悠々人生エッセイ



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【Day 1】 入院前日

(01)日曜日、朝起きてみると、左太腿から下の下肢に「軽い痺れ感」がある。寝相が悪かったのかと思った。起きてみると、ちゃんと歩けるので、気にならなくなった。これで良いと考えて、一日が始まる。

 いつものように朝食を作って摂り、部屋の掃除をし、午後は友人宅へとお邪魔した。帰ってくると、Amazonのプライムビデオで、最近はまっている「キングダム」を観る。面白くて、つい日付が変わるまで観入っていた。


【Day2】 入院当日

(02)月曜日朝、ベッドから起き上がったところ、やはり左下肢が痺れて、昨日よりその程度が増している。これは、いけない。本日のテニスは欠席の連絡をし、まずは病院に行くことにした。

 そこでふと思い出したのが、実家にいた母のことだ。90歳になったとき、右下半身に痺れを感じた。妹が実家に行って付き添っていたが、みるみるうちに右脚が動かなくなったという。脳梗塞だった。

(03)私もそうなのかと思い、行きつけの虎ノ門病院の脳神経内科の友人の医師に診てもらおうと電話したが、本人がいない。今日の診察は午後のようだし、そもそも最近は紹介状がないと診てくれなくなったようだ。救急車で行くことも考えたが、歩けるし話せるし、一見して問題がないので、これで救急車に乗せてくれるかどうか微妙である。

 仕方がない、ネットで探そうとしたら、近所の内科クリニックが、脳神経内科もやっていると宣伝を出している。あそこなら歩いて10分もかからない。先生も顔見知りだし、そこに行くことにした。

(04)着いたのが午前10時前、直ぐに通されて先生に説明すると、「ここでもMRIはできますが、もしお話のように本当に脳梗塞なら、こちらでは対応できないので、直接、近くの日医大病院に行かれたらどうでしょう。紹介状を書きます」と言われた。

 正直で真っ当な先生だ。有り難く紹介状をいただき、日医大まで行くことにした。その際、紹介状の宛先を虎の門病院の友人の医師にすることも考えたが、それだと診察が遅くなって脳梗塞だった場合は致命的だから、やめた。

(05)いやもう、とんでもなく暑い日で、気温は36度はあったろうか、クリニックから根津神社の反対側に位置する日医大まで歩いて7分ほどの距離だ。表通りでタクシーを拾うことも考えたが、そんなことをやっていると拾う手間がかかる。いつものようにタクシー・アプリの「GO」を使うのも、時間がもったいない。受付は11時までのはずだ。

 ともかく、私は歩ける。早く行くことを優先して、晴雨兼用の傘をさし、木陰を選んで歩いていった。でも、その日は36度の猛暑の日でひどく暑かったので、着く頃には汗だくになってしまった。

(06)着いたのが10時45分、かろうじて受付時間に間に合った。救急外来で看護師の問診を受け、次いで医師と面談した上で採血とMRIを受ける。MRIは、ガンガン、ドンドン、バチバチとまるで工事現場のようなうるさい音をたてる。耳栓をして更に耳を覆うものを付けるのだが、それでもまだ響いてくる。20分ほどでやっと終わった。

 医師がやってきて「右脳の視床下部の下の血管の分岐点の先に、詰まりがあります。ラクナ梗塞というヤツです。直ちに入院してもらいます」とのこと。やはりそうか。集中治療室(ICU)に直行だ。

(07)ネットで調べてみると、「主幹脳動脈から枝分かれして、脳の深い部分に酸素や栄養を送り届けている直径100〜300μm程度の細い血管を「穿通枝(せんつうし)」といいます。この穿通枝が詰まると脳の深い部分に血液が行き渡らなくなり、脳細胞が壊死してラクナ梗塞(Lacunar Infarction)を起こします。穿通枝が詰まったときに壊死におちいる範囲は15mm未満とされています」とのこと。

 まあ、脳梗塞の中でも非常に軽い方らしい。でも、脳のどこの部分のどんな役割を持つところが壊死したのかわからない。それが仮に大事な記憶だと悲しいが、そうでないことを祈ろう。これは色んなことを試してみて、見つけるしかないだろう。

