼のような建物があって、その半分を覆うように満開の枝垂れ桜の枝が被さっている。いやもう、その見事なことといったらない。遠目から眺めたり、近づいて見上げたりして、飽きることがない。花の色のピンクが濃くて、とても華やかだ。私の好きな六義園の枝垂れ桜も、あと50年もすればこうなるのかもしれない。そう思うと、「よく生きてきたな。これからもずっと頑張って。」と労いの言葉をかけてやりたいほどだ。

桃の花と菜の花


 しばらくして、お参りさせていただいた印に、またお賽銭箱に幾ばくかのコインを入れた後、塩山駅まで歩いて行った。下りなので非常に楽だ。途中、ほとんど水のない重川(おもがわ)という川があり、その辺りで道が曲がりくねっていると思ったら、橋の架け替えを行っていて、それが出来れば道がもっと直線的になる。そこを過ぎて駅の前には甘草屋敷なるものがあったが、写真をたくさん撮って疲れたので、立ち寄らずにそのまま帰京することにした。

鈴蘭水仙


紫躑躅


アザミ


レンギョウ








(平成30年4月8日著)
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