悠々人生・邯鄲の夢エッセイ



雲がかかる穂高の山々と濁流の梓川




 仲間と上高地に出かけた。実に手軽な旅で、朝10時に新宿を出たかと思えば、夕方6時前には北アルプスの山中の宿で、のんびり温泉につかっている。その名も白骨温泉という、バスが一日に2本しかないところである。しかもその途中で、松本で松本城を見学し、信州そばを食べるという寄り道をして、まだこの時間なのである。

 私は、これまで松本で乗り換えたことは幾度もあったが、下車してこの町のお城まで見たのは、これがはじめてである。仲間の一人に長野県出身の人がいて、たまたま松本城の近くの老舗の蕎麦屋を食べようと提案してくれていた。全員でそこに行き、その蕎麦を食べたあとで時間が余ったから実現したものである。この蕎麦は、きしめんのような平たいもので、食べたときは何ということもない味であったが、しばらくしてその味の余韻が口の中に広がってくるという、誠に不思議な蕎麦だった。


松本城


 ところで、松本城は、地方の中都市にふさわしく、小振りながらも、なかなか美しいお城である。シルエットがくっきりとしてしゃれている。かつて、松江を訪ねてそこのお城の小粒で質実剛健なスタイルもいいな、と思ったことがあるが、そこで味わったものと同じような清々しさがある。日本の美というものであろう。天守閣に登って周囲を見おろすと、城を取り巻く堀割りの形もいい。その角は全体として星形なので、大砲を想定した近代の城という風情がある。

 松本城は、今日まで立派に保存されているが、その甲斐があって、国宝に指定されている。もちろん、その陰には、幾多の方々の努力があったらしく、特に2人の方の顕彰碑が掲げられていた。たしかに、コンクリートで再建された大阪城や名古屋城では、中に入っても何の感動もないが、この松本城の中を見ると、当時を偲ばせるものばかりである。とりわけ、いかにも戦いのために作られていた城だということが、よくわかる。細部の作りに生の感動があるのである。たとえば、城の中層階には、小窓の開いた壁の周囲に「武者走り」と称する一段低い廊下があって、実戦のときにはそこを鉄砲弓矢を担いだ武者が移動したらしい。機能的である。その壁の小窓も、外側が小さく、内側が大きくなっていて、しかも内側からは死角がないようになっている。それやこれやを見ていくと、鉄砲が普及しつつある時代に作られた城らしいのである。

 天守閣の中には、鉄砲そのものや、その鉛玉がたくさん展示してあった。鉄砲は、後期のものは細長くて洗練された形のものが多いが、前期のものは、てんでばらばらである。中にはもう何というか、伝説の「ツチノコ」のような形の、ずんぐりむっくりしたのものから、螺鈿をちりばめて細工しておる工芸品のようなものまである。また鉛玉は、現代でいえば、漁師が漁をするときに使う錘といってもおかしくないものばかりで、直径1センチ近いものまであった。また、これらは鉄砲の個人的収集に当たった方のコレクションらしくて、種子島、堺、根来などの鉄砲産地の鉄砲の特徴についてのパネルがあり、なかなか勉強になった。それにしても、その「ツチノコ」は、「馬筒」というらしくて、何と9キロを超すという。打ったときの反動も相当なものだろう。

 お城の中をどんどんと上っていくと、確か三層目から四層目に至る階段だと思うが、相当急な傾斜のものがあった。ミニスカートの女性にはお勧めできないが、そこをやっと登ると、天守閣の最上階に至った。そこからの眺めは抜群で、お城をとりまくお堀、その周囲の市街、そのまた周囲の北アルプスの山々まで一望に見渡せる。これが、殿様の味というものか、などと思いつつ、眼下に広がるお堀の水の色とその周囲の柳の緑を眺め、そして北アルプスの白く輝く山々の峰を見渡していた。


松本城からの眺め


 さて、松本駅に戻り、新島々(しんしましま)駅に向けて電車に乗った。銀色の車体に斜めに虹がかかっているような派手な車体で、どうやら三セクらしい。クリーム色に小豆色の縞があった昔の素朴な車体がよかったなぁと思っていたら、思いが通じたらしくてそれが途中の車両基地に停車しており、非常に懐かしかった。ほどなくして新島々駅に付き、そこからバスに乗った。一度これに乗った方ならおわかりと思うが、急流の流れる渓谷を左手に見つつ登っていく。特にバスどうしのすれ違いのときは、運転手の神業に拍手をしたい感じである。初めての時はそれなりに怖いと思ったが、いまでは慣れてしまって、それほどのこともない。ただ、自分で運転するのは、願い下げである。今回は、上高地に行く途中の沢渡(いままで「さわわたり」というものとばかり思っていたが、サワンドと発音するらしい)で左に折れて、白骨温泉に向かった。林道を約7〜8キロ行くと、実に鄙びた集落があり、それが温泉街である。その当たりでは、硫化水素のにおいがプーンとただよう。散歩でもしようかと外へ出たものの、小雨がぱらついてきたので、部屋に戻った。

