悠々人生エッセイ



葛西臨海公園の大観覧車にて




1.腕白小僧がやって来た

 我々夫婦は、2人の子供を育て上げ、その子供達はとうの昔に独立して家から出て行った。それ以来既に10年近くになるが、ついこの間まで、子育てなどという話にはとんと無縁で、老境にさしかかりつつある夫婦2人だけで静かに暮らしていた。週末になれば、夫婦でちょっとした旅行をしたり、家内は買い物、私はテニス、時には花やお祭りの写真を撮りに行ったりしていたものである。娘と息子は家庭を持ち、それぞれに孫が生まれて、ときどき会いに行き来していた。ところが、2年前のこの季節に、全く予想外のことが起こった。娘一家が私達と同じマンションに引っ越してきたのである。それ以来、老夫婦2人の静かな生活が一変して、4歳(当時)になった腕白小僧の孫と暮らすことになった。

 それまでの娘一家の生活の様子は、時々訪れていたから、知らないわけではなかった。娘は東京の国立大学の医局に属する外科医として、早朝から深夜、時には明け方まで働いていた。長時間の手術の時などは、飲まず食わずの立ちっぱなしという重労働である。他方、旦那さんは会社員で、こちらも仕事で大忙しという共稼ぎ夫婦である。そういう中で授かった赤ちゃんなので、しっかりと育てるために娘は転職して民間病院に移った。

 そして、ようやく見つけた私立の保育園とベビー・シッターで、何とか日々を凌いでいた。しかし、子供はどんどん活発になる一方、自分たちはじっくり子育てをする時間がない。しかも、ベビー・シッター任せでは、十分な躾や生活習慣を身に付けさせる暇もない。それに、英語に親しませるためにインターナショナル・スクール系の幼稚園に入れたいなどと色々な動機が重なり、そのためには我々のマンションが便利ということになったらしい。


2.子育ては試行錯誤の連続

 孫が通う幼稚園は、インターナショナル・スクールに併設されているもので、毎日、その幼稚園のバスが決まった時間に迎えに来るから、それに乗せる。帰りも所定の時間にバスから降りて来るので、家内がそれを迎えて夕食を食べさせ、お風呂に入れて親が帰って来るまで預かるというものである。家内の健康が必ずしも万全ではないし、親も忙しくて大変だということで、私も応分に協力しようと、毎日のお風呂と日曜日丸一日の世話を引き受けることにした。

 私が若くて自分の子供がまだ小さかった頃は、どの父親も似たり寄ったりだったと思うが、仕事が忙し過ぎて子供の寝顔しか見たことがない日々が何週間も続いた。だから確かに小さい子供はいたけれど、その相手をした経験などない。いわば、子育ての初心者のまま、ここまで来てしまった。

 まずはお風呂の担当をしたが、何をするのも手探りの状態である。幸いにも、湯船には喜んで入って機嫌良くおもちゃで遊んでくれるのだけれど、体を洗う段になるとどういうわけか顔に水が掛かるのを極端に嫌がって、少しでも掛かろうものなら大騒ぎする。だから、髪を洗うどころではない。これには閉口した。そこで、私の両膝に背中を置いて仰向けに寝かせ、美容院のスタイルで髪を洗ってあげた。

 しかし、このままでは駄目だと思い、プールに通わせることにした。プールなら、顔に水が掛かるどころではないからだ。ところが、何回プールに通っても顔を水に浸けることが出来なくて、初心者の域から抜け出せない。思い返せば、実は私も同じように不器用だったから、孫を笑えない。ともかく気長に待ち、ようやく一年が過ぎた頃、突然、目を開けて潜ることができるようになって、めでたく進級することが出来た。家に帰って、皆でお祝いしてあげたら、本人は非常に嬉しそうだった。こういう小さな経験が、将来、やれば出来るという自信につながるといいなと思う。それはともかく、これと同時にお風呂で頭から水を掛けても平気となり、今では自分で頭を洗ってくれている。

