2024年11月2日(土)、日本弁護士連合会の主催で、第30回司法シンポジウム「司法制度改革の到達点とこれからの課題」が開催され、私も招かれて対談を行った。対談のお相手は、明賀英樹先生(大阪弁護士会所属)である(以下、敬称略)。その概要は、およそ次の通りである(ただし、必ずしもこの通りに発言したわけではない)。
明賀: これから、元最高裁判事・元内閣法制局長官の山本庸幸さんを迎えての特別対談を行います。山本さんよろしくお願いします。 山本: 山本庸幸です。よろしくお願いします。 明賀: 山本さんの経歴につきましては、配布していますプロフィールをご覧下さい。通産省に入省し、内閣法制局に長年勤められて 、長官の後に最高裁判事を約6年間されました。 山本さんがその中で何に取り組まれて、どのように考えられたかは、今年2月に山本さんが弘文堂より出版されました「回想録」に詳しく記されていますので、そちらを是非お読み下さい。 先ほど、司法制度改革についてのプロローグ座談会が行われましたが、山本さんは当時内閣法制局におられたことや通産省で行政改革を経験されてきた立場から見て、司法制度改革についてどのように考えられていたかを、まずコメント願います。 山本: 司法制度改革の中で、法テラスはうまくいっていると思いますし、裁判員制度もまあまあ及第点だと思います。ただ、法科大学院については、最初からこれは失敗するなと思いました。というのは、一方で3000人という目標を掲げ、他方では7割が合格という話が聞こえてきて、それには相当、入学定員を絞らないといけません。ところがそこを文部科学省に任せてしまったから、彼らは普通の大学に認可のようにした結果、数が74校、入学定員が5,825人まで膨れ上がった。これでは、法曹になれない人が続出するのは明らかです。案の定、最初の既修者だけの試験の合格率は48%台だったものの、それ以降はつるべ落としです。 私は、東京大学の法科大学院で先生をしていて、試験をしたら、2つのタイプに分かれた。一つは、まだ2年生の前期というのに、完璧な解答を書いてくる学生で、そもそもこういう学生は、本来なら学部在学中に合格していたはずです。だから、法科大学院の2年間は、無駄だった。でも、このタイプは合格するからまだよい。問題は次のタイプで、もう3年生になるというのに、まるでフローチャートのような簡単なものしか書けない学生です。私が呼んで聞いてみると、前職は外資系企業のシステムエンジニアだった。私が「この解答ではいけない。このように書かないと法律の論文にはならない」と指導すると、驚いた顔をする。だから私が「こういうことは習わなかったのですか」と聞くと、「先生が初めてです」と答えたから、今度は私がびっくりしました。 そこで、東大の生え抜きの先生のところに行って、「こんな学生がいたけど、何を教えていたのか」と聞くと、「我々は教育機関であって、受験指導機関ではない」と言うから驚いて、「それにしても、こんな学生は、判決も起訴状も準備書面も書けないから、これが実務型大学院といえますか?」と反論すると、「自分たちは学部学生の教育で手一杯で、とてもそんなところまで手が回らない。だからそれは、実務家教員の仕事だ」という始末。 それから数年後、私は韓国の法科大学院の学長さんたち・・・ソウル大、高麗大、延世大などと話す機会があった。私がふと「韓国には法科大学院がいくつあるのですか」と聞いたら、その時は15校だという。私が「それは良く絞りましたね」と聞くと、にやりと笑って、「それはもう、日本の失敗を見ていたからですよ」と言われたのには、がっかりし、恥ずかしかった。 明賀: いろいろお話を聞きたいのですが、今日は30分と時間がありませんので、主に2つのテーマに絞って対談を行いたいと思い ます。1つは、マスコミでも大きく取り上げられましたが、最高裁判事に任命された経緯についてです。もう1つは、はっきりとした特色ある判決をされた国会議員選挙における一票の格差の問題についてです。 まず1つ目ですが、内閣法制局長官を辞めることになった経緯や理由はどういうことでしょうか?辞める前後の話を詳しくお願いします。 山本: もともと内閣法制局長官のポストは政治任用ですから、内閣ひいては内閣総理大臣がもう必要がないと思えばいつ辞めさせられても仕方のないことになっているわけです。私の場合、その後に出された「安倍晋三回顧録」によれば、私は「集団的自衛権を可能にするような憲法解釈はできないと、随分堅かった」となっていて、それが、長官職を交代する理由になったようです。