This is my essay.








 梅雨に入りかけの6月初めの土曜日、空を見上げると曇っているし、天気予報は夕方から大雨と出ている。最近は天気予報の的中率は高く、現に昨日の大雨も当った。というわけで、家内と一緒の今日のお出かけは、建物の中にしようといって、最近オープンした品川プリンス・ホテルの水族館に行くことにした。家内が五月の連休に言ってみたところ、三時間待ちといわれて帰ってきたいわく付きの場所である。したがって家内にとっては、今回は再挑戦ということになる。

 神田に出て山手線に乗り換え、品川駅に着いて高輪方面の坂を上り、エプソン水族館とやらに到着したとたん、30分待ちといわれた。やはり今回も駄目だったかというわけで、トボトボと品川駅に戻っていく途中、この駅にオイスター・バーがあることを思い出した。2年ほど前にこれが出来たときには大層な混みようで、とても行く気がしなかった。しかしいくら何でも、もう空いている頃だろうと思って品川駅の案内所の女の子に聞くと、駅ビル「アトレ」の4階にあるとのこと。そこで、駅の構内を品川口の方へと歩き、東海道新幹線の乗り口を通り過ぎたところにあるエスカレーターを登っていくと、もうそのフロアにあった。


 正式には、グランド・セントラル・オイスター・バー&レストランというそうで、本店は、ニューヨークのマンハッタンの玄関口であるグランド・セントラル・ステーションの駅構内にて1913年に創業した店とのこと。店内は、ご覧のように禁酒法時代のようなドーム型天井で、キラキラした真鍮の棒がきらめくバーの設備は、いかにもアメリカ的である。同じようにアメリカのステーキ屋を直輸入した赤坂のローリーズは、とてつもない分量で、日本人にはとても食べきれないほどの量がドドーンと出てくる。こちらもそうなったら困ると思って、注意深く注文することにした。どうやら、コースのセットに、追加注文として、生牡蠣をオーダーすればよいことがわかった。生牡蠣のメニューには、1pieceとある。いつぞや、アメリカのレストランで注文したら1ダースを持ってきたことを思い出した。しかし、ここは日本である。そこで試しに「これ、ひょっとして文字通り一個のことか」と聞くと、そうだというので、思わず笑ってしまった。

 しかも、生牡蠣のメニューには、本当にいろいろな種類が挙げられていて、それぞれに値段が違う。オリンピア(ワシントン アメリカ)、ステラベイ(ブリテッシュ・コロンビア カナダ)、大黒神島(広島)、厚岸(北海道)・・・といった調子である。こんなこだわりは、いかにも日本的である。面倒だから、オイスター・プラッターというセット・メニューを注文した。生牡蠣が4つ入ったその注文の品を持ってきたときに、ボーイさんがこれは何、あれは何と説明してくれたが、みーんな忘れてしまった。だいたい、口に入ったらどれもジューシィにしてとろけるようで旨い。ひとつひとつ味わおうとしても、一緒に付けたホースラディッシュか、トマトソースか、あるいはビネガーの強烈な味が舌に残り、そういう意味では産地ごとの味を吟味するどころではなかったのである。いずれにせよ、どの生牡蠣も色は乳白色で、美しかった。

 私はアメリカで、二回だけ、生牡蠣を食べたことがある。一回目は、港町ニューオーリンズの中心街で、真夜中にジャズを聴きながらバーで食べたのが最初の経験である。今から20年以上も前のことで、その頃は私も興に乗ると酒を飲んでいた。ディキシー・ランド・ジャズの本場である。ともかくその雰囲気たるや最高で、あのミュージシャンたちは、いずれも名だたるその道の達人のはずである。思い返せば、名前を確認してこなかったことが、返す返すも残念である。その名人たちのジャズ演奏と、ぐびりと飲むウィスキーの合間に平らげたのが、生牡蠣である。指を一本立てると、ハーフダズンつまり6個を持ってくる。

 持ってきたものをよくみると、よく洗っていないせいか、茶色のぬるぬるしたものが着いている。酔眼にもはっきり見えて、思わず「これ、食べて大丈夫か」と聞いた。すると、ウェイトレスは、「大丈夫よ。ほら、こんな風にキレイにするのよ」とか言って、添えられたカップの中にあるトマトケチャップの中で、振るって洗えという。ホントに当たらないかと心配になったが、そこはジャズとウィスキーで頭の中が気持ちよくなっていて、むしゃむしゃと食べてしまった。いやいや、美味しいものだと思い、もう1ダースといって、それも平らげてた。これ、当たったかなぁと思いつつ、そのまま、ホテルに帰り、すぐに寝込んでしまった。朝になり、酔いが醒めてふと我に返って恐ろしいことをしたと思ったが、幸いなことに、体は何ともなかった。トマトケチャップのまじないが効いたようである。