(08)血液検査など諸々の検査が終わって、脳の集中治療室に送られたのが、午後4時。昼食を抜いたので、お腹が空いたのには参ったが、この日の夕食も翌日の朝食も食べてはいけないという。おかげで、かねてから減らしたかった体重が自然減しそうだ。

 医師から、色んな同意書の説明と、それに対する署名が何度も求められる。私の症状は非常に軽いから良いものの、これが重症だと、患者本人ではとっても対応しきれない。それでも、いくつかの細かい手続は、後回しにして、家族にやってもらった。

(09)ベッドの上に横たわり、点滴を受ける。生理食塩水と胃薬だそうだ。発症から時間が経っているということで、t-PAの投与は無理らしい。

 代わりに、バイアスピリンとクロピドグレルという血液をサラサラにする薬を経口投与される。それらの副作用を防ぐ胃薬タケキャブは、既に点滴済みだそうだ。そしてコレステロール値を下げるロスバスタチンを飲まされる。これから、クロピドグレル以外を永久に飲むことになるようだ。

(10)これで自分の治療に目処が着いたので、私の仕事の日程やアポイントメントを全て変えないといけない。病床のベッドに横たわりながらiPhoneであちこちにメールをし、私の事務所の秘書さんの手助けも借りて、何とか連絡をし終える。皆、10月初旬へと伸ばしてもらった。

 それと同時に、いつもお世話になっている親戚に連絡して、入院に最低限必要なグッズを持って来てもらった。それと同時に、やり残した入院の細々とした手続も代わってしてもらい、本当にありがたかった。気を利かせて三本のペットボトルや新聞まで持ってきていただいたので、もう感謝感激だ。

(11)ちなみに、自分が自らの入院グッズを集めるのなら簡単だけど、こういう即入院の場合は、誰かにお願いするにしても、いちいち一つ一つのグッズの場所をメールで指定するのは大変だし、その持って来てもらう方にも迷惑をかける。それならいっそのこと、災害の時のように入院グッズ一式を予めリュックにでも詰めておこうかとも思うが、中身を入れ替える必要までを考えると、それも面倒だ。

 だいたい、そんなにしょっちゅう入院するわけではない。これが生涯でたった二度目だし、前回は手首の骨折だ。やはり、その都度、今のようにするしかないかとの結論になる。ただ、最近は病院がレンタル業者を紹介してくれるから、ほとんどそれで用が足りるし、大病院なら必ずコンビニがあるから、そこで揃えられる。ただ、今回のように集中治療室(ICU)で両手や胸にたくさんの機器やコードや点滴に繋がれていると、コンビニにも行けないから困る。

(12)暇なので、頭の中の記憶のチェックを兼ねて、仕事の文書をiPhoneで書く。

 すると、かなりの細部までを覚えているし、これなら問題ない。午後9時15分に消灯だったが、10時過ぎまで書いて、寝入った。夜中に一度、目を覚まして点滴の棒を引きずりながら歩いてトイレに行った。


【Day3】 入院2日目

(13)朝6時30分、起きて、歩いてトイレに向かう。ちゃんと歩ける。ただ、昨日は感じなかった左のお尻の痺れが出てきている。その他は、左脚にせよ、顔の左半分にせよ、痺れは非常に小さくなった。手で触られた感覚も、ほぼ戻ってきた。

 改めて身体に繋がっているモニターの部類を見ると、左腕に血圧計(1時間ごとに計測)、右足指先にたぶん酸素濃度計、胸に心電図計があり、その他右手に点滴路の確保がされている。これでは、病床でストレッチをするわけにはいかない。そのほか、ホルター心電図計なるものを付けて、心電図を24時間とられている。仮に不正脈でもあれば、投与する薬も変わってくるそうだ。

