This is my essay.







 3月も下旬に入った土曜日の昼下がり、曇った空から雨がぽつぽつ降り出してきたが、冬とは違って、どことなく雨が温かい気がする。さあ、お昼だ!ということで、家内と二人揃って出かけた。家内は、娘が試験に出かけるので、朝早く起きて一緒に食事をしたらしいが、いつもより早すぎたので、お腹がすいたとのこと。で、どこにしようかと聞いたところ、銀座のモントレにしたいという。あのフランス料理店は、やわらかいグリーンを基調とした粋な造りで、食事もやや量が多すぎるが味は良い。それに、パリの町中にいるような雰囲気が味わえる。ちょっと浮き浮きする気分の時にぴったりである。では私も大賛成ということで、地下鉄を千代田線から日比谷で有楽町線に乗り換え、銀座一丁目で降りた。隣の駅なので、座ったらと思ったらすぐ着いてしまった。

 改札を出て左手へぐるりと回り、いつもの階段を上がっていき、さあもう一つこれを上がると地上に出るというところで、いつもの風景からはまるで見違えるような門があった。何だろうと近づくと、自動で扉が開いた。するとそこには、薄暗い中で、廊下の両側に縦長の灯りが連続して点いていて、まるで2001年宇宙の旅のような空間が広がっている。以前は単なる壁だったのにと、狐につつまれた感じでのぞき込むと、そこは「過門香」という名の中国料理の店であった。飲茶などがあるらしい。新しいものに挑戦もまたよしということで、目的の場所を急遽変更し、そこに入ることにした。

 黒い制服を着て、しかも顎の下にマイクを付けた背の高い女性が案内をしてくれ、大きな壺のある部屋の端っこにある赤い丸い小さなテーブルに座った。私の横にそびえるその壺たるや、高さが3メートル近くはありそうで、それに透明なアクリルの輪が何枚もはまっていて、しかもその下から赤い光が当てられている。周囲はほの暗い間接照明である。うーーん、なかなかシュールな感じで、内装には及第点を与えよう。テーブルの上の能書きを読むと、次の通りであった。


「過門香」それは中国大陸を味わい尽くす劇場

 「過門香」(かもんか)とは、門の前を通り過ぎる人々が、漂う香りに惹きつけられ、思わず門をくぐってしまう様子を表現している言葉です。世紀を越えて、国境を越えて、中国五千年が誇る大陸中国料理を堪能していただきたいという思いを込めて名づけました。四川、広東、上海、それぞれを代表する特級調理師が腕をふるう本格中国料理から、当店オリジナルの茶器、はし、料理皿や招興酒など中国直送の品々にこだわりました。今までにないチャイニーズダイニング「過門香」で、銀座の新しい満足、本物の贅沢に出会ってください。


 ということで、次のページには四人の料理の達人のような中国人コックさんたちの写真がある。なになに、「徐 長明 44才、上海興国賓館(四つ星)の料理長であり、特級調理師である彼の経歴は輝くばかり、江 沢民や中央政府要員への料理を提供してきたその腕前は、上海料理の特徴である海鮮料理やフカヒレ、アワビの煮込みで思う存分発揮されます」とある。あとの三人についても経歴の説明が書かれていて、要するに、それぞれ飲茶、四川料理、広州料理の専門家である。

 それに、こういう説明もあった。「料理だけではなく茶器やお客様用の箸、料理皿にも徹底して手作りにこだわりました。特に、二千年の歴史をもつ中国茶器の発祥の地でもある宜興(ギコウ)で発見された稀少な満点星の土を使った料理皿や茶道具、効果で珍しい黒檀の木を使った箸や茶盆などは、本物を知るお客様に必ずや喜んでいただけるものと思います」のとある。なかなかの文章である。一介の中華料理屋のおやじが書ける水準をはるかに越えている。また、それに前述した店の内装は、確かに21世紀風であり、レストランも「劇場風」になったかと感心した。