 もう一度は、それから数年後、今度はワシントンへ出張したときのこと、連日にわたり緊張するやりとりをしていて、やっと週末になった。せっかくだから珍しいものを食べに行こうといって、アレキサンドリアという港町までわざわざ車を走らせた。そこで、とある有名なレストランでは、ブルー・シェル・クラブつまり、脱皮直後の蟹を甲羅のまま食べさていた。脱皮したばりであるから、甲羅はやわらかくて、実においしい。ソフト・シェルとも言う。これがメインで、そのときにも生牡蠣を注文した。口にツルッと入っていき、こちらも美味しかったことをよく覚えている。

 この東京オイスターバーの生牡蠣は、さきほど挙げたように、国内産のものと、アメリカ(シアトル、ボストン沿岸)、カナダ、オーストラリアから輸入されたものらしい。日本では、牡蠣はRの付く月に食べるものといわれてきたが、話によるとそれは、たまたまRの付く月は、牡蠣のうまみ成分のグリコーゲンが産卵期の後に減少するので、味が淡白になる時期に当たるからだという。しかし少なくともこの東京オイスターバーでは、南半球からの輸入もしているので、その法則は当てはまらないようだ。こんな美味なるものを一年中味わえるなんて、日本はやはり、経済大国なのだろうか。私も、若い頃はアメリカ出張を繰り返したが、今から振り返ればあんな緊張する日々はなかった。

 ソフト・シェルと生牡蠣を食べたときなど、第一日目は午前9時から午後6時まで、昼食のサンドイッチ・タイムの20分をはさんで、アメリカ側と丁々発止とやりあった。相手は実にうまく言うもので、「自分たちの原則は三つ、これとこれとこれ。その観点からすると、こうすべきである」などと攻めてくる。しかしそれにうかうかと乗ると、日本側として実に困ることになる。いや、当面は困らなくとも、事態が進んでいくと必ず壁に当たる。そこで、それは駄目だというと、なぜだと来る。理由はこれこれと説明しても、むろん納得しない。そして最後にぶつけてくる言い草は「日本の言うことは、われわれの原則に反する」となる。しかし、一見それも耳に心地よく聞こえるが、結局は国益丸出しではないかというわけで、ブレイクの間に、こう言おうと打ち合わせて、それを相手にぶつける。すると、そんな反撃を予想もしなかったと見えて、怒り出す。「 I am frustrated! Frustrated! 」と繰り返し言うので、おかしくなったりした。

 そんな調子で、二日目は午前8時から午後7時まで、同じようにやりあった。そして三日目に突入し、午前7時からお昼頃まで膠着状態が続いた。そして事態が動きだしたのがお昼のブレイクのあとである。このままではこの交渉は物別れというときに、アメリカ側が、「それではこう提案する」ということで、まあまあ呑めそうな案を出してきた。ちょっと時間をくれといって、別室で日本側関係者で鳩首協議をした。盗聴ということもありうるので、筆談である。いろいろ考えた結果、二点だけ、クラリファイが必要だと思い、それを聞くことを提案し、そうなった。再開した交渉で、その点を質したところ、相手があっという顔をしたので、しめたと思ったものである。やはり、急所だったらしい。そこで、その点を詰めてやっと妥結したので時計を見たら、午後8時を回っていた。緊張していたので、それまでは気がつかなかったが、妥結した瞬間、喉がからからになっていた。

 これが私が経験した中で、一番タフな交渉だった。それから全員で、ワシントン市内のレストランに食べに行った。疲れている目の前に、30センチもある巨大ロブスターが出てきて、辟易したものである。その席で、アメリカ人のひとりから、私はこう言われた。「日本側交渉団で、キミだけは我々と同じく、交渉が終わるまでトイレに行かなかったね」。確かに、日本側のある人など、一時間おきくらいに、トイレのために席を外していた。そのほかの人たちも、大なり小なり、同じようにトイレに近かった。その点、確かに私だけが、朝から晩まで、トイレに行かなかった。どうやら、アメリカ人は、こういう場合にはトイレに行かないように訓練されているらしい。その点、私を同類とみてくれたらしいのである。しかし、こんな妙なことで誉められたのは初めてのことで、無論その後も、このようなことは絶えてない。おっと、東京オイスターバーの生牡蠣から、つまらぬことを思い出してしまった。






(平成17年6月 7日著)
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悠々人生・邯鄲の夢





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(出典) 音楽(すやきん 様)