(14)大手町で働いている息子には、昨晩中に連絡をしておいたら、忙しい日程の合間をみて、午後2時からの面会時間に来てくれた。

 そして、いつもの笑顔を見せて現れ、私の様子を見て安心して帰って行った。こうして心配してくれる身内がいるのは、本当に有難いものだ。

(15)夕方になって、もっと深刻な症状の患者が来たらしく、集中治療室(ICU)二人部屋を追い出されて同じ5階のICU四人部屋へと移された。

 一般病棟(おそらく10階)に移してくれるように頼んであるが、まだらしい。


【Day4】 入院3日目

(16)昨晩は午後9時に消灯となったものだから、やむなく寝る。いつもより早いが、寝つきはよろしい。ところが、隣のいびきと監視機器の騒音が重なってとても気になる。だから大部屋は嫌だと言っているのに、、、まだ集中治療室(ICU)に寝かされているから仕方がない。

 今日の午後くらいには、一般病棟の個室に移らせてもらうことを期待する。そこでシャワーもできる。

(17)それやこれやで、寝たには寝たが、なんとまあ午前1時に目を覚ましてしまった。

 真っ暗な中ですることがないものだから、やむを得ず、寝たままで頭の中のチェックを思い付く。そうだ、今年の2月に出版した私の「回想録」の中身を思い出してみよう。あれなら、小さな頃の記憶、青少年時代、通産省での激務、内閣法制局での奮闘、最高裁判所での判決など、自分の記憶を全て振り返ることができる。

(18)小さな頃の記憶は、やはり田舎でいじめに遭った時の辛い思い出だ。これは、あたかも終戦直前の疎開児童さながらの出来事だ。それに、小児結核も遊びたい盛りに身体を動かせずに大変しんどい思いをした。我ながら涙する。正岡子規は大人になってからの脊椎カリエスだが、これも結核菌によるもので、同じようなものだ。その中で病牀六尺を著したり友人と俳論を戦わせたりしているのだから、超人的だとしか言いようがない。

 青少年時代は、昔住んでいた家々の佇まい、それから何と言っても大学紛争時代の受験だ。細部までありありと思い出すから、大丈夫だろう。その他、通産省時代、内閣法制局時代、最高裁判所時代と、次々に思い出す。まあ、記憶には問題ないらしい。良かった。そうこうしているうちに、寝入ってしまった。

(19)起きたら朝6時30分だった。どういうわけか、朝食が8時20分と、かなり遅れている。

 メニューを見ると、「ご飯」、「厚焼卵」、「オクラと湯葉のおひたし」、「味噌汁」、「牛乳」と立派である。ところが、いざ出てくると、いつもの私の食事と比べて、なんとまあ貧相なことといったらない。食事は、こんなもので良いのか、、、であるとすれば、普段の私は明らかに量も質も食べ過ぎだ。

(20)今日は、リハビリ担当の理学療法士がやってくるという。言語療法(ST)、作業療法(OT)、運動療法(PT)の3人だ。

 まず、最初は、言語や認知能力の担当が来た。「私の言う単語を真似てください。次に私の言う文書をそのまま言ってください」とか言うので、その通り話すと、「速い速い、完璧だ」などと言う。私は、小さな子ではないのだから、煽ててもらっても、意味がない。

 次に認知症の検査は、100から7ずつ引いていけと言われて、どんどん数を言って行くと、65でもう良いと言われた、、、次は運転免許の更新の時のように挙げられた名前を当てるとか、丸い時計の図を描いて11時10分の針を書けとか、そんなものだった。

 2番目は、身体全体の機能を見るらしい。身体の関節を限界まで動かして「ちょっと固いですね」と言われたり、、、そんなもの元々で余計なお世話だ、、、「手や足に圧迫を加えるからそれに逆らって耐えてください」とか、なんだかんだとやった後、靴を履いて廊下を3周した。どうかすると、その理学療法士が小走りで追ってくるほど速く歩いてやった。

 3番目は、呑み込みや言語機能の担当の人で、口を動かしたり、水を飲んだり、食べ物の呑み込み具合を見ていた。次に早口言葉や「ダダダダ」などの連続音、舌がちゃんと動いているかを観察して行った。

