This is my essay.

 
鯉太マン(左)の勇姿


目 次
1 わずか500円の幼鯉
2 気持ちが安らぐ水槽
3 水草の大繁茂
4 愛想のよい性格
5 鯉太マンと命名
6 ベランダのコイびと
7 ありがとうと言う眼
8 鯉の円形脱毛症
9 危機一髪の水漏れ
10 錦鯉のふるさと
11 お別れの日
12 劇的再会


1.わずか500円の幼鯉

 もう10年以上も前のことになるが、当時小学生だった二人の子供を連れて、近所の神社で開かれている秋祭りの夜店に出かけた。暗い夜道をすぎて、神社の鳥居のところにやっとたどり着いたら、夜店のランプが昼のように煌々とあたりを照らしている。その鳥居のすぐ横に、例年のように店を出している金魚屋がいる。白い洗面器がいくつも並んでいて、その中には和金、琉金、出目金などが入れてあり、それを眺めるのことをこの秋祭りの毎年の小さな楽しみにしていた。

 ところがその年は、プカリ、プカリと浮かぶ金魚に混じって、わずか5センチほどの幼鯉が入っている容器があった。数匹いたが、どの幼鯉もひょろょひょろで目刺しのような体型をしていた。ところがその泳ぎ方は非常に機敏で、幼いながらも金魚とは明らかに違う。たとえていうと、なまくら刀と鋭利なナイフほどの差である。幼鯉の色はまちまちで、白地に大きな赤の斑点が入っている紅白、それに黒が混じっている大正三色、金色の光ものなどいろいろである。子供たちはしばらくじっとそれに見とれていて、ついにがまんしきれなくなり、私の方を振り仰いで「ねぇ、お父さん、これ買って」、「これ欲しい」など口々に言う。「でも、飼い始めると、お世話はとっても大変だよ」と言っても、「自分たちで交代にするから、ねぇ買ってよ」と引き下がらない。

 二人の熱心なおねだりに負けて、ついついそれを買わされてしまった。わずか500円玉一枚と交換して、白地の赤の錦鯉を選んだ。これがこの鯉との長い長い付き合いの始まりである。最初はその体のあまりの細さから、果たして育つかどうかもわからない。「かわいそうだが、亡くなったらまあ仕方がないや」と思いつつ、しばらく様子を見るために、バケツに入れて放っておいた。普通ならそのまま死んでも仕方のないところであるが、子供たちが可愛がって毎日えさをやって様子を見ているし、この幼鯉自体もなかなかしぶとくて、一月経ってもまだピンピンしていた。そこで、これは本格的に飼うしかないと腹をくくり、デパートに行って濾過装置付きの水槽を買って来た。

2.気持ちが安らぐ水槽

 最初に買ってきた水槽は、横の長さが45センチで高さと幅が30センチのありふれたものである。底に五色の玉砂利を敷き、アマゾン産の何とかいう緑色の美しい水草をそこに植えて、部屋の隅にちんまりと置いた。この幼鯉と一緒に小さな和金も入れてみた。この両者はなかなか仲がよくて、一緒に気持ちよさそうに泳いでいる。室内に響くぽこぽこっという濾過装置の音にも耳が慣れてきた。蛍光灯に照らされた水槽の中をのぞいていると、これがどうしたことか、不思議なことに気持ちが安らぐのである。水槽の角に空いているガラスの隙間からパラパラと浮き餌をやると、どこからかサッと魚たちが寄ってきて、一気に食べる。何もそんなに食べ急がなくてもいいと思うのだが、餌に食らいついたかと思うと、さっと向きを変えて反対方向に逃げるように泳いでいく。まだ、野生の性格が残っているのだろうか。

 水槽があり、中に魚がいると、必ず水が汚れてしまう。そこで一週間に一回は、水を替え、濾過装置の汚れを取る必要がある。その際には、水道のカルキが魚に悪影響を与えるので、一晩汲み置いた水を使うか、あるいは塩素の中和剤を使ってカルキ抜きをした水道水を使わなければいけない。これを怠ると、魚はいとも簡単に病気になって死んでしまう。また、そのときは底部に置く型の濾過装置を使っていたので、掃除のたびに水槽の底までひっくり返して洗わなければならず、なかなか大変である。この頃には子供たちは約束などすっかり忘れて、やはり恐れていたごとく、水槽の掃除と水替えは私の仕事となった。

 冬の季節がやってきた。鯉たちの動きが鈍くなり、水に手を入れてみると、まるで手が切れるように冷たい。「これじゃあ、ちと、かわいそうだ」と仏心を起こし、「水を暖めるためには確か熱帯魚用のヒーターがあったはずだ」と思いつき、またデパートに買いに行った。コンセントから配線を延長し、水槽の角に温度調節管を付け、底に白いヒーター管を二本並べて敷いてみた。水温計は25度を示し、魚が嬉々として泳ぎ回っている。餌も再びしっかり食べるようになり、一安心である。ところが、これが後から鯉の運命を左右する問題になるとは、その頃は全く思いつきもしなかった。

