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目 次 |
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| 1 | 昭和百年記念式典参列 | ||
| 2 | 首相等三権の長の式辞 | ||
| 3 | 海上自衛隊東京音楽隊 | ||
| 4 | 皇后陛下の写真を撮る | ||
| 5 | 日本が向かう将来の道 | ||
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1.昭和百年記念式典参列
令和8年4月29日、東京の日本武道館で政府主催の「昭和100年記念式典」が挙行された。案内状によると、「令和8年に昭和元年から起算して満100年を迎えることを記念し、激動と復興の昭和の時代を顧み、将来に思いを致す機会となるよう、記念式典を挙行する」とあった。 内閣府の庁舎に正午に集まり、そこからバスで会場の日本武道館に向かうという。式典は、午後2時から始まるので、2時間も早い。いささかサバを読み過ぎの感があるが、仕方がない。内閣府庁舎に行ってみると、元内閣法制局幹部はもちろんのこと、元最高裁判事、元内閣総務官など、懐かしい顔の面々がおられる。ひとしきり雑談をしてから、なるほど、これはいわばOB会だと思えばよいのだと考える。 さて、バスは式場に到着し、我々は1階席に案内された。舞台は地階に据えられている。その地階には、どうやら現役の国会議員、国務大臣、行政官、最高裁判事の席があり、向かって右には、海上自衛隊の東京音楽隊が控えている。壇上の左右には大きなスクリーンがあり、式典が始まるまでの間、懐かしい昔のニュースが流れている。
時間になり、天皇皇后両陛下がご臨席になる。全員が立ち上がってお迎えをする。次いで、君が代を斉唱する。それが終わり、席につくと、三権の長の式辞がある。 高市早苗内閣総理大臣は、次のように述べた。 「本日、天皇皇后両陛下の御臨席を仰ぎ、各界多数の方々の御参列を得て、『昭和100年記念式典』を挙行いたしますことは、誠に喜びにたえません。本日の式典に、御協力をいただいた関係者の皆様、御参加をくださいました皆様に、心より御礼を申し上げます。 私は、日本と日本人の底力を信じてやみません。日本の誇るべき国柄を、未来を担う次の世代へとしっかりと引き継いでいく。私たちには、その大きな責任があります。今日この日を、昭和の時代を顧み、我が国の伝統や歴史の重みを噛みしめながら、将来に思いを致す機会としたいと思います。 昭和は、戦争、終戦、復興、高度経済成長といった、未曽有の変革を経験した時代でした。先の大戦の後、昭和天皇は、全国各地を巡幸され、戦没者・戦争犠牲者の御遺族をいたわり、戦後復興に勤しむ国民の皆様を励まされました。 日本人は歯を食いしばって働きました。『もはや戦後ではない』、1956年。先人たちは、終戦から僅か10年で、日本経済を再び立ち上がらせました。その後、果敢な挑戦により、我が国の経済規模は世界2位にまで駆け上がっていきます。 『霧は晴れ 国連の塔は 輝きて 高くかかげし 日の丸の旗』、同じ年、日本は国連に加盟します。重光葵外務大臣は、ニューヨークで高らかに詠い上げています。国際社会への復帰は、日本の悲願でした。その年、イタリア・コルティナで、スキーの猪谷千春選手が、冬季五輪で日本人初のメダルを獲得します。日本人がいない米国の大学に留学し、スキーと勉学の両立に励んだ上での快挙でした。日本中が歓喜に沸きました。 今日より明日はよくなる。70年前の昭和の日本には、希望が、確かにありました。 令和の現在、日本と世界は大きな変化を迎えています。日本においては、静かな有事とも言うべき少子化・人口減少の進行、長期にわたるデフレから一転しての物価高、潜在成長率の低迷、戦後最も厳しく複雑な安全保障環境。そして、世界を見渡せば、国家間の競争が激化・複雑化・常態化し、私たちが慣れ親しんできた自由で開かれた安定的な国際秩序は大きく揺らぎ、政治・経済の不確実性が高まっています。 今こそ、激動の昭和を生き、先の大戦や幾多の災害を乗り越え、希望を紡ぎ出した先人たちに学び、私たちも果敢に挑戦していく必要があるのではないでしょうか。 