 夕食後、主治医がやってきて、これから心臓の簡易検査を行うという。モニター付きの機械をガラガラと持ってきて、それで、心臓の隔壁に穴がないかを調べるという。もしこれがあると、そこから脳に血栓が飛ぶらしい。やり方は、超音波で心臓を描写し、血管に注射液の泡を出すと、その泡が心臓の右心室に入って広がるが、もし隔壁に穴があると、その時に泡が左心室に漏れ出るそうだ。やってみると、幸い、穴はなかったので、これが原因ではないことが判明した。

 ホルター心電図を24時間付けて観察されたが、幸い不整脈などの異常は見つからなかった。

(21)身体を拭きたくなったので、看護師にお願いすると、温かい濡れタオルを持ってきてくれたので、それで身体を拭ってさっぱりした。ところが、頭を洗いたくなった。それは無理もない。入院当日は、大汗をかいてこの病院に来たのだが、それ以来ICUに直行させられて、まだ洗っていないからだ。

 そこで看護師さんに相談すると、「ベッドの上で洗ってあげます」ということになり、お願いして良かった。洗った後、ドライヤーをかけて心身ともにさっぱりした。この看護師さんには心から感謝だ。


【Day5】 入院4日目

(22)月曜日に入院して、もう木曜日になってしまった。左半身の痺れはほとんどなくなった。でも、ただ一つだけ、電気シェーバーで髭を剃ると、左顔だけ特に知覚過敏となっているようで、イタズラに刺激が強まって非常に違和感がある。まあ、変わったことといえば、それくらいだ。

 つくづく、私の場合は、これくらいで済んで良かったと思う。ICUに運ばれてくる患者をみていると、半身麻痺、片手麻痺、脳の手術直後、交通事故、言語不明瞭、認知症など、目を覆わんばかりだ。

(23)午前5時頃、ベッドにドスンと衝撃があり、地震かと飛び起きた。いやそうではない。私のベッドの片方の脚に、ここICU四人部屋の隣の患者が立ち上がり、ふらついて倒れ、ぶつかって来たのである。

 看護師さん達が集まり、「大丈夫?」などとやっている。宿直の医師もやってきて、大騒ぎだ。しかし幸い、転んだだけのようだ。

 まるで蛙の合唱のような、同室者の夜中のいびきの合唱も嫌だし、こんなことも起こるから、早く一般病棟の個室に移りたいのだが、まだダメらしい。

(24)ところで、今回の発症の原因は何だろうと考えてみたけれど、生活習慣のせいかどうか、よくわからない。週2〜3回のテニスでは不十分なのか、辛党ではなく甘党だから中性脂肪が溜まってそのプラークが脳に飛んだのか、涼しいキャメロン高原から急に酷暑の東京に帰って来たせいなのかどうかと色々と原因となるものがありそうだが、不明だ。

 最近の変わったことといえば、自宅のテレビでAmazonのプライムビデオを観ることを覚えて、「キングダム」とか「沈黙の艦隊」などの長編シリーズをずーっと見て、あまり動かなくなっていたからかとも思う。この二つの番組は本当に面白いから、中毒になる。

(25)主治医に、「頸動脈のエコーの結果はどうですか」と聞いてみたが、答えは「年齢相応に脂肪が溜まっているものの、これくらいでプラークが飛んだとは考えにくい」とのことだった。

 昨日の心臓の検査で、隔壁には穴がなかったから、物理的な面での原因の究明は、頓挫してしまった。

(26)そうすると、また生活習慣から考えるか、、、一つ思い付くのは、前の週に木曜日金曜日と続けてやったテニスである。

 どちらも36度を超す猛暑の中をテニス場まで歩いて行って、普通は500mlのペットボトルを3本は飲むところ、用意したペットボトルの塩分や糖分が気になって1本しか飲まなかった。原因はこれかな、、という気がしないでもない。よし、それでは週2回のテニスに際しては、十分に水を飲もう。

 そのほか、この週2回のテニスだけで満足しないで、朝方に毎日30分以上歩こうかと思っている。

(27)午前10時半、やっと10階の一般病棟に移ることになった。差額料金の同意書にサインし、さあ行こうとして5階の隣の病室の前を通りかかると、騒がしい。

 何かと思っていると、90歳を超えた患者さんが、現役の歌舞伎役者ということで、お世話になった先生や看護師などの皆さんに歌舞伎を披露したいという。

 始まった。弁天小僧の「知らざぁ、言って聞かせやしょう」など、白浪五人男のセリフを、次々に披露する。良く通る声で、当たり前だが、上手いものである。終わったら、皆でもう拍手喝采だ。私も、しっかりと握手をさせていただいた。

