This is my essay.







思い立ったが吉日

 三連休の中日に当たる土曜日の昼下がり、家でのんびりとした気分にひたっていた。「さてと、何を食べようか」と思いながら窓の外をふと眺めると、どんよりとした雲が空の一面に広がっているのが見える。南から近づいてくる台風のせいらしい。

 「これじゃあ、とっても行楽というお天気ではないなぁ」という気持ちになっているときに、突然、「どこかへ食べに行こうよ」という天の声が降ってきた。この家内のひとことには逆らえず、それでは二人でどこかに出かけて昼食を取ろうかということになった。「ホテルにしようか、でもバイキングは食べ飽きたし、ファミレスに行ってもねぇ・・・」などと大いに迷ったあげく、少し遠くても珍しいものにしようと思い立って、横浜の中華街に出かけることにした。たまたま手近にあった食べ歩き本をざっと斜め読みしたところ、関帝廟のすぐ横の飲茶(やむちゃ)がいいね、ということになった。

 年をとってきたせいか、駅の雑踏の中を歩くのは、とっても面倒である。それだけでなく、近頃では向こうからやってくる若い衆が、男女を問わずに道をよける風でもなく、そのまま直進してくる始末なので、うかうかしていると肩や鞄のたぐいをぶつけられてしまうことがある。これが実に痛いし、相手はというと、どんどん立ち去ってしまうからその場で注意するわけにもいかず、痛みと立腹の両方をこらえる結果となる。そこでそういう憂き目になるべくあわないように、たとえば同じ方向に向かうアベックを見つけて、その後をのんびりと付いていくという裏技を覚えた。

 付いていく対象は何しろアベックなので、二人がお互いに寄り添って右へ左へとフラフラ歩く。こちらは、そのすぐ後を二人で同じように寄りかかって追いすがるという次第である。ゆったりと歩く速度といい、その左右の動きといいい、そのリズムを覚えればまさに後を付けるにはぴったりである。ただ、家内にいわせると、あちらは「好きだから」二人が寄り添い、こちらは「よたよたするから」二人が寄りかかっているという違いがあるという。

 地下鉄で切符を買う段になって、渋谷回りで行くか、それとも東京駅経由にしようかと迷った。すると、「もちろん安い方がいい」という天の声が再び降ってきたので、渋谷から東急に乗ることにした。渋谷から急行でわずか35分のところとはいえ、横浜に行くなど実に四年ぶりのことになる。最近かなり出不精だったことを思えば、ちょっとした遠足気分で、うきうきする。

 ここしばらく、地上を走る電車に乗ったことがないので、窓の外をびゅんびゅん通り過ぎる景色に見とれていると、渋谷駅を出てさほども行かないところで、何と目が回って気分が悪くなってきた。これはどうしたことかとびっくりしたが、どうも駅を通過するときの景色が飛ぶように動くのが視覚と平衡感覚によくないらしい。座席でしばらく眼を閉じていたら、気分が元に戻った。

 田園調布、日吉を過ぎた。この東急という鉄道には、駅の設備、塀、階段など、どこもかしこもグレーが多い。地下鉄の場合は、各駅ごとに違う色で区別しているのでわかりやすい。しかし、この東急のそれぞれの駅の色には何の個性もないので、どの駅も同じように見える。普段通い慣れている通勤客なら、電車がどこを走っているかは外の景色を見ればすぐわかるだろうが、われわれのような門外漢にはどの駅もどの景色も似たようなものに見えるので、まったく始末が悪い。

 しかし、さすがに横浜駅なら、特別に大きいのだから、他の駅とは様子も違うからすぐにわかるだろうと思っていた。ところが、これは私の勝手な思いこみで、他の駅と同じように、グレーの塀に囲まれた何の変哲のない駅が、その横浜駅だったのには驚いた。もっとも、渋谷駅で一番後部の車両に乗ったので、たまたまホームの最も端に到着したからであったのだが・・・。家内にせかされて、あわてて飛び降りるように電車から離れた。

チャイナ・ガーデン

 横浜そごうにトイレを借りに入ったときに、たまたま大きな本屋に立ち寄ったところ、目の前にTOEICの本やCDをたくさん並べたコーナーがあった。悲しいことに、大昔の受験勉強の癖が未だに抜け切っていないので、こういう試験物の本の山を見ると反射的に本を手にとって夢中になってしまう。えっ、何だって、2時間で200問を解かなければならないって。どれどれ。うぅっ、いや、これは大変だなどとこの世界に没頭していると、家内から「まだぁ」という、のーんびりした声がかかって現実に戻ってしまった。