それに、私の後任者を見れば、集団的自衛権など国際法の専門家ではあるものの、申し訳ないが法律案作成の素人なので、そういう人を後任に持ってくるということ自体、集団的自衛権を実現するために招致したのだなと思うのが自然でしょう。 そこで、集団的自衛権を憲法9条の下で出来ないかということなのですが、これについては昭和30年代から営々と積み上げてきた確立した政府解釈があって、急迫不正の侵害があった場合に、他に手段がない限り、必要最小限の武力の行使ができるという3要件が必須と考えております。 ところが集団的自衛権は、我が国の同盟国が他国に攻撃された場合にこれとともに我が国も武力を行使するというものですから、従来の政府解釈ではできるはずがない。国連憲章では、各国は個別的自衛権も集団的自衛権を持つというのを根拠にしても、我が国は憲法で自らの手を縛って集団的自衛権は行使しないことにしているわけです。 それを真正面から行使可能にせよというのでは、出来ないと言わざるを得ない。憲法9条は、我が国は国の交戦権を否定し、そのための戦力を持たないとしているわけだから、たとえ同盟国のためとはいえ、自国が攻められてもいないのに、武力行使ができるはずがないと思います。したがって、集団的自衛権の行使を可能とするためには、私を除外する必要があったのだと思いますね。 明賀: 例えば内閣法制局長官を辞めさせられた人は過去にいますか? 山本: これまで長官は、内閣改造の際とか、夏休みの終わりとか、年末などの節目で交代しております。いずれにせよ、政治任用ポストなので、いつでも辞めさせられるし、辞めさせるのに、理由は要らないわけです。私の場合も、通例通り、参議院選挙の後の内閣改造の機会に交代したものです。 明賀: 著書の中に、信念に反しても職にとどまることは生き方に反することで、辞任に備えて声明文を用意されていたと記されていますが、そのことについてもお話しいただければと思います。 山本: それは、安倍晋三内閣の前の野田佳彦内閣の時代です。その時に、集団的自衛権ではありませんが、やはり憲法9条の関係でそれまで積み上げて来た法理論を根本から蔑ろにする法改正を具体的に指示されそうになりました。つまり、国連平和維持活動協力法(PKO法)を文民保護のために改正し、自衛隊に海外での武力行使をさせようという意図で、「国に準ずる組織」とか「非戦闘地域」という概念を使わないで案を作成せよなどという無茶苦茶なものでした。これについては、憲法で禁じられている武力の行使という評価を避けるための必要な概念だと粘り強くご説明申し上げたのですが、最後には首にするようなことをちらつかされて、そんな信念に反することをさせられるのであれば、先手を打って辞めてしまおうと考えたわけです。 ところが、政権与党が長い安倍内閣は、さすがにそんな稚拙なことはしなかったですね。通常の長官交代の例にならい、理由も何もなく、淡々と交代を告げられただけです。 山本: その野田佳彦内閣の時の話に戻りますが、今申したように憲法9条に反するような法改正案を指示されそうになった。その時の心境は、「まさに『忠ならんと欲すれば孝ならず』というものです。私としては、内閣を補佐する立場を全うしなければならない職責があると考える一方、国家公務員として憲法99条の規定に基づき、憲法を尊重し擁護する義務を果たすべきという立場も有しております。その職責と義務の相剋の中で、悩みに悩み抜いた末、私の立場からすれば後者をより重視すべきもの」と考えた次第です。ただ、私の抵抗が功を奏したのかどうか知りませんが、この改正案は、その後立ち消えになりました。 たまたま、アメリカでも政治家と法律家との間で、同じようなことが起こりました。トランプ大統領が就任した直後、「外国人テロリストの入国からの米国の保護」という強引な大統領令を発しました。これに敢然と立ち向かったのが、米司法省のサリー・イェイツ長官代理で、彼女は、「私には、常に正義を追求し、正しいことを弁護するという我々の機関に与えられた厳粛な責務を果たし続ける責任がある。」と表明し、「大統領令を弁護することがこの責務を果たせるとの確信も、大統領令が合法という確信もない」との書簡を発したので、解任されたわけです。だから、この人も、気骨があるなと、法律家の発想は、洋の東西を問わず、同じだなと感じたものです。 明賀: 最高裁判事になるようにとの話が、いつの段階であり、どのように考えて受けることにしたのですか。 山本: その交代を告げられた後、しばらくして「ついては、最高裁の竹内判事の後任になってくれないか」という話があったわけです。 