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1.タイ北部は未踏の地 タイのバンコクには、仕事とプライベートを合わせると、これまで3回、行ったことがある。会議とゴルフだ。かつてゴルフに熱中していた頃は、バンコクのゴルフ場が4ボール(組)どころか6ボールまで認めて、かつ一人のゴルファーに6人ほどのキャディが付いた。それがまた珍しくて、面白かった。グリーン上に前の組が上がると、その42人がワイワイガヤガヤとまるで蟻のように群がっていたのを思い出す。 2.城壁とお濠の街 チェンマイは、バンコクの北720kmにあるタイ第二の都市である。その旧市街は、13世紀末に王都として作られた一辺1.5kmの正方形の形をしている。昔は周辺の小国や大国ミャンマーとの争いが絶えず、その侵入を阻止するために、城壁とお濠が周囲に作られた。その城壁と濠の一部がなお現存していて、観光客がそれを見物しに集まってきている。 3.ドーイ・ステープ寺院 チェンマイに来たら必ず立ち寄るべき名所として、標高1600mのところに位置するドーイ・ステープ寺院(ワット・プラタート・ドーイ・ステープ、Wat Phra That Doi Suthep)がある。ドーイとは、山のことらしい。曲がりくねった道を延々と登って行き、ようやく頂上近くに着いた所で、簡素なケーブルカーに乗ってやっと到着だ。 4.三人の王のモニュメント チェンマイの街は、16世紀半ばまで、ランナータイ王国の首都であった。この像の中の中央の(ランナータイ王朝をつくった)マンラーイ王が主導して、右側の(スコータイ王国の)ラムカムヘーン王、左側の(パヤオ王国の)カムムアン王が協力して作られたものだという。それはいつで、なぜ3人だと聞いても、今回のガイドは歴史の知識が乏しくて、何にも答えられないのが困るのだが、どうやらこういうことらしい。当時のタイ北部は、各地方に別れた群雄割拠の時代で、その中でもこの3人の王はお互いに争わないとして協力し、このチェンマイの街を新しく作り上げたそうだ。チェンマイというのは、「新しい(マイ)」「町(チェン)」という意味らしい。 5.チェンマイの小樽 面白かったのは、「Otaru川辺地区」である。数年前まで、ゴミが散乱して悪臭を放っていた川があった。それを綺麗に清掃して「Otaru川」と名付け、川の両岸を散歩出来るように遊歩道を設け、しかも花まで植えた。ほんの1年前のことである。そうすると、川辺りに物を売る店が増え、また川を横切るように橋まで架けて対岸に渡れるようにしたところ、散歩する人が増えたという。 6.民族舞踊 カントケとは、大きな容器に料理を盛り付けて出す田舎の風習らしい。この名前の伝統芸能の民族舞踊が見られるレストランに行った。その名の通り赤い大きな容器にたくさんの料理が盛り付けられていた。中心にグリーンチリのペーストが置かれ、その周りにはスティック状の野菜、キュウリ、ニンジン、キャベツなどがある。これはもう、とてつもなく辛くて、口にするどころではなかった。その周辺には、照焼チキン、野菜煮、ビーフンなどがあり、これらで何とか夕食になった。 7.首長族(カレン族)の村 翌朝、チェンマイ近郊のエレファント・パークに向かう。途中で、首長族の村(Long Neck Village)に立ち寄る。ガイドに、「はて、『首長族(Long Neck Tribe)』とは、ひょっとして首に金属の輪を重ねている人たちか?」と聞いたら、「そうだ」と言う。「あれは、ミャンマーの奥地に居る人々ではないか」と聞くと、「最近の軍と少数民族や民主派などとの武力闘争で、危険を感じてタイに逃げ出してきた人々だ。タイはミャンマーと違って少数民族を迫害するような阿漕なことはしないし、彼らはここに来て、観光で暮らして多少のお金も入るから、ハッピーではないか」と言う。 歩いていくと、それらしき売り子がいた。首に、真鍮製の輪をたくさん巻いている。まだ若い子だ。その隣には、年配の女性がいて、これが確かに首が長い。30cmはありそうだ。ガイドによると、首が長い方が美人ということで、そういうものを付けるそうだ。しかし、重たいし、寝るときも大変だろうと思うが、寝ている姿の写真もあった。更に進んでいくと、わずか3歳ほどの幼女にも付けている。近代的価値観で物を申すのもよろしくないとはいえ、これは、女性虐待ではないかと思うほど本当に妙な風習だと思いながら、その場を後にした。 