3.水草の大繁茂

 鯉は、どんどん大きくなっていった。2年もしないうちに、体長が30センチを越すようになり、水槽がたちまち手狭になってきた。加えて、一週間に一度の室内で行う濾過装置の掃除も次第に面倒を感じるようになってきた。そこでまず水槽を大きなものに取り替えることとし、場所もベランダに置くことにした。ちょうど窓ガラスが透明なところに当たり、鯉の様子を見るにはもってこいの場所である。掃除の水を流すのにも都合がよい。高さを合わせるため、日曜大工の店に行って材料を買い、鉄の骨組みを作ってその上に60センチ水槽を置いた。水槽の高さと幅は45センチである。前のものと比べて、ずいぶん大きな気がする。今度は上部に置く型の濾過装置なので、一月に一回程度、上の蓋を外してその中の濾過材を取り替えるだけでよい。この頃には水替えも省力化して中和剤を数個放り込んだ水道水を使うようにし、その水道水も水栓からホースで直接つなぐことにして、大幅に楽になった。これは大きな改善で、こういう工夫でもしないと、このような生き物を飼うことはなかなか長続きしないと思う。

 水槽の長さが60センチもあり、中の魚が三匹程度しかしないと、水槽がひろびろとしている。そこで、水草に凝ってみようと、水面に浮き草のホテイアオイを二つ置いてみた。緑色の濃い葉と丸っこい茎が浮きの役を果たしているきれいな水草である。ちょうど初夏の頃で、わずかな水面をわたってくる風が心地よかった。水槽の背面に青のフィルムを張り付けてあるので、それを通して入ってくる光で水が青く見え、それとこの水草の緑の組み合わせがとても美しい。そこに紅白の錦鯉がゆうゆうと泳ぐ様は、まさに一幅の絵画になる。暇になるとそれをしばし眺めて、ひとり悦に入っていた。

 ところが、その環境が適していたせいか、それともたまたま夏だったせいかよくわからないが、この水草は何のことわりもなしにどんどんと増えていく。あれよあれよという間に増殖して、水面にはホテイアオイがびっしりと埋まり、そればかりか水中にもどっさりと茶色の密な根を垂らす始末である。しかもどの根にも丸い球が付いていて、それが水中で相当の体積を占める。夏も終わる頃には、水槽の大半は、いつの間にか全部ホテイアオイに占領されてしまった。水槽をほぼ埋め尽くさんばかりのとてつもない勢いである。魚たちも泳ぐどころではなくて、水槽の隅に押しやられてしまっている。水も汚れてくるし、掃除もままならない。それにつれて臭いも鼻につくようになってきた。しばらく放置していたが、とうとう我慢ならずに、結局すべてのホテイアオイを捨ててしまう羽目となった。

4.愛想のよい性格

 再び水槽には平和が戻り、やがて秋から冬になった。またヒーターの季節である。これらの二本の水中ヒーターはとても強力で、60センチ水槽でも十分に使えた。ところが、ゴムの吸盤で水中のガラスに留める仕組みの水温計が、しばしば鯉にふっ飛ばされて水面をプカプカ浮かぶようになり、面倒なので外してしまった。鯉が大きく強くなってきたからであるが、それだけでなく、この鯉は水が汚れてきたり、家人があまりかまわないようなときには、時々こうして実力行使に出るようになってきたのである。

 この頃から、この鯉には、人間のように感情や気分それに性格が出てきたように思う。鯉などに感情や性格があるのかと疑問に思われる向きもあるかもしれないが、私は、絶対にあると信じている。というのは、現にこの鯉は、普段はたいそう人なつこくて、誠に愛想がよいのである。ベランダ越しに目が合うと、ヒレをバタつかせて餌を催促をする。食べ物を放り込んでやると、それをパクリと飲み込んで満足げに反転し、ゆうゆうと去っていく。しかも、犬と同じで、人を区別しているようなのである。私と目が合うと、とりわけ大きくヒレをばたつかせる。あまり餌をあげたことがない家内には、ツンとして誠にそっけないのである。

 あるとき、夏季休暇で家族全員で家を留守にし、一週間ほどたって帰ってきたことがある。さっそくベランダに行くと、鯉は私を見ても、はじめはそっけなく反転してあっちへ行ってしまう。そこで、大好物の甘い果物を切ってやり、2〜3切れを水槽に入れてやった。ところが、いつもであれば水をガホガホいわせてたちまち飲み込むはずなのに、まるきり無視をする。そればかりか、水槽の隅から首を左右に揺らせてイヤイヤをしている。まるで拗ねている子供のようだ。困ったので、そのままベランダから離れて遠くから様子を見ることにした。すると私の姿が見えなくなったとたん、餌にまっしぐらに飛びついて、かぶりつくではないか。しょうがないヤツだと思いながら近づくと、今度はいつものように尻尾を振ってこちらを見ている。ご機嫌が直ったらしい。