 夜は、午後8時過ぎには孫を寝かせる方針だが、親はそれより相当遅くに帰って来る。だから、初めの頃は帰ってきた親が寝ている孫を抱きかかえて自室に戻っていたが、冬は寒いし体も重いしで面倒になって、そのまま我々の寝室に寝かせ、翌朝は我が家から直接、幼稚園に行くことにした。こうなると、ほとんど同居しているようなものである。

 寝ている孫は、起きて喋っているときとはまた別の顔をしていて、とても可愛い。でも最初はその身体の仕組みがよくわからないので困った。例えば、冬の寒い時でも半袖シャツ1枚で寝る。そして、1時間もすれば大汗をかく。大人では考えられない。しかし、汗をかいたまま放っておくと、今度は自分のかいた汗で衣服が濡れて風邪を引きかねないから、着替えさせる。

 明け方になると、一転して足が冷たくなってくる。その時にしっかり靴下を履かせないと本当に風邪を引くという塩梅である。幼児なのでどうしても寝相が悪く、部屋の中を寝ながら隅から隅まで転がって行ったりする。だから、布団を被せても直ぐに跳ね除けてしまう。色々と試した結果、冬は、寝静まって汗が引いてから厚手のちゃんちゃんこを着せ、どこへ転がって行ってもよいようにした。


3.物真似上手の運動好き、冗談もわかる

 こうして一緒に暮らし始めると、孫はなかなか面白いキャラクターであることがわかった。孫は当初、火山の噴火や水しぶきなど、派手なことが好きだった。それなら花火を面白がるかもしれないと思って、夏になるのを待ち、我孫子で開催された花火大会へ連れて行った。夜の帳が下りた頃、前口上のアナウンスがあって、大きな花火が大空いっぱいに広がったかと思うと、ドドーンという大音響を耳と身体で受ける。怖がるかなと思ってふと横にいる孫の顔を見ると、うっとりした顔つきをしている。それどころか、「うわーっ、あれあれ、見てぇー」、「あーっ、あっちもーっ」、「うわぁーっ、凄い凄い」と歓声を上げ続けている。そして極めつけは、まるで淀川長治さんのような口調で「おじいさん、花火って面白いねぇ」という。

花火大会の大尺玉


 こうして花火見物の経験をした孫は、早速これを毎日の遊びに取り入れた。まず、部屋の真ん中に、積み木で基礎を作り、それにサランラップの芯の筒を置く。これが打上げ台というわけだ。その上で部屋の電気を消す。テレビのリモコンをマイク代わりに持って、アナウンスをし始める。「皆さん、これから花火大会を始めます。立ち止まらないで下さい。寝ている人は、起き上がらないで下さい。」という。後半は何のことか理解できず出鱈目だが、それなりに様になっているから可笑しい。

 しかし、それより驚いたのは、花火の物真似である。打上げ台の筒の方へと両手をもって行き、その下段から始まって両手を下から上方へと動かしつつ「ヒューッ、ウーゥーッ」というお得意の高周波音の叫びを長く続けたあと、ひと呼吸おいて、両手を広げて「ドドドーン」と花火を爆発させる。それが上手いの何のって、見物している家中の者が腹を抱えて笑い転げた。これが打上げ花火の大尺玉なのだそうだ。

花火見物の遊び


 次いで「ドドドッ、ドドドッ、ドドドッ」と続けるから、何かと思った。間を置かずに「パパッ、パパッ、パッ」とやっているのを見ると、ははぁ、これは仕掛け花火だ。なかなか芸が細かい。これにも家中が大笑い。笑い過ぎて、お腹が痛くなる。その痛さが収まらないうちに、また大尺玉の打ち上げの物真似をやった。しかもバーンと花火が弾けるときに細かく千切った色紙まで撒き散らしたので、家中が笑い過ぎてしばらく立ち上がれないほどだった。

