悠々人生のエッセイ








 今年の冬は、とても寒かったばかりか、雪国ではしばしば大雪に見舞われた。ここしばらくは暖冬続きであったから、北国の人々は驚いたという。かつて私がとても小さかった頃のこと、北陸に住んでいたときに三八豪雪というのを経験した。昭和38年の冬に、ものすごい量の雪が降ったのである。県庁所在地であったのに、一晩のうちに家が埋まるほどの大雪が降り積もった。そういうときは、どうなるのかというと、朝起きて玄関の方を見ると、まるで夜のように暗いのである。その当時の玄関は引き戸で、その戸はスリガラスであったから、普段なら昼夜の区別がわかる。しかし、そのときはそれまで見たことがないほど暗かった。あわてて玄関を開けようとしても、どうしたことか、それがなかなか開かないのである。父がしばし奮闘して戸が少し開いたと思ったら、何と外は白い雪で一杯であった。それでやっと、これはすごい大雪だと実感したのである。その前日の積雪は、わずか20センチかそこらであったのだから、一晩で平屋の家屋がすっぽり埋まるほどの降雪があったことになる。これは困ったとばかりに父や母と一緒に二階へ上ってみると、何とまあ、その二階の窓のすぐ脇を、人々が歩いていた。つまり、歩道が二階の高さとなったわけである。これには、びっくりしたことをよく覚えている。今年の冬は青森で、一晩に1メートル75センチも積もったというから、それと同じことが起こったのではないだろうか。

 東京では、さすがにそういうことは一度もない。シベリア方向からやってくる雪を降らせるような湿気を含んだ寒気は、北関東の山々に遮られて、関東までは来ないからである。しかし、その東京でも、今年の冬はやはり寒かった。その冬が過ぎ、寒い日、暖かい日が交互に来るようになり、3月の半ばにもなると、暖かい日が続くようになってきた。すると急に、なぜかはわからないが、桜の咲くのがとても待ち通しく思えてきたのである。まだかまだかと思うのに、街中の桜の木は咲いてくれない。ただ、蕾はふくらんできている。たまに満開の桜かと思う木があったが、豊後梅という桜そっくりの梅であった・・・。ということを繰り返していたが、やっと3月30日になり、予想より3日遅れの気象庁の開花宣言となった。

六義園のしだれ桜 ちょうど、東京駒込の六義園では「しだれ桜」が五分咲きと聞き、さっそく出かけてみた。ここは、柳沢吉保が作った大名庭園である。その正門を入ってすぐのところに、樹齢50年あまりのしだれ桜がある。この世界ではまだまだ青年期の桜であろうが、しかしそれでも、(いささか妙な表現ではあるが)元気よく「垂れ下がった」数多くの枝に、美しい桜の花々が数限りなく咲き誇っている。白だけでなくそのピンクの色付き具合も十二分で、実に美しい。遠くから眺めてよし、近づいてもよし、まったくもって何も言うことなしの美景であった。

 さてその次に、是非とも記録しておきたいのは、私の通勤のコースである皇居・大手壕の「しだれ桜」で、車窓から毎日見ているおなじみの桜である。お濠のそばに植わっている小振りな桜の木なのだが、これがいったん咲くと、壕の水面や背景の城の白壁と程良くマッチしていて、とても情緒がある。これらは、皇居にかかる橋皇居・大手濠のしだれ桜の左手と右手にあり、左の桜はやや白く、右の桜は見事なピンク色をしている。私は、毎年これらのしだれ桜が咲くのを楽しみにしていて、見るたびに幸福感にひたっている。今年も、お互い元気でよかったという気すらしてしまうくらいだから、不思議である。

 私の都心の桜巡礼行の第3弾目は、日比谷公園のソメイヨシノである。今年の東京の桜はなかなか咲かなかったのに、いったん咲き出したと思ったら、わずか3日で満開になってしまった。日比谷公園の本体にもいくつか桜の大木があるが、いずれも他の木に囲まれていたり、大きすぎて見上げるようになってしまったり、あまり周囲の環境がよくなかったりで、見てもさほど感激はしない。ああ、あったかな、という程度である。やはり桜も人間と同じで、その育つ環境や現在の周囲の状況というか風景に大きく左右されるものと思う。そういうわけで、日比日比谷公園の噴水と桜谷公園の中の桜で私のお勧めは、その南西の角にある小公園だけである。ここは、噴水がアクセントとなっていて、その周囲がずらりと桜で覆われている。背景に見えるのは野外音楽堂である。そこを青空の下、満開の桜を愛でつつゆっくりと散歩をするのは、至福の時というほかない。