8.エレファント・パーク そこから30分ほど行って、象がたくさんいるメーサー・エレファント・キャンプ(Maetaeng Elephant Park)に着いた。運動場のようなところに面して、粗末ながらも100人ほど座れそうな見物席がある。我々は最初の客だったから、どこに座っても良かったが、万が一にも席が壊れて潰れてしまったら怖いから、前から二番目の列にした。それでも途中、皆が手拍子をした時に、観客席全体がいささか揺れたので、大丈夫かと心配になった。 バイキングの昼食後、ラフティングの時間となる。横2m、縦6mほどの竹で作られた筏を、前後の2人の船頭が竹の棒を操って進んでいくものだ。川の水は泥だから、濁っていて川底が見えないので、操舟はかなり熟練してないと危ないと思うのだが、その中をライフジャケットも付けないで、流れに任せて下っていく。流れは緩やかで水深も深くないから良いようなものの、そうでなければあまり乗りたくない代物だ。 後ろから、大声で歌ったり笑ったりする賑やかな筏が続いてきた。筏上のカラオケ大会に興じているようだ。マレー語だから、マレーシア人の団体だろう。面白い連中だ。ある時、歌が聞こえなくなったと思うと、今度は川岸の物売りの所で冷やかしている嬌声が聞こえてきた。可笑しいったら、ありゃしない。 近くの「I love flower」というお花ガーデンに立ち寄った。1年前にできたばかりということで、まだ地元の人しかいない。それでもこの日は、地元の大学の卒業の日ということで、その卒業生が式のマントを羽織ったまま記念写真に興じている。子供を抱えているから、家族を持ちながら頑張って卒業証書を手にしたのだろう。おめでとうと言いたい。 9.ワン・マーケット チェンマイに、倉庫を近代的に改造したような、小洒落たワン・マーケット(One Market)がある。横浜の赤レンガ倉庫を思い出してしまった。あれのコンセプトを借用したのかもしれない。中は、大小の区画に別れていて、それぞれに趣味の良い店が入っている。驚いたのはこのマーケットの建物の外側にも、ナイトマーケットのような露店が立ち並んでいて、それもかなり質の良い商品を売っていたことだ。タイの北部といえばただの農村地帯を想像していたが、実はこんな素敵な近代的マーケットがあるとは考えもしなかった。 ちなみに、「大卒の初任給は、月12,000バーツ(約50,000円)で、バンコクの月18,000バーツ(約75,000円)に比べれば安い。でも、その分、生活費も安くつくので、ガイドでも自分はマンションも車も持てたし、ここにして良かったと思う」と話していた。では、「あとは旦那さんだけだね」と私が言うと、下を向いて赤くなっていた。 10.レモンツリー・レストラン 夕食に、レモンツリー・レストラン(Lemon Tree restaurant)に行った。これは、ガイドの旅行会社が勧めてくれたものだが、実際に行ってみると、街中の小さな食堂だ。これが本当にそうなのかと疑問に思ったが、ここだと言うので入ってみた。そして、グリーン・カレー、八宝菜、トムヤムクン・スープ(Tom Yam Kung、エビが入った酸っぱくて辛いスープ)を頼んだ。 11.ナイト・マーケット マレーシアのパサ・マラーム(Pasar Malam)(夜市)と同じである。通りにたくさんの露店が出て、様々な商品を並べている。スリに注意しながら、見物する。食品、衣料品、生活用品、玩具、食べ物など、何でも揃っている。 12.天然温泉 チェンマイの北へ車で約1時間近くの所に、天然温泉がある。本当に温泉が豪快に噴出していて驚く。足湯もある。ここは日本でいうと道の駅のようになっていて、休憩とトイレと買い物をする所だ。隣にアンコールワット風の寺院があると思ったら、コロナ前に企画されたものの、資金不足で建物は未完成のまま放置されていて、おそらく完成しないだろうとのこと。何百年も経ったら、本物のアンコールワットになりそうだ。(大笑い) 13.ホワイト・テンプル チェンライ出身の画家、チャルーンチャイ・コーシピパットがイギリスで成功を収め、多額の財産を得た。そして、故郷に広大な敷地を購入し、しかも真っ白な寺院群(ワット・ローンクン(Wat Rong Khun、通称は、White Temple)を建設したのである。手前に長鰭の錦鯉が泳ぐ池を配置し、真っ白で壮大な寺院があちらこちらに立ち並ぶ。