 日曜日のお相手については、子供だから青空の下で思い切り遊ばせる方が良いだろうと考え、季節の良いときには、立川市にある国営昭和記念公園や葛西臨海公園の西なぎさに行き、朝から日が暮れるまで、自由に遊び回らせた。大きな原っぱを走り抜けるときなどは、必ず孫と走る競争になる。孫がまだ4歳の頃には私が負けるなどあり得なかったが、5歳になった頃から勝ったり負けたりの良い勝負となり、6歳の今では、速度と持久力のいずれの面でも、とても敵わなくなった。最近は、全速力で走り去っても、途中で足踏みして私が追い付くまで待つという、小憎らしい配慮までしてくれる。

 昭和記念公園には子供用の遊具が豊富なので、キャアキャアと叫びながら、実に楽しそうに遊ぶ。葛西臨海公園では、日がな一日中、海に向かって黙々と石を投げるのを好む。あまりに暑いときや寒いときには屋外を避けて、屋内の子供の遊び場に連れて行く。料金は少し高めだが、トランポリン、ボール・プール、大型の積み木などがあり、お友達を作って遊び回り、つい帰る時間を忘れるほどだ。

 孫が我が家に来た当初は、テレビを見たこともなく、飴などの甘い物も与えられておらず、まるで文明開化以前の状態だった。親にはそれなりの理屈があるようだが、目と耳からの情報なくして現代社会は生きられない。だから厳選したテレビ番組を見せた。NHKでもなかなか面白い子供向けの番組をやっていて、「きかんしゃトーマス」、「ひつじのショーン」、「おさるのジョージ」、「ピタゴラスイッチ」などは、よく見ている。先日はピタゴラスイッチの真似をして、木製のレールを縦横に使い家の中に同じような仕掛けを作り上げ、いろいろと苦労した挙げ句にやっと実際に動いたときには、一緒に感動した。また、子供だから甘い物を適度に食べるのは、生きる楽しみとエネルギーになる。

 しかし、ただ与えるだけでは何の勉強にもならない。少しは自分の頭で考えさせないと・・・ある日曜日、遠くの公園でさんざん遊んで電車に乗って帰るときのことである。キオスクで葡萄のグミを見かけ、私はそれを買った。孫が興味津々で見守っている。私が「これは、酸っぱくて、食べると顔がこうなるんだよ。」といって大袈裟に顔をしかめて見せる。すると孫は同情の目で見上げる。そうして私がパクパク食べていると、しばらくして孫が「あのう、おじいさん、ちょっと一ついい?」といいながら、おずおずと小さな手を出してくる。私が「ああ、いいよ。でも、酸っぱいから気を付けてね。」といって、一つだけ、手のひらに乗せてあげた。孫は目をつむってそれを恐る恐る口に入れる。すると直ぐに破顔一笑して「なーんだ。美味しいじゃん。」といって、残ったグミを袋ごと全部取られてしまった。冗談がわかるので、楽しい。

七五三



4.英語の世界で通用するかテスト

 孫が通っているインターナショナル・スクールは、創設者が英語だけでなく日本語も同程度に教えることを重視している。母国語を知らない者は、英語もできないという信念だそうだ。1クラスに先生が2人いて、まず英語の先生が授業をした後、園児全員がくるりと反対方向を向いて日本語の先生が同じことを教えるという具合である。そのせいか、孫は完全な日本語派で、家では英語を話しているのを見たことがない。私が「とんでもなく大きい」というと、孫は「おじいさん、それは品が悪いので使っちゃダメだよ。『この上なく大きい』という方がいいよ。」などといわれる始末だ。これで本当にインターナショナル・スクールに行って英語を学んでいるのかと疑問に思ってしまう。そこで一度それを確かめようと、昨年ハワイ旅行をしたとき、一緒に連れて行った。

 ワイキキの浜辺を見渡せるホテルのレストランで、朝食をいただいていたときのこと、ウェイターのおじさんが注文のパンケーキを持って来てThis is for the baby.といって孫に渡してくれた。するとすかさず孫がI'm not a baby.といったので、ウェイターのおじさんは二の句が継げずに目を白黒していた。なかなか、鼻っ柱の強いところがある。