白骨温泉の旅館


 すると、仲間が騒いでいる。何でも、風呂は入り口と建物の中の湯船では男女別だけれども、外の露天風呂は混浴らしい。その人は、それを知らずに素っ裸で露天風呂に入ろうとしたところ、女の人の先客がいて、その女の人は「いま、出ます」と叫んであわてて出ていったという。ところが面白かったのは、「若手のA氏がその人と一緒に湯船に入っていたのに、何でボクが入ると出ていくんだ。おかしい!」と言っていたことで、みんなで笑い転げた。その後で、私も風呂に入っていったが、硫黄泉で、白く濁っている。なるほど、白骨のような雰囲気があると思いつつ、中で湯船につかり、それから問題の露天風呂に出たが、残念ながらとういうか当然というか、女性は誰ひとりとしていなかった。たまたま雨なので、困ったと思っていたところ、思いがけないことに菅笠がいくつか置いてあり、それを被って入ってみると、ちょうどいい。なかなか風情があった。

 その夜から、雨がどんどん激しくなり、私は二階に寝ていたものだから、強い雨の音でしばし寝付かれなかった。しかしよくしたもので、うとうととしているうちに、その滝のような雨の音も遠くになり、いつしか眠りこんでいった。朝になって、再び雨の音で寝覚めてしまった。何しろ、バスは一日一本しかなくて、それが午前8時半に出る。早々に飛び起きて、食事をした。歩くので、たくさん食べる。みそ汁の濃さがちょうどいい。

 さて、そのバスに乗ったが、雨は一向にやむ気配がない。バスはどんどん登っていって最後に一方通行の釜トンネルにさしかかり、やや信号で待ってから入っていった。すぐに大正池というアナウンスがあって、びっくりした。目の前には、濁流で大きく膨れたドロ色の溜池のようなものがあり、それが大正池だという。絵はがきとは大きな違いである。バスの外では雨がますます激しくなる一方である。ところが、バスの乗客の中の若い女性3人が、そこで降りたのである。かわいそうに、ずぶ濡れになるのではないかと思ったが、皆元気にそのまま歩き出した。


目に染みる緑


 われわれは、終点のバスターミナルに到着した。こんな天候では仕方がないというわけで、予定より早いバスで下山することにし、整理券を取りに行った。そして、雨の中を河童橋の近くまで行ってみた。ところが梓川は濁流と化していて、とても普段の可憐な川ではない。荒れ狂っていて、いまにも泥水があふれそうである。穂高の山々も垂れ込んだ雲に覆われて、真っ白で何も見えない。そんな中、元気な人たちは、下流の田代橋まで行くといって、横殴りの雨の中を歩き出した。われわれ3人はやや日和見を決め込んで、河童橋のたもとのおみやげ店に入り、品々を見定めているうちに、都合よく雨は小降りとなった。そこで、先発隊のあとを追って、われわれも下流に向けて歩きはじめたのである。

案内図


 ザアザアという梓川の音を聞きながら、ぶらぶらと行くのであるが、空気は掛け値なしにおいしいし、雨も晴れてきて両側の緑豊かな山々が見えてくると、気分爽快となった。途中、清水屋ホテル前では、高山植物が花を咲かせていて、黄色いニッコウキスゲが数株あり、満開であった。「こんなに川が増水していては、橋は流れたかもしれない」と下手な冗談を言いつつさらに下っていくと、やっとその田代橋が見えてきた。橋を渡ると、真下を濁流がものすごい勢いで流れていった。

 そこで再び上流に向けて歩いていくと、帝国ホテルの近くの木道では鳥の鳴き声が響き渡り、ホトトギスもいたりして、清心な気持ちになった。顔を上げると穂高の山並みが美しく、また山の斜面を流れ下っている水理由が遠くからは雪渓のように見え、これがまた一興であった。それを背景として河童橋付近で記念撮影をし、帰路に就いたのである。実に良い一日だった。





(平成13年 6月26日著)
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