 これで、雰囲気も、合格である。すると問題は味だな、ということになった。メューを見ると昼時なので、あまりチョイスがない。飲茶といっても中国の本場のようにワゴンを持ってきて選ばせるという風でもなさそうだ。いゃもう面倒だということで、飲茶ランチにした。何と値段は千円である。モントレで数千円のランチを食べようとしていたのに、大きな違いである。まぁしかし、安いものがおいしければ、高いものは必ずおいしいということになるから、リトマス試験紙としてはむしろ安いものが適当だという理屈になる。

 ごはんかお粥かと聞かれたので、二人ともお粥と答えた。私たちはシンガポールのたとえばマンダリン・ホテルの朝食の中で、ポリッジ(お粥)が大好きだったから、期せずして同じものになった。

 持ってきたものは、大きなボウルに鳥肉のお粥、コーンスープ、キャベツと春雨の酢付けサラダ、それに四個のシュウマイ風の飲茶である。結論からいえば、値段にしては、なかなかにおいしかった。まずお粥に手を付けた。最初は塩が足りないと感じたが、食べ進むうちにちょうどいい具合になってきた。コーン・スープもまあまあおいしい。家内はどんどん食べ進んで、遅れてやってきた飲茶をつまんだ。私は、彼女がどういう顔をするか、それを注視する。こうした場合に顔をじろじろ見ないようにしていながら、それでいて見るというのはなかなかにむずかしいが、長年の夫婦間のテクニックで、自然に身についたものである。要するに先方が目をそらしたすきに、何気なく顔を見るのである。これを最初からじろじろ顔を覗いたりすると、いかに夫婦でも、煙たく思われること必至である。

 さて、家内は顔をにっこりして、ひとこと「おいしい」と言った。これは相当の誉め言葉である。早速、私もやわらかな飲茶のひとかけらを口に入れてみたが、確かに良い味である。あっという間に二人とも平らげ、そして異口同音に「おいしかったね」という言葉が出てきたのである。要するに、あまり癖のない味であり、どちらかといえば、薄味である。われわれも普段からそういう食事を心がけているので、それにぴったりだったのである。いや、この店は使えるという気になった。また来よう。

 一般に、内装や能書きに凝るようなレストランは、味がよくないことが多い。その点、ここは味はよさそうだし、料金もなかなかに良心的である。衣料品にたとえると、ユニクロとまではいかないが、ギャップ程度である。これはいい店を発掘したと二人でうれしくなったのである。店の人に聞くと、昨年つまり2000年11月の開店だという。

 何か気になることはないかと思って薄暗い中を見回すと、ただひとつだけ、ウェイトレスの数がやたらと多いのに気が付いた。もちろん、これは悪いことではないが、問題はそれが皆黒い制服を着ているので、薄灯りの中では良いような悪いようなところがある。風景に溶け込んでいるのは良いが、暗い中に溶け込みすぎて、ぶつかりそうになっているではないか。

 私の提案は、いっそのこと、これを裾が切れ上がった真っ赤なチャイナドレスにしてはどうかと思うのであるが。実は私が初めて東南アジアの中国料理店に行き、目を剥いてびっくりしたのは、こうした裾が切れ上がった赤いチャイナドレスであった。目の前を料理を運んで通り過ぎるたびに、すらりと伸びた健康そうな白い足が躍動して、目のやり場に困ったというか目の保養になったというか、まあともかく魅力いっぱいであった。その名もマルコポーロといったが、何かそういうエキゾチックな雰囲気のレストランで、いまなお忘れられない。しかし、これを日本でするには問題もある。日本人のウェイトレスがそんなものを着るかということである。それに背が高く、ほっそりとし、色白で、足がすらりと伸びている子でないと似合わないし・・・・。ああ、やはり無理だろうと思い直して、そのつまらない提案は、口に出すまでもなく再び心の中へと飲み込んで、お蔵入りにしてしまった。


(参 考) 中央区銀座1−10−6 銀座ファーストビル地下一階
     Tel.3563-7900, Fax.3563-7905


(平成13年3月18日著)
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