ワイキキのホテルのプール



 その後、ホテルのプールに行き、我々はプールサイドの「アラビア風」テントでくつろぎ、孫だけがプールに入った。すると大勢の白人に囲まれて、何やらしゃべっている。耳をすますと、What do you say "my friend" in Japanese?と聞かれて、お・と・も・だ・ちなどとやっている。それから、家内のところに戻って来て眉をひそめ、小声で「グランマ、あの人たち、英語しかしゃべらないんだよ。」という。

 そしてまたプールに行き、何人かの知らない観光客たちとひとしきり話をし、戻ってきて今度は私に話しかけてきた。それはI want to go to the another pool. おお、ちゃんと英語モードになっているではないか、笑ってしまう。そこでこちらも、「OK. You can go.」と応じた。それから、プールにやって来た黒人のお姉さんと水を掛け合って笑い転げている。人種の違いに何の抵抗もないようで、結構なことだ。それを見ていたのか、プールサイドのベンチでのんびりしていた私の前を通りかかった中年の白人のおじさんが、私にIs that your boy?と聞くので、「Yeah!」と答えると、He's very cute.、つまり「とても可愛い子ですね」といってくれるので、「Oh Thank you!」と応じておいた。


5.ゴルフ好きの建築家?

 最近ようやく6歳になり、やることなすこと、かなりお兄ちゃんになってきた。私は普段、居間の炬燵の座椅子で読み書きをすることが多いが、ある日帰宅してみると、座椅子の一つがない。ふと見れば、隣の部屋の隅に消えた座椅子があり、その前にダンボール箱が置かれて、その上に先日プレゼントしたばかりのiPadが鎮座している。周りにはお気に入りのキャンデーの化粧箱などが置かれて小綺麗になっている。家内はこれを「コックピット」と呼ぶ。狭いスペースだが非常に快適で、手の届く範囲に何でも揃っているから、言い得て妙だ。孫自身はその空間を「僕のオフィス」と呼んで、暇に飽かせてそこに入り、飴を舐めながら、iPadをやすやすと使いこなしている。YouTubeの子供向け番組を見て一人クククッと笑っていたり、ゲームの世界に浸り世界の綺麗なゴルフ場を回ってゴルフをやっていたりする。

 かと思うと、現実の世界に戻って来て家の中にコースを作り、おもちゃのゴルフ・クラブを振り回してバーディー、イーグルなどと叫んでいる。私も毎晩ゴルフのお誘いを受け、赤いボールとクラブを持たされて、孫の作った廊下のコースを一緒に回っている。孫はiPadでイメージ・トレーニングをしているせいか、打った後のフォロースルーを大きくとるなど、羨ましくなるほどフォームが良い。

 もう一つ、最近凝っていることは、色々な巨大構造物を作ることである。あらかじめ数十個のティッシュペーパーの箱を買い与えてあって、ブロックとして自由に使っても良いということにしている。家内のアイデアだけれど、その良いところは、紙だから崩れても危なくないし、大きなものを作ることが出来るし、それに何よりも嵩張る割には値段が安い点だ。同じような年頃の子供を持つ皆さんにも、お勧めしたい。

 それを積み上げて自分の背の高さよりも高い塔を作り、「これは東京スカイツリーだよ。634メートルもあるよ。」といって1人で悦に入っている。あるいは、部屋いっぱいに展開する建物を作り上げて、東京駅のジオラマと称している。確かに、ティッシュペーパーの箱からできたホームに、レールや新幹線の模型が整然と組み込んであるので、ちゃんと駅らしくなっている。ここまで来ると、もう立派な建築マニアである。将来は建築家になってくれるのもいいなと思ったりする。

インターナショナル・スクールでのハロウィン



6.インターナショナル・スクールならではの悩み

 実はいま、親が悩んでいることがある。孫は、通っているインターナショナル・スクールに良く馴染んでいて、友達も多い。いずれも気立ての良い子ばかりである。それだけでなく、日本語の勉強も英語の勉強も、かなり進んでいる。日本語は平仮名と片仮名をとうの昔に終えて漢字に進み、その意味、読み方、書き順、語源、それを使った作文をやっている。算数も既に足し算と簡単な引き算が出来る。英語圏の子供たちだけでなく、アジア圏の子供も多いから、中国語や韓国語も日常的に話している。だから親としては、この幼稚園からそのままそのインターナショナル・スクールの小学部に入れたいと思っている。