こんな時期にそういう職に就くと、何をいわれるかわからないという気がしたのですが、よく考えてみると、これは私の法律の学識を評価していただいていることに加えて、裁判官独立によって守られることから、今まで以上に自分の信念に従って仕事ができる天職ではないかという思いが頭をもたげてきて、それならばこの話を受けて、後世に残る名判決をすることこそが、世の中のためになると思ったわけです。 明賀: 任命直後の記者会見で、記者から「憲法9条の解釈変更による 集団自衛権の行使について、どう考えますか」という質問を受けたとのことですが、それに対してはどう考えどう答えられましたか。 山本: これに対し「政治的色彩が強いご質問だから、最高裁判所の一判事となった私の見解を申し上げるのは差し控えたい。」と無難に答えるのも一案でした。 しかし、ここで逃げるのは自分自身に対して許せない。それに、長官退任の際、私の所感を国民に対して説明する機会が全くなかったことは、非常に心残りでした。そこで、「ここは自分の信念に忠実に行こう。その結果、敢えて火中の栗を拾う形になっても仕方がない。判事をたとえ1日で辞めることになっても、それが私の運命だ」と瞬時に考えて、次のように答えました。 「結論をいうと、なかなか難しいと思います。憲法9条の下で、我が国自身に対する武力攻撃がある場合に限って必要最小限度の反撃ができ、その限度で自衛の装備が持てるということで、過去半世紀くらい、政府はそのような解釈をしてきました。これに対し集団的自衛権は、我が国が攻撃されていないのに、我が国と密接な関係のある他の国が攻撃されたときに、ともに戦うことが正当化される権利です。いま申し上げた従来の解釈からして、我が国はそのような権利を行使できないと私は思っています。その従来の解釈を変えることも、難しいでしょう」 次いで記者から「憲法そのものを変える選択肢はありますか」という問いがあったので、私はこのように答えました。「一般に、法規範が現状に合わなくなったのであれば、その法規範を改正するのが一番明確な解決策で、それをするかどうかは国会と国民の判断です。私自身は、地球の裏側まで行くような集団的自衛権を実現するというのなら、憲法改正をする方が適切だろうと思います」 明賀: その発言について、官房長官からは「公の場で憲法改正の必要性まで言及したことについて、非常に違和感がある」と記者会見で言われたそうですが、それについてはどう考えられましたか。 山本: 私がいま言ったことに尽きるのですが、そもそも集団的自衛権をやりたいのであれば、無理に無理な解釈を重ねていくよりも、憲法改正が王道であろうし、そうするのが法治国家の政治家のあるべき姿ではないかと思いました。 明賀: もう一つの国会議員選挙における一票の格差の問題について話題を移します。 1.2倍以上の格差は違憲、無効だとはっきり判断されたことについて、判決文の中には詳しい記載がありますが、そのポイントとなるところについてご説明願います。 山本: 憲法は、代表民主制に支えられた国民主権の原理を宣明しているわけですから、その要となる国会を構成する両議院の議員は、文字どおり公平かつ公正な選挙によって選出されなければならない。したがって、一票の価値の平等は、唯一かつ絶対的な基準と考えるべきです。 ただし、人口の急激な移動や技術的理由などの区割りの都合によっては、ある程度の一票の価値の較差が生ずるのはやむを得ないところであるが、それでもその場合に許容されるのは、せいぜい2割程度の較差にとどまるべきであり、これ以上の一票の価値の較差が生ずるような選挙制度は法の下の平等の規定に反し、違憲かつ無効であると考えます。 この場合、無効とすることによる混乱などを回避するため、いわゆる事情判決の法理を用いて請求は棄却するが当該選挙が違法である旨を主文で宣言するという考えがあり得ます。しかし、法律上の明文の根拠もなく、そのようなことが許されるものではありません。裁判所としては、違憲であることを明確に判断した以上はこれを無効とすべきであり、そうした場合に生じ得る問題については、経過措置つまり経過的にいかに取り扱うかを判決中で同時に決定すればよいと考えます。 この点、私は学生時代から、事情判決などというこんな誤魔化しの不当な考えはあり得ない、違法なら直ちに無効と判断すべきだと思っていました。もっとも、ただ単に無効だとすると、全てが覆されて大混乱に陥るという懸念がありますが、その学生の時には、解決策を思いつかなかった。