This is my essay.








 The Breif History Of Time という原題で1988年に出版されたこの本は、翌年に日本でも訳本が出されると、宇宙論ブームを巻き起こした。その内容もさることながら、ALS(筋萎縮性側索硬化症)を患うホーキング博士の特異なキャラクターも相まって、一般の人々の宇宙とその起源についての関心をいやが上にも高めたのである。

 私も、かねてから宇宙の始まり、万物の根元、時間と空間などについて非常に興味があり、いろいろな啓蒙書を読みあさっていた。その中でもこの本は、当時の最高の知識を網羅してわかりやすく記述していることから、私の一番のお気に入りとなった。また、当時、ホーキング博士(Dr. Stephen W. Hawking)が日本を訪れて講演をしたり、NHKでケンブリッジにおける博士の日常生活の一部が紹介されたりしたので、博士に親しみを感じた人も多かったと思われる。

 もとより宇宙開闢を説明するビッグバン理論には、まだ解決されていない欠陥がある。それは、ビッグバンに際して、その爆発的膨張の瞬間である特異点には、現在知られているあらゆる物理法則が適用できなくなるという点である。これについて博士は、i=−1という複素数を適用すれば少なくとも数学的には解決できることを示したのである。私は、「中学校以来、全くご縁がなかった複素数が、変なところに出てきたものだ」と、いたく感心したものである。その博士が書いた本だというので、早速これを読んだというわけである。

 いまや宇宙にある望遠鏡にその名を残しているエドウィン・ハップルが発見した膨張する宇宙の姿は、1965年のマイクロ波の背景放射で証明された。その膨張の時間の流れを逆にたどれば、いつかはすべてのものが一点(特異点)に集まるはずである。ホーキング博士は、これをペンローズとともに証明して名を上げたのである。ただ、これとともに一般相対性理論の限界も明らかになり、従来のままでは宇宙のはじまりを説明できない。これについては、量子力学の知見によって初期のごく小さな宇宙を扱うことができると考えたのである。

 量子力学は、不確定性原理に基づくものである。これによると、粒子はある確定した位置をもつものではなく、ある確率をもってぼやりと存在しているものである。粒子は、波といいかえてもよい。この理論は観測結果と完全に一致し、半導体など現代のあらゆるテクノロジーの基礎となった。これを重力場が非常に強くなるブラックホールやビックバンのような宇宙の初期の状態に当てはめると、その現象の説明がつくというのである。

 他方、原子を形成している陽子と中性子の研究も進み、これらは6通りのフレーバー(アップ、ダウン、ストレンジ、チャーム、ボトム、トップ)と、3種類の色(赤、緑、青)との粒子から成ることもわかってきた。宇宙のすべてのものは、この粒子で表される。これには二つのグループがあり、宇宙の物質を作り上げているスピン1/2の粒子と、これらの物質粒子間の力を生み出すスピン0,1,2の粒子である。物質粒子が力を担う粒子を放出するとそれで動きが変わり、またその粒子が他の物質粒子に吸収されるとその動きも変化するので、二つの物質粒子間に力が働いたように見えるという。

 こうした力を担う粒子は、四つの力を持つ。重力(あらゆる粒子に引力として働く)、電磁気力(電荷を帯びた粒子に働く)、弱い核力(物質粒子に働き、光子や電子などスピンが整数のものには働かない)、強い核力(原子核の中で陽子と中性子をまとめる閉じこめる力)である。大統一理論は、後三者は統一できたが、重力についてはまだである。

 以上のような当時ホーキング博士が説明した理論物理学の状況は、10年近くが経過した現代でも、同じようなものである。ただ、スーパーカミオカンデがニュートリノに質量がありそうな結論を出しつつあるし、また宇宙の年齢が140億年と計算され、ゆるやかな膨張を続ける開かれた宇宙であるとの観測結果も出されている。

 私の少年時代は、図鑑によれば宇宙は火の玉だったというガモフの説があった。それと、宇宙はやがて膨張が尽きて冷えて固まってしまうという図と、その逆に膨張から収縮にいつかは転じてまた火の玉になるという図とがあった。しかし、そういう広大な宇宙の行く末が、原子より小さい世界と共通の理論で解明されようとは、当時の人は誰も考えつかなかったであろう。私の生きてきたこの20世紀の後半でも、宇宙観にこれほどの進歩があったことを思うと、人類もなかなかやるではないかという気になってくる。

 いつぞやのNHKの番組で、ホーキング博士のケンブリッジにおける日常生活が放映されていた。難病のために歩くことはもちろん、しゃべることも難しい博士が、私などには全くわからない数式の行列を一瞥しただけでそれを理解し、研究を進めていく姿に驚嘆したものである。また、娘さんが出てきて、「父がどういう研究をしているのか、私にはさっぱりわからない」と言っている姿が、ほほえましかった。どうも天才というのは、必ずしもそのまま遺伝するというものではないらしい。ということは、われわれの誰にでも、天才を生み出す可能性があるというわけである。

 話は飛ぶが、アメリカで根強い人気を誇っているテレビ番組に、スタートレックというものがある。もう数シリーズ目のはずであるが、その中で最近も放映中のものは、宇宙探査船ヴォイジャー号のシリーズである。時は24世紀、地球を中心とする150近い星々で構成される同盟の惑星連邦が成立していた。その連邦所属の最新鋭の宇宙探査船にヴォイジャー号という戦艦があった。これはキャスリン・ジェインウェイという女性艦長が率いているが、あるとき突然未知の生命体の力で銀河系のはるか彼方にあるデルタ宇宙域にまで飛ばされてしまった。そこは地球から7万光年も離れた場所であり、故郷を目指して苦難の旅を続けるという設定である。

 いわば、宇宙版の幌馬車隊といったところであるが、単なるSFの域を超えて、出演する人物像の人間くささやストーリーの展開のおもしろさが光る番組である。しかし私にとってもっと面白いことは、そこに出てくる技術や状況設定に最新の宇宙理論が使われている点である。たとえば、ワーム・ホールという特殊な空間又は部分があって、そこは別世界に通じているというのは、小宇宙を論じた最新の紐理論仮説ではないだろうか。空間移動技術も、最新の量子力学の仮説と類似している。この番組を見て、あの理論とそっくりだと思いつくのも、楽しみである。

 まあ、過去50年間でこれほどの科学の進歩があり、宇宙の開闢に迫ろうとしているわけであるから、これからあと50年後には、相当のことがわかってきているに違いない。また、神の存在についても、何らかの結論が得られているかもしれない。私はそれまで何とか命永らえて、できれば宇宙のはじまりの最新理論を見届けてから、神のもとか、あるいはその宇宙の藻屑へと再び帰っていきたいものである。


(November 23, 2000)




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Essay of My Wonderful Life

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