(28)昼前にようやく、待望の10階の個室に移った。SNのうちのNというから、北向きの部屋である。

 窓の外を見ると、右手に日暮里駅前のマンション、正面に駒込病院、左手に文京グリーンコートが見渡せる。

(29)ここでも、理学療法士が次々にやってくる。

 Aさんは認知症検査の続きで、(1)1から15までの数字、「あ」から「そ」までの文字を書いた紙を示して、数字と文字を小さなものから大きなものまで、「交互に」線を結んでいけだの、(2)地の模様の一部を欠けさせておき、その欠けた部分は次のどれかだの、(3)文章を書けだの、(4)目の前の白い紙を右手で取って二枚折りにせよだのと言う。

 Bさんは、紙の筒を出してきてそれを両手で持ち、上下、左右、斜めと各10回ずつ動かせとか、両肩の可動域を確認して動かすとか、指示してくる。

 Cさんは、片脚で立ち、何秒間持つかとか、それが終わって10階の廊下を3周した。それで、廊下の手摺りを握って、左右両脚をバレリーナのように交互に左右に振り上げる。

(30)昼食後、しばらくして面会タイムとなり、あちこちで面会のステッカーを付けた家族が目につく。私の所にも忙しい中を時間を作って来てくれて、担当医の説明を一緒に聞く。

 担当医は、まず、私の入院時のMRI写真を示して、「これがラクナ梗塞です」と言って、ごく小さな白い点をポインターで指す。「ああ、これが原因か」と私は思う。



 そこで、以下のように続けた。「問題は、この詰まりの原因となったプラークが、どこから飛んできたかなのですが、まず、心臓からではない。心電図も問題ないし、隔壁にも穴が空いていない。健康な心臓です。次に、頚動脈かと思って見たのですが、脂肪の血管壁への沈着は見られるものの、そこからプラークが生じて飛ぶほどではない。ですから、よくわからないというのが本当のところです。

 ただまあ、左半身の痺れがなくなって来たところを見ると、詰まりが自然に流れて行ったか、あるいは血液をサラサラにする薬を投与しているので、それが流したのかもしれないですね。

 あと、悪玉コレステロールの値がやや高いから、アテローム血栓を防ぐために念のためロスバスタチンでこれを下げておいた方がいいでしょう」
(注)その後、小腸からのコレステロールの吸収を妨げるエゼチミブが追加された。

 何だか要領の得ない説明だが、要は、心臓や頚動脈には問題がないことがわかって良かった。しかしながら、血液をサラサラにする薬のバイアスピリンや、抗コレステロール薬のロスバスタチン又はエゼチニブをこれから永遠に飲んでいくことになったようだ。これまで、薬は飲んでないというのが自慢の種だったが、それがなくなってしまったのは残念だけれども、仕方がない。

(31)お風呂、、、といってもシャワーだが、ようやく入ることできた。何しろ、月曜日は汗だくで即入院し、それもICUだったのでお風呂などなくて身体を拭くことしか出来なかったからだ。

 一般病棟に移り、こうしてシャワーを頭から浴びて、ようやく人心地がついた。


【Day6】 入院5日目

(32)退院前日だ。これまで、親戚や親しい友人に脳梗塞で入院と伝えたが、その皆さん宛てに、次のお知らせをした。

皆さん

 私はラクナ梗塞という脳梗塞の一種で今週月曜日に入院したことをお伝えしたのですが、幸い健康体に回復し、明日土曜日に退院することになりました。

 ごく軽いものだったらしく、入院当初は小さな梗塞部分がMRI写真で見えましたが、それから薬の投与を受けた結果、効果が見られて、左半身の痺れは消失しました。

 問題は、詰まりの原因となったプラークが、何処から飛んできたのだろうということです。色々と調べた結果、心臓や頚動脈には全く問題がないことがわかりました。

 すると、やはり普段の生活が問題かということで、思い当たるのは発症の数日前に2日続けて猛暑の中をテニスに行ったことです。テニス自体は室内だからそう暑くはないのですが、行き帰りは暑く、その中を糖分や塩分過多を気にして、普段ならテニス終了までペットボトルを3本ほど飲むところ、たった1本しか飲まなかったからではないかと考えています。