 都心の桜巡礼行の第4弾目は、標高26メートルの江戸唯一の小山、ご存じ愛宕神社である。オフィスに近いので、お昼にちょいと散歩に出るのに便利である。満開の桜にたどりつくまでに、目のくらむような出世の階段を登る必要がある。寛永11年に徳川家光公の眼前で、四国丸亀藩の家臣の曲垣平九郎が馬で往復したという逸話がある。この階段を登るたびに、そんなこと物理的に可能なのかと思っていたら、どうやら本当にできるらしい。愛宕神社のホームページによれば、次の人たちが実際にやってみせたらしい。いやはや、何というか、すごいこととしか言いようがない。

明治15年・石川清馬(宮城県出身)
大正14年・岩木利夫(参謀本部馬丁)廃馬になる愛馬のために最後の花道とした)
昭和57年・渡辺隆馬(スタントマン)

愛宕神社の錦鯉 それはともかく、やっとのことでその出世の階段を登って社殿に到着し、左右の桜を眺める。これがまた、非常によろしいのである。左手は、NHKの放送会館前で、近所のサラリーマンの皆さんが桜の木の下でまとまってお弁当を食べている。右手にはちょっとした池があり、水面にはもう既に散りだした桜の花びらがびっしりと浮かんでいる。その中ではご覧のような錦鯉がたくさん泳いでいて、人が近づくと餌をねだって集まって来て大騒動となる。ちゃんと食べさせてもらっているのかと、心配になるほどである。池の端には、赤く塗られた小舟もあり、本当にこれが地上26メートルのところにあるとは思えないほどの不思議な空間である。

 さて、桜巡礼行の第5弾目は、新宿御苑で開かれた内閣総理大臣主催の「桜を見る会」である。昔は、観桜会といっていたものである。私はここ数年、招待されるようになったが、今年の開催日は4月8日であった。例年はもっと遅くて4月の中旬くらいが多い。しかし、その頃になるとソメイヨシノはとっくの昔に咲き散ってしまい、もっぱら八重桜を観賞することになる。これはこれで、ピンク色が強くてそれなりに綺麗なのであるが、やはりソメイヨシノと比べれば、いまひとつという中での開催が多かった。ところが、今年の開催日は、ソメイヨシノの満開の時と重なった。白くて淡いピンクの色で園内は一面に染め上がり、楚々として実に美しい日本の風景となっていた。桜は、八重も枝垂れも良いが、やはりソメイヨシノに限るというのが私の実感である。

桜を見る会の小泉首相(2005年4月8日) 小泉首相は、会場での挨拶で、昨年は本居宣長の「敷島の大和心を人問はば、朝日に匂ふ山桜花」を引用された。これこそ、ソメイヨシノが咲いていたらぴったりする和歌だと思っていたが、残念ながら去年はそういうことで既に八重桜になっていた。そして今年はどうかと思っていたところ、芭蕉の「さまざまのこと思ひ出す桜かな」の句を引用された。確かこの句は、芭蕉が以前ある人の屋敷に出入りしていた頃、春の季節に爛漫と咲いていていた桜の花に感じ入っていたところ、やがて屋敷も他人の手に渡り、また時代も移り代わってしまったが、唯一この桜だけは相も変らずにこの季節になると盛んに咲いているという意味である。とすると、首相はその一枚看板の郵政民営化のことでも思い出しているのだろうかなどと、ついつい思ってしまった。それはともかく招待された8、700人にも及ぶ人たちの数はすごいものである。あの広い園内が一杯になってしまった。小泉首相が挨拶のために園内を一周すると、いい歳をしたおじさん、おばさんたちが鈴なりになって、われ先に握手をしようとする。しかも、「純ちゃん、頑張って」という大きな声援付きである。支持率41%というのは、本当なのだろうなと思う。

 さて、毎年この行事に行く私の楽しみは、帰りに熱帯植物園に立ち寄ることである。今年は、エンジェルズ・トランペット、黄色のオニバス、クンシランがよかったし、カカオやアボガドの実が成っていた。

 ところで、桜の話に戻るが、東京中心部の桜のスポットとしては、とりわけ上野公園や千鳥ヶ淵が有名である。私も、若い頃は特に千鳥ヶ淵にはよく行ったものである。しかし、あまりにも著名になりすぎて、土日やシーズンの夕刻には、桜というより人の頭を見に行っているようであるから、今では最盛期には行かなくなってしまった。もっとも、お花見の大騒ぎが収まってから、平日の昼間にでもそっと行くというのも、悪くはない。そのほか外務省前の桜もトンネルのようになっていて、私のお気に入りのスポットだった。しかし残念なことに、数年前に、隣に背の高い総務省ビルができて、景観がかなり変わったのである。よってこれは、私の頭の中では番外ということになってしまった。



(平成17年4月10日著)
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