 ところが最近、住んでいる区の教育委員会が、日本の小学校に入らないと学校教育法違反だと連絡をしてきたというのである。「今通っているインターナショナル・スクールは、学校法人になっているのですけれど。」というと、「それはいわゆる1条校ではないから、やはり入学してもらわないと困る。」といわれたそうだ。居住する学区の校長先生に相談に行き、教育委員会の担当者と話し合ったそうだが、同じことの繰り返しに終わったらしい。私はもちろん親権者ではないからこの子の将来にかかわることを決める立場ではないし、また法律の規定からすると教育委員会のおっしゃることもよくわかる。4月の入学を前に、まだ結論は出ていない。

 話は変わるが、私は30歳を過ぎた頃、家族を連れて、東南アジアのマレーシアにある日本大使館に赴任したことがある。そこで、言語の大切さを肌で知った。この国はマレー人、中国人、インド人から成る多民族国家である。中でも中国人(華僑)の皆さんは、相手の顔を見た瞬間、マレー人だとマレー語で、中国人であれば主に広東語で、それが通じない中国本土の人には北京語で、日本人などの外国人となら英語で話し、家の中の家族同士でも時々それらをちゃんぽんにして話す。バイリンガルどころか、トリリンガル、カトリンガル(4カ国語を話せる人)だ。中流家庭以上ではそれが普通なのだから驚いてしまう。

 こういうのは、一体どうやって勉強するのかと不思議に思い、ある日、中国系の幼稚園の教科書を見せてもらったことがある。適当にページをめくると、真ん中にハイビスカスのカラー写真が描かれていた。その右上の隅に漢字で「花」と書いてあり、他の3つの隅に、英語で「flower」、マレー語で「bunga」、中国語(発音表記)で「hua」と書かれている。このように幼稚園児の頃から徹底的に多言語を叩き込んでいるので、これなら語学が出来るようになるわけだと納得した。

 とりわけ中流以上の家庭が力を入れているのが英語教育で、確かにビジネスの世界では、英語能力の有無が、その人の収入の多寡に直結している。それを見て私は、やがて日本も必ずこうなるものと確信した。私の孫の時代が、まさにそうなのではなかろうか。だとすると、せっかくここまで積み上げてきたインターナショナル・スクールの英語教育をなかなか捨てがたいとする、親の気持ちもよくわかる。

 他方、日本の小学校の教育水準の高さと規律の良さは、世界にも誇れるものであり、私の知人のシンガポール人も、小学校だけは日本の小学校に通わせたいといっていたほどである。私も、孫の小学校入学のお祝いにと、ランドセルを買って用意しているところである。そういうわけで、要はやきもきしながら、孫の入学先がどうなるのかを見守っている。




【後日談】  この記事は、「法曹」という雑誌に、平成27年4月号(今から6年前)に書いたものである。インターナショナル・スクールと公立小学校との関係は結局どうなったかいうと、両方に在籍することになった。そして、インターナショナル・スクールが年度替わりの休みに入る6月下旬から公立小学校が夏休みとなる7月下旬にかけての1ヶ月間だけ、ランドセルを担いで公立小学校に通うことにした。

 最初は、インターにはない給食の時間などに戸惑ったようだが、おおむね大過なく過ごし、心配してくださった校長先生や担任の先生をいたく喜ばせた。「友達とも仲良くすごせました。学力も十分にあります。」と認定されて、1ヶ月の通学が終わったときに、年度末の先日付の1学年修了証(?)をもらってきたほどである。

 その後、初孫くんは、今年、東京にある中高一貫校に進学し、晴れて中学生となった。相変わらず、好奇心旺盛で、元気いっぱいである。


(注)記事の中の写真は、筆者の撮影した写真をスーパーソフトウェア社のアプリ「漫画カメラ」により変換したもの。





(平成27年2月27日著、令和3年5月5日追加)
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