 横浜駅から、根岸線で石川町駅に行った。あとから思うと、東急でそのまま桜木町駅に行き、そこで根岸線で乗り換えればよかったが、家内からは「おかげで地理がわかったと思えば、まぁいいじゃないの」というお慰めをもらった。石川町駅のごみごみした所を横切り、高速道路の上を渡ったら、もうそこに中国風の門(延平門)があった。それをくぐって港高校・港中学の間の道を通り、細い福建路を右折して、いよいよにぎやかになってきた。9月なので、日本でいえば中秋の名月をいわうためか、月餅(げっぺい)を売っている。形は大判焼きで、色も似ているが、表面に何やら漢字が浮き出ている。ひとつの店に入り、よさそうなものを選ぶ。中身は、クルミ入りの餡や蓮の餡で、卵の黄身もある。全体にずっしりした感じになっていて、口に入れるとばさばさした食感がある。あまり食べると太りそうなので、二つだけ買って店を出てきた。

 関帝廟まで来て、「ここでお参りしないという手はないじゃない」と、家内が一人でずんずん中に入っていってしまう。「でも、どうやって拝んでいいやら、わかんないんだよな」などとつぶやくが、もう二人とも廟の階段の下まで来ている。さあ、上がろうというとき、すぐ左手から「ドンドン、チンチン」という賑やかな太鼓と鐘の音が聞こえてきた。そこは中華学校で、運動場をぐるぐると、一体の大きな龍がうねりながら回っているではないか。生徒たち10人ほどがそれぞれに白い1メートルほどの棒を持ち、この龍を操っていた。「いやあ、うまいもんだね。伝統ってこういう風に伝わるんだ」、「本当にね」と、しばらく呆然と見ていた。それから人波に押されるようにして日本式にお参りし、いささか落ち着かない気分で退出した。廟の中で拝むときに、あの中国式の長いお線香を買っておけばよかったかなというたぐいの、小さな心残りがあった。

 自分たちの目指すチャイナ・ガーデンというのは、はてどこだろうと思っていたところ、「あら、ここじゃない」というか家内の声がして気づいたが、それは何とこの関帝廟の向かって右手の場所にあった。道を隔ててすぐ前のひっそりとした建物だった。だいじようぶかなと思いつつ、階段をギシギシいわせながら二階に上がっていくと、ちょっとみすぼらしいテーブルと椅子が並んでいる。町の定食屋並みの味かもしれないという考えがよぎったが、まぁせっかく来たのだからと注文することにした。お目当ては、1980円で10品そろった飲茶セットだったが、注文をとりにきた女の子が「午後2時をすぎているので定食のたぐいはない」という説明を早合点してしまい、それはないものと思ってバラバラと個々の飲茶を6品ばかり注文してしまった。

 いちいち名前を忘れてしまったが、野菜の小さな饅頭、小龍包、蓮の葉で包んだおこわ、肉まんなど、一通り食べてみた。「本場では、湯気の出ているワゴンを引っ張ってきて、お客に選ばせるのにね」などと文句の一つも言いながらもも、「あっ、これおいしい」、「この中は何が入っているのかな」などと話しながら、とてもおいしくいただいてしまった。もう二人とも年なので、食事はボリュームというより、味を楽しむようになってきているので、この程度の6品でも十分に満足した。10品もあるというその飲茶セットなどは、食べきれなかっただろう。結果的に、いい選択だったといえる。ちなみに、この中では小龍包がおもしろ。要するに小さな白い饅頭だが、中においしいスープが入っているので、あわててかじったりすると液体が飛び出るし、熱いので舌をやけどすることもあって、要注意というやっかいなものだが、それを上回るおいしさがある。

 「いやいや、ああこりゃ満足した」といいながら、この店を後にして、再び賑やかな中華街をぶらぶらし始めた。有名な睥珍楼に立ち寄ると、ここでも3000円の飲茶セットがあった。味のことはもちろんわからないが、値段的にはチャイナ・ガーデンの方がお得のようだ。まあ、この値段の差は老舗代と雰囲気代ということか。またそぞろ歩きに戻り、しばらくして大きなホテルを見つけた。ホリディイン横浜である。「横浜中華街に来たいが、さりとてどこの店に行って良いのかわからない」などという人は、取りあえずここに泊まって、そのレストランで食べれば良いのかもしれない。いゃ、それはやっぱり変かな?