全国各地で、昭和100年関連行事が実施されています。昭和の躍動や体験を発掘し、次世代に伝承していく取組や、昭和の挑戦を振り返り、未来を切り拓いていくための企画展示などが展開されています。これらが、特に、若い世代の方々に先人たちの叡智や努力を知り、これからの挑戦のきっかけとなることを願っています。挑戦しない国に未来はありません。守るだけの政治に希望は生まれません。 本日の式典には、ボーイスカウトやガールスカウトで活動している青少年、世界青年の船や東南アジア青年の船に参加した青年など、次代を担う若者たちが参列しています。今年初めて投票してくださった18歳の若者も、生まれたばかりの赤ちゃんも、その多くが、22世紀を迎えることができるでしょう。その時に、日本が安全で豊かであるように。『インド太平洋の輝く灯台』として、自由と民主主義の国として、世界から頼りにされる日本であるように。若者たちが、日本に生まれたことに誇りを感じ、『未来は明るい』と自信を持って言える。そうした国を創り上げていく。『日本列島を、強く豊かに。』日本に希望を生み出していくことを、改めてここに決意いたします。」 次いで、衆参両議院議長の祝辞があったが、これらは省略して、今崎幸彦最高裁判所長官の式辞を要約すると、次の通りである。 「未曽有の戦禍とその後の驚異的な復興を成し遂げた昭和という時代は、国民のたゆまぬ努力の積み重ねであった。 日本国憲法の施行とともに歩んできた戦後日本の歩みを踏まえ、法の支配、基本的人権の尊重、そして平和主義が日本社会の礎であることを再確認する。 昭和の教訓と豊かな成果を次世代へ引き継ぐことは重要で、新たな100年に向けて、より公正で開かれた社会を築くために司法が果たすべき役割は大きい。 中でも、社会が複雑化し、価値観が多様化する現代において、法に基づき適正な裁判を行うことで、国民の信頼に応え続ける決意である。」 3.海上自衛隊東京音楽隊 そして、次は何があるのかと思っていたら、海上自衛隊東京音楽隊による昭和の歌謡ソングのメドレーである。まずは坂本九の「上を向いて歩こう」であり、次に松田聖子の「赤いスイートピー」から始まって、イルカの「なごり雪」など昭和歌謡史に残る名曲の数々だ。 歌手は、海上自衛官の橋本晃作さん、三宅由佳莉さんであるが、それぞれ本当に美しいテノールとソプラノである。思わず聞き惚れてしまった。特に三宅さんは、かつて観艦式でお見かけしたことがあったが、ますますその声に磨きがかかっているようだ。 その後、30分ほど、この美声の共演が続いたのち、あっという間にこの式典は終わってしまった。本日は、まるで、このコンサートを聴きに来たようなものだと思った。 4.皇后陛下の写真を撮る 武道館からは、バスに乗らずに地下鉄の九段下駅まで歩いたのだが、その帰りがけ、天皇皇后両陛下がお乗りになった車が目の前を通り過ぎた。何の気なしに携帯のカメラを向けたところ、車中からにこやかに挨拶をされている皇后陛下の写真が撮れていた。
帰りの道すがら思ったのだが、昭和という時代は、未曾有の恐慌に始まり、無謀な太平洋戦争へと突き進み、敗戦後の焼け跡から高度経済成長を遂げて世界第二の経済大国となった。いわば、いったんゼロとなり、そこから這い上がって準優勝したようなものだ。 しかし、そのあとがいけない。平成不況が30年も続き、賃金は横ばい、円の対ドルレートも半分となり、経済規模も人口が半分のドイツに抜かれて今や世界第4位に落ちぶれてしまった。少子高齢化と人口減に悩まされている。国際環境もトランプやプーチンのせいで弱肉強食の19世紀の帝国主義の時代に逆戻りしたようだ。 これからどうなるのか、日本の将来を思うと一方では暗澹たる気もしないではないが、他方では戦後80有余年をかけて積み上げてきた誠実さと正直さを武器に、ミドル・パワーの国の一つとして、各国と伍していく道は十分にあると思うので、私はさほど心配はしていない。ただ、巧妙で老練な外交が必要である。 (令和8年4月29日著) (お願い 著作権法の観点から無断での転載や引用はご遠慮ください。) |

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