空の青、芝生の緑、池に写った青い空と白亜の寺院が実に美しい。最初に出迎えるのが本院で、まずは地獄の描写から入る。そして空にかかった橋を渡り、天国のような本殿に行く。いずれも白ずくめだ。 14.スカイウォーク チェンライから更に北へ1時間の道のりで、スカイウォークに着く。ワット・プラタート・パーガオ(Wat Phrathat Pha Ngao)という寺院で、わずか1年前にできたばかりだそうな。寺院なのに、はて、「スカイウォーク=空をの道」って何だろうと思う。入り口の近くで、トヨタ車だがトクトク風に改造されている向かい合わせ8人乗りの車に乗った。それがシャトルバスとして動いて、上まで連れて行ってくれる。そこに着くと、「履物の上にカバー」をせよと言われて付ける。そして、透明なガラスの上を歩くのである。下を見ると怖くなる。水平図にすると「コの字型」になっていて、角に1本ずつ、桜が満開のような造花がある。 15.黄金の三角地帯 メコン川が合流して大きくなって流れる「Y」の字を描いたような地形で、その字の左岸がタイ、右岸がラオス、上のVの字のところがミャンマーという3ヶ国に挟まれた地域に案内された。黄金の三角地帯(GoldenTriangle)というらしい。 古くは、麻薬の密輸でその名が知られたそうだが、今はカジノが、メコン川を挟んでラオスとミャンマー側にある。まるで宮殿のように聳え立つのがラオス側のキング・ロマン・カジノで、ミャンマー側は、確かウィン&ウィンと言っていたと記憶している。それに比べてタイ側はというと、高さ16mの大きな金ピカの仏様の坐像が、あたりを睥睨している。まあ、平和でよい。ちなみにラオス側は、新型コロナ前はその宮殿のような建物だけだったのに、今ではその周辺に雨後の筍のように高層マンションが乱立している。この3年間、ここに来ていなかったガイドは、「びっくり仰天だ」と言っていた。 16.ミャンマーとの国境の街 メーサイ国境検問所に行った。ちなみに、ここはタイの最北端の街だそうだ。午後4時頃なので、ミャンマーに帰る車とバイクでごった返している。その脇には色んな店が多くあって、冷やかしに入ってみると、安い。例えば、「タナカ」というのはミャンマーの日焼け止めだが、首長族の村では1本100バーツ(約410円)で買ったのに、それがここではわずか20バーツ(約82円)だと憤っていた人がいた。 17.ムーン・マイ・レストラン 一言で言うと、凝りに凝った装飾のレストラン(Moon Mai restaurant)だ。庭のあちこちに、ディズニーに出てきそうな子供や24人の小人、中国人の子供、西洋人の子たちの像が置いてあって、ジャングルの中のような雰囲気を醸し出している変わったレストランである。トリップ・アドバイザーのランキングで第1位になったことがあるらしい。 18.イルミネーション輝く時計塔 チェンライ市内で、ムーン・マイ・レストランからホテルに戻る途中、昼間見たなんの変哲もない時計塔が、イルミネーションに輝いているのに出会った。しかも音楽付きと、大変身で、ビックリすることばかりだ。 丘の上にパゴダと白い本殿、それに巨大な仏様の坐像が見える。近づくと、目の前に白い壁に青い縁どりの巨大な病院がある。これは生活困窮者のために寄付で建てられたもので、そして背景にあるパゴダも本殿も仏様の坐像もこれら全てが、当地の僧侶の発願で華僑とマレーシア中国人の寄付によって作られたという。驚くほどの費用がかかったはずだ。 20.カシューナッツ富豪 チェンマイまで車で4時間ほどかかって戻ってきた。途中、ローカルのレストランで昼食をとる。魚の丸ごとの煮物、イカリングの揚物、八宝菜ら、キャベツと春雨のスープである。これも、美味しかった、今回の旅は、見る物だけでなく食べ物にも恵まれた。 近くにカシューナッツの畑と加工場があるようで、色々な風味のカシューナッツを売っていた。ガイドによると、このオーナーは、昔は夫婦2人と使用人3人で細々とやっていたが、中国語を学んで中国に売りに行き、一気に商売を拡大して、この大農場と数百人が働く工場を所有するに至ったそうだ。 21.中国マーケット チェンマイに着き、夕食まで時間があったので、チャイナ・タウンの中心にある中国式マーケットに立ち寄った。すると、ドリアン製品がある。ドリアンをそのまま凍らせたフリーズド・ドライと、ドリアンのペーストを棒状にしたものだ。ただ、前者は水分が全部飛んでスカスカだから、あまり好きではない。