 加えてその後、オンデマンドで「沈黙の艦隊」や「キングダム」を何時間も動かないで見てしまったからでしょうか。この二つの番組、面白いですが、どちらもシリーズものだから見始めると、あっという間に数時間は経ちます。幕間には、立ち上がるなど、身体を動かすべきでした。

 私は今月26日に、晴れて(?)後期高齢者になるので、その前の自分の健康への警鐘だと思って受け取っています。それでは、皆さんも、健康にお気をつけください。



【Day7】 退院の日

(33)この病院での最後の朝だ。午前10時に、看護師が請求書を持ってきてくれた。それによると、175,168円とある。

 まあ、そんなものだろう。しかし日本の医療システムが妙なことは、この請求料金の内訳に如実に現れている。つまり、4日間、あれだけ一生懸命に検査し、治療してくれたICUでの治療費が92,668円だ。それに対して、たった2日間しかいなくて、かつ治療など一切なかったこの個室料金が82,500円とは、どう考えてもおかしい。この辺が日本の健康保険制度の建前と本音が交錯している点だ。

 つまり、大衆料金を維持しつつ、それだけでは病院が運営していけないために、お金に余裕にある人から、個室料金という名目で、いわば「寄付金」として巻き上げようということなのだろう。

 もっとも、今回は、この病院への寄付のつもりで、このお金を喜んで支払った。医師はもちろん、看護師さんや理学療法士さんたちも、本当に親切だったし、気持ち良く入院生活を過ごせたからだ。

(34)それに、びっくりしたことは、私の血圧は普段そんなに高くはないことだ。ここ病室でベッドに横たわった安静状態で血圧を測ると、114ー74くらいが多くて、これはいたって普通の血圧ではないかと思う。ところが、自分で自宅で測ると、147ー98というのがよくあり、病院の健康診断で測ると160ー110というのも、よくある。これは明らかに高血圧だ。

 この現象はどう解釈すべきか、と思ってたまたま回診に来た医師に相談したら、「もちろん、運動直後とか病院で緊張しているような時は高くなるが、病室のベッドに横たわっていてその低い血圧になっているのは、たぶん、安静にしているだけでなく、病院食の塩分が非常に低いからではないですか」ということだった。そんなに塩分が血圧に影響しているとは思わなかった。しかし、やはりこれは本当なのだろうか、やや疑問が残る。今度、他の専門家に確かめてみたい。  


【ご参考まで】

(35)以上が私の経験談だが、ここで、読者の皆さんに伝えたいことは、半身に痺れを感じたら、脳梗塞を疑って、ただちに脳神経内科を受診されることをお勧めする。ご家族にも徹底しておいた方がいいと思う。もっとも、腰から下の痺れだけだと、頭ではなくて、腰の特に坐骨神経に問題がある可能性もある。

 私が今回患ったようなラクナ梗塞は、極めて軽い方である。しかし、もしこれが脳動脈が詰まるような本格的脳梗塞の場合は、血栓溶解療法といって、t-PAという特効薬を使う療法ある。ただし、これは発症から4時間半以内に使わないといけないようだ。その他、血栓回収療法という太い血管に詰まった血栓を回収する療法もあり、これは24時間以内だと間に合う。

 これらの療法を適用できないと、脳梗塞の場所にもよるが、重大な麻痺が残るという。そういう場合は、そもそも立っていられなくて昏倒するだろうから、救急車を呼ぶしかない。ちなみに、その場合は脳神経内科のある大病院の診察券があると、スムーズに受け入れてくれる。普段からそういう病院にかかっていて、診察券を入手しておくことが肝要だ。