ところが私は、その後20年間、内閣法制局で過ごして、そこでの経験を踏まえて、法案作成のときの附則の経過措置のような考え方をすればよいと思いつき、それを私は反対意見で示したつもりです。 まず、判決により無効とされた選挙で選ばれた議員で構成された参議院又は衆議院が既に行った議決等については、選挙無効の判決の効力は将来に向かってのみ発生し、過去に遡及するものではないと考えるべきです。 次に、判決により無効とされた選挙で選ばれた議員の身分の取扱いについては、その無効とされた選挙において一票の価値が0.8を下回る選挙区から選出された議員は、全てその身分を失うものと解すべきである。それ以外の選挙区から選出された議員については、選挙は無効になるものの、議員の身分は継続し、引き続きその任期終了までは両議院議員であり続けることができるとする。このように解することにより、新しい選挙区の区割法を議決し、次の選挙に臨むことができるとしたものです。 明賀: 一票の格差についてそれまでの判決では、2倍とか3倍とかの数字が使われていますが、そのことについてはどう思われますか。 山本: 2倍とか3倍というのは、明らかに法の下の平等に違反します。私は、最高裁にいて、普通の事件では、驚くほど緻密な論理を展開するのに、どういうわけかこの1票の格差問題だけは、論理も何もない非常にアバウトな形で結論を導いています。事情判決の法理しかり、それから最近多用されている合理的是正期間論つまり「投票価値の較差は違憲状態にあるが、未だ是正のための合理的期間が経過していない」という理屈にもならない理屈もしかりです。でもこれらは、もう使い古した論理で、さすがにもう使えないと思います。そういう意味で、総選挙毎に先生たちが起こされる定数違憲訴訟は、安きに流される裁判所を少しずつだが覚醒させる効果がある。ぜひ続けていってほしいと思います。 明賀: 事情判決ということで、違憲だが無効にしないというのがこれまでの大多数の意見ですが、それについてはどう考えられましたか。 山本: 違憲だが無効にしないというのは、単なる気休めで、合憲と言っているに等しい。私は、そういう従来の事情判決の法理が不当で成り立たないということを示すために、反対意見を書いたものです。 明賀: このシンポジウム基調報告書91ページに、最近の最高裁判決の分布、下の方には一票の格差についての各最高裁判事の意見の分布があります。出身構成を見ると、キャリア裁判官出身は全員が合憲説、弁護士出身も以前はかなり少数意見を書く人が多かったのですが、最近は少なくなっていることが見てとれるの ではないかと思います。 この点について、何かコメントがあればお願いします。 山本: これは、なかなか言いづらいですね。口を開くと、弁護士出身判事がその役割を果たしてないということになってしまいます。でも、本当はその通りだと思います。特に、事情判決の法理のように、違憲だが無効にしないというのは、自己満足に過ぎない。こんなものに、弁護士出身判事が同調してほしくないですね。結果的に、法の下の平等を蔑ろにしていると思います。 明賀: 集団的自衛権の問題、一票の格差の問題など、司法と政治の接点やあり方について、今日は具体的な話をしていただきました。司法と政治の関係でも、他におっしゃりたいことでも何でも結構ですので、司法の今後のあり方について皆さんに話しておいておきたいことを最後にお願いします。今後の司法のあり方についての警鐘でも何でも結構です。 山本: 私が思うのは、司法界全体が、情報化が遅れていることです。DX(デジタル・トランスフォーメーション)が必要ですね。私も最高裁判所にいて、刑事の否認事件などは、ロッカー2つから3つほどの記録があるのですが、そこから供述の変遷を追加的に調べようとすると、大変な手間がかかる。また、交通事故などは、警察の車両が臨場して現場の事故の様子をデジタルで計測し、それをわざわざ紙に印刷して膨大な資料として裁判所に提出する。そんなものは、3Dで容易に見られるようにすれば良い。また、簡易裁判所を含めて地方に膨大な裁判所網を持っていますが、警察の令状請求のためにわざわざ当番を決めて対応しなければならない。これが若い裁判官には大きな負担となっている。仮にこれをデジタルでも良いとすると、大都市に拠点を作るだけで対応できます。 (令和6年11月2日著) (お願い 著作権法の観点から無断での転載や引用はご遠慮ください。) |
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