昔から後者が好きなので、喜んで買い求めた。それからと、、、お茶屋さんがあり、「高山茶」がないかと探したら、すぐに見つかった。これは、台湾の高山でとれる特殊な烏龍茶の一種で、香りが良い上に味がしっかりしているから好きだ。これも買った。 でも、ほどほどにしておかないとキリがないので、早々に退出しようとしているうちに、ある不思議な店を見つけた。コーチやルイヴィトンなどのブランド品、高級な家に高級車、、紙幣、、、これらが全て、紙で精巧に作られている。ガイドに聞くと、「死んだ時のお葬式に死者と一緒に燃やすのさ」と、事もなげに言う。なるほど、生前には叶えなかった夢を、死んだ時に叶えさせてあげるのか、、、それにしても、何かおかしくないだろうか? 22.中国式しゃぶしゃぶ この日の夕食は、英語で「steam boat」だという。「中国式しゃぶしゃぶ」のことだ。大きな野菜の皿に、キャベツ、ニンジンなどが入って運ばれてきて、それに日本で言えばわんこそばのような容器に、お揚げさん、水餃子、ハム、春雨、黄色いソバ、牛肉や豚肉の薄切り、卵などが入れられ、それらがうず高く積まれる。大きな鍋は、何とまあ、昆布出汁だ。 日本と違うのは、ソースがポン酢やゴマだれではなくて、チリソースだけということだ。でもそのチリソースは、よく考えられていて、しゃぶしゃぶにピッタリと合うのである。お店の人に、「このチリソースは、しゃぶしゃぶにピッタリな味だね」と言うと、「はい。しゃぶしゃぶ用に開発されたチリソースで、すぐそばの市場に売ってますよ」と正直に話してくれた。 23.旅を振り返って これで、私のタイ北部の旅は終わった。美味しいタイ料理に恵まれたし、象に乗ったり、首長族、ホワイトテンプルを見たり、黄金の三角地帯、スカイウォークに行ったりと、本当に実り多い日々だった。 それにしても思うのだけど、タイ北部に対する私の先入観は、「所々に古いお寺があって、ひたすら農村地帯が続いている」というものだった。実際に行ってみると、それは全く間違っていたことに気付いた。あちこちに、人々の溢れるようなエネルギーが渦巻いていたからである。中でも、お坊さん(モンク)までその先頭を走っているのはタイらしい。 例えば、プラタート・パーガオ寺院は、お坊さん自らが寄付を募って建ててしまった観光名所である。ファイ・プラ・カン寺院も、当地と隣国マレーシアの華僑から寄付をあおいでお寺の3つの建物と貧困者用の大病院まで作ったものである。それどころか、坊さんでもない一画家が、イギリスで稼いだお金を使って独力で完成させたものが、ホワイトテンプルだ。いやもう、平安時代の弘法大師のような人たちだ。 24 .八方塞がりの日本の将来 これらの努力は、もの凄いと思う反面、日本には、こんな底知れないエネルギーを持っている人々はもういないなぁと、寂しい気がする。日本は1990年のバブル崩壊後、賃金も物価も伸びずに経済成長もないという「失われた30年」を経験した。それどころか、やれ「大人の引きこもり」、「子どものいじめ」、「行きずりの無差別殺人」、「企業は最高益なのに賃金は伸びない」などと、マイナスばかりが目に付く。 私が大学を出た半世紀前、日本のGDPは、アメリカに次ぐ世界第2位になったと喜んでいた。しかし、いつの間にか中国に抜かれた。それは仕方がないとしても、失われた30年のせいで、うかうかしているとドイツにも抜かれて世界第4位になりそうだ。若い人は外国にも出たがらないし、このままでは日本の地盤沈下は止まらず、早晩、「かつての経済大国で、今や落ち目の老大国」に成り下がりそうだ。 かつては、大蔵省、通産省といった「官僚」が気概を持って発展途上国経済から先進国経済へと脱皮を図る上で大きな役割を果たした。ところが、日本には今やそのような存在はいない。「官僚」は、叩かれ過ぎて萎縮して、とてもリーダーシップをとるどころではない。政界も、政治屋はいるが、肝心の政策論を闘わせる人材がいない。故与謝野馨をもって最後だったかもしれない。財界も、かつての松下幸之助、本田宗一郎、盛田昭夫、井深大、土光敏夫などに比肩する気骨のある経営者がいない。まさに八方塞がりである。困ったものだ。 (令和5年12月15日著) (お願い 著作権法の観点から無断での転載や引用はご遠慮ください。) |
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