【役立つ話】

(36)また、同期の仲間にも病室からメールを打って、今回の事の顛末を知らせたところ、役に立つ話を教えてくれる人がいた。友達とは、有難いものだ。

 第一は、「脳梗塞の先輩(有難くない)として申し上げますと、
 1 水を大目に飲むこと。
 2 体温や血圧などバイタルのチェックを毎日行うこと。
 3 処方された薬がある場合は、欠かさずに服用する仕組を作ること。
が必要かと思います。お大事にしてください」
という。なるほど、良くわかった。

 第二は、二世帯住宅だが、やはり一人暮らしの方が、「息子たちが転倒を心配して、iWatch を持てと言っている。設定が必要らしい」と教えてくれた。

 そういえば、私もそれは知っていて現にiWatch を持ってはいるが、設定のことは知らなかった。早速「設定」を開いて、「転倒検出」をオンにしておいた。

 アップル社の説明によれば、「Apple Watch は着用者が動いていることを感知すると、通知メッセージへの反応があるまでしばらく待ち、自動的に緊急通報サービスに電話することはありません。Apple Watch は、1 分間なんの動作も認められない場合は自動的に通報します。

 通話後、転倒検知機能が働いて緊急通報サービスに連絡したことを知らせるメッセージが、着用者の位置情報を添えて、緊急連絡先に宛てて送信されます。Apple Watch は、緊急連絡先の情報をメディカル ID から入手します。

 着用者が動けない状態で、その国や地域で緊急通報サービスの電話番号が複数設けられている場合は、Apple Watch が自動で番号を 1 つ選んでダイヤルしてくれます」


第三は、私の入院を知らせた大学時代の友人の一人から、このようなメールが来て、正直驚いた。

 「私の妻の左手、左足に痺れが出、今日、病院に連れて行き、診察してもらったところ、軽い脳梗塞とのこと、月曜日まで入院することになりました。こんなことを言うのも何ですが、山本さんなどの情報が参考になり、医師からも早めの対応でありがたいとの話でした」

 それは、全くの偶然だが、たまたまお役に立てて、良かった。この時期は、暑くて身体の水分が足りなくなるのだろうか、、、お大事になさっていただきたい。



第四 ある友人からのメール

「治癒されて退院されたとのこと、よかったです。あまり無理をされないように、お気を付けください。 

 私の親しい高校の同級生も、春に脳梗塞になって半日ぐらいしてから意識不明状態で発見されたため、一時期はかなり重篤で心配する状態になっていました。幸いその後回復し、今では少し介添えが必要ですが歩けるようになり、会話も通常通り出来るようになりました。

 入院の経過をうかがっていると、脳梗塞では早い段階での発見と治療が重要だと言われていることがよく分かります。

 私も週2回ぐらいジムに通ってウェイトトレーニングとランニングをやっていますが、運動中はよく水分は取るものの、往復や家ではあまり水分を取らないので、妻からはアルコールは水分に含まれないのでもっと水分を取るようによく言われます。あまり意識的に水分を取っていませんでしたが、その点は注意しようかと思います」


 確かに、一人暮らしだと、こういう事態を心配するわけだ。脳梗塞がいつ発生したかわからないどころか、そもそも倒れて意識不明となるから、通報しようがない。私の義理の父も、自宅で一過性の虚血発作、、、一種の脳梗塞のようなものだ、、、が起こって倒れた。ところが、その場に義理の母がいたものだから、救急車を直ぐに呼んで、事なきを得た。しかし、その際の医者の言葉すなわち「こういう方は、1〜2年のうちにまた脳梗塞を起こして、今度は重症になりますよ」という予言通りに1年後に再び脳梗塞となった。それを予期していたので、看護付き老人ホームに入ってもらっていたことから、そこで看てもらえるだろうと安心していた。ところが、義理の父は、前日の夜、普段通りに就寝したのに、午前5時に職員が見回ったところ、もう既に発作を起こしていたという。だから、特効薬t-PAを使うことができず、右半身と体幹の麻痺が残り、介護度が5となってしまった。そうかといって、家族が24時間見守るということもできず、こういうのは、運が悪かったと思うほかない。





(令和6年9月8日著)
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