ぷかり桟橋

 それから山下公園に出た。波がさざめき、かもめが飛び交い、大きな客船が停泊しているというその雰囲気は、いつ来てもあまり変わらない。これぞ港町という、しっとりと情緒にあふれる場所である。その一角には我が国最初の客船である氷川丸がある。以前この中を見学したので今回はパスしようかと思いながら近づくと、そのすぐ隣に「シーバス」という表示がある。家内が「陸を移動するより、小舟の方が気持ちがいいかしら」というので、乗ってみようという気になった。時刻表示を見ると、あと5分で船が出る。目の前に大きな白い船があり、そこから色とりどりのドレスを来た一行が写真を撮っている。真ん中にいるひときわ目立つ女性がどうも花嫁らしい。そういえば私の横を花婿のような人物が友人たちと笑いながら通り過ぎる。妙なところに迷い込んだと思っていると、その大きな船の左にごく小さな船があり、これに乗らなければいけないらしい。船員が手を振るので、あわてて乗り込んだ。

 いちおう、しっかりとした座席もあり、お望みなら船尾で風に当たりながら過ごすこともできる。エンジンの音が高くなり、船がバックを始めた。いよいよ出航だ。少しバックした後で前進に移った。結構スピートが出る。左手に陸の施設が見えて、それらが後ろへ遠ざかる。右手に目をやると、水面が案外低いので驚く。雲が低く垂れ込めていて、海の色も全体にグレーになっている。夏の盛りも過ぎ、頬に当たる海風も心地よい。「船も気持ちのいいものだなぁ」と思っていると、いきなり雨がパラパラと降ってきて、瞬く間に豪雨となった。船室に飛び込んでガラス越しに外に目をやると、もうあまり景色も見えなくなっている。そうこうしているうちに、インターコンチネンタル・ホテルのある「ぷかり桟橋」に着いてしまった。みなとみらい21地区のはじまりである。

 船から顔を出して船員に黄色の切符を渡し、それぞれに傘をさして、驟雨の中をみな小走りにホテルに向かった。エスカレーターで二階に上がっていくと、ざわざわと人の群がいる。黒い式服だのドレスだの、それから和服をてんでに着て、あちこちで話し込んだかと思えば全員で立ち上がって一斉にどこかへ消えてしまう。それからまた別の一団がやってきて、同じようなことを繰り返す。そういう様子を見ていたら、何だか眠たくなり、ソファーを借りて30分ほどうたた寝をしてしまった。家内はその間、あきれてどこかへ行ってしまった。あとからどうしたと聞くと、ボディシャンプーの店をじっくり見て帰ってくると、私がまだ寝ていたという。まあ、いいではないか、無理をしないで行くのが中年の旅行のコツである。

クイーンズ スクウェア

 そのヨコハマ グランドインターコンチネンタルホテルを後にして、二階に当たるところをブラブラ歩いていくと、クイーンズスクウェア横浜を通る。これは要するに大きなショッピングセンターで、日本では珍しいほど広々としている。数階を吹き抜けにしているところもあり、東京都心では考えられないほど土地を贅沢に使っていて思わずうれしくなる。シンガポールではこのような贅沢な作りのショッピングモールがあちらこちらにあり、「いつになったら日本にも、土地をこうして広く使った近代的なショッピングモールができるのか、今世紀中では無理だろうな」などと数年前に訪れた時に思った記憶がある。ところが、21世紀を待たずにそれが現実に目の前にできていたので、いささか溜飲を下げる思いがした。

 二人でさらに行くと、そこはランドマークタワーである。長い四角ばった建物であるが、地上に近づくにつれてスカートの裾のようにやや広がっているので、安定感が感じられる。最上階に昇ろうとしたが、本日は視界不良という掲示があったので、断念した。さきごろ家内が来たときには、富士山も見えたという。

 引き続きそのまま歩いていくと、左手に帆船の日本丸が見えて、その横の動く歩道に乗ってそのまま行くと、そこは桜木町の駅だった。電車の中で、周りを気にせずに眠って帰った。

 
(平成12年9月21日著)




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