 ともかく、こいつはよく食べる。食べかけのごはん、ウナギ、メロンと何でもやると、喜んで食べる。どんどん成長し、太くなっていった。普通の錦鯉は、背中の線が丸くて、お腹の線が直線に近い。ところがこの鯉はその逆で、背中の線が直線気味で、お腹の線が下に向けて大きく張り出して丸くなっている。その巨体を揺らせて泳ぐ姿は、まるで鯨か飛行船である。近所の奥さんがやって来て「ウッソー! これが魚なの?」と驚いていた。

5.鯉太マンと命名

 小学校の高学年になった娘が「いつまでも名前がないのはかわいそう。もう家族の一員なんだから」とかいって、『鯉太マン』という名前で呼び始めた。「太」というのは、「太め」を意味するそうだ。私は「もうちょっとエレガントな名前にできないの、だいたい『マン』といっても男どうかわかっていないのだから」と本人(鯉)を代弁したものの、皆に無視された。そこでまず、雄か雌か判別しようと本の知識を元におしりを見たが、太りすぎていて、さっぱりわからなかった。

 あるとき、娘がいたずら心を起こして鯉太マンの水槽の前に鏡を置き、近づいてきた鯉太マンに自分の姿を見せた。すると、まるでびっくり仰天したごとくバシャリと飛び上がり、あわてて水槽の隅に頭を寄せて震えていたという。「普段からまるで自分も人間と思っていたのじゃないかしら」というのが娘のコメントである。

 鯉太マンの好物を調べようと思って、いろいろな食べ物をやってみた。まず、『うどん』、ちょっと長いのでどうするのかと思っていたら、スルスルッと一気に口の中に飲み込んだのには、びっくりした。『ハンバーグ』、これはかなりの大きさだったのに、口を大きく開けて一気にグイッと飲み込んでしまった。途中こぼれた断片も追いかける執念をみせた。『ごはん』、細かいご飯粒がこぼれても、器用にそれを拾って口に入れる。『うなぎ』、水槽に入れたとたん、必死の形相で食らいつく。他に競争相手もいないのに、はしたない。結局、コイツは何でも食べるということがわかっただけだった。温かい環境が幸いしたのか、冬でも食欲は旺盛で、食べ物を口に入れると、目が至福の表情をする。

6.ベランダのコイびと

 子供たちが中学生になった。鯉太マンの身長は55センチを超え、水槽の中での反転も、ままならなくなってきた。再び水槽を買い替える羽目になった。これで三度目ということになる。今度のものは横の長さが90センチで高さと幅が45センチである。ちなみにその重さを計算すると、水だけで182キロということになる。中に入れる砂利なども合わせれば、200キロは超えることになる。この狭いところに大関クラスの相撲取りが鎮座することになる。「大丈夫かな」と思いながら、水を一杯に張ってベランダの様子を見ると、心なしか水槽のある近辺がたわんで見える。しかし、どうやらベランダが落ちる心配はなさそうだ。鯉太マンの新居である。

 ある日曜日のけだるい朝のこと、たまたま鯉太マンと目が合ってしまい、餌をくれと催促された。真剣な目をして、胸ヒレを動かして体を左右に揺らしている。ところが、私は起き抜けでどうにも眠たいので目をそらし、後ろを向いて新聞を読み始めた。とたんにバシャーンと大きな音がして水槽から水がどぉっと飛び出し、私は頭から背中にかけてずぶぬれになってしまった。それ以来、家内から「今日はベランダのコイびとの世話をしたの? まだなら、怒らせるとこわいわよ」と聞かれるのが日課になってしまった。それ以来、鯉太マンには『ベランダのコイびと』という別名がついた。

 夏になり、私は好物の西瓜を食べていた。横でコイびとが催促してくるので、分けてやらないと、後が怖い。「こんなもの、食べるのかな」と思いながら、試しに一切れやってみた。真ん中の赤くておいしい所である。ササーッと寄ってきて、パクリと飲み込んだ。目がおいしいと言っている。ヒレをゆっくり動かしながら、満足して水槽の隅に去っていった。しばらくして、私は西瓜を食べ終わったが「そうだ、鯉太マンのことを忘れていた」と思い出して、その食べ残しの西瓜の端切れを入れてみた。もう端っこの皮の白い部分である。鯉太マンは同じように来てそれを飲み込んだが、目をギョロリとさせて、すぐ吐きだしてしまった。何と、コイツは味がわかる。

7.ありがとうと言う眼

 これまで、鯉太マンは病気ひとつしない、丈夫な体を誇っていた。私も月に何回かは水を入れ替えて掃除をしていたし、買ってきた水草を入れるときなどは必ず、メチレン・ブルーの薬にそれを浸して消毒をするなど、気を配っていた。ところがある日、鯉太マンが水槽の隅に頭を突っ込んで、なかなか出てこないことがあった。食べ物を入れても、ちっとも食いつく気配もない。これは病気ではないかと直感し、近くの本屋に飛んで行って魚の本を買ってきた。いろいろな病気があり、中には松かさのようになったり、体が溶けてしまうというおそろしいものがあるようだ。

 鯉太マンの体の表面を観察しても、さほどの変化が見られない。何せ、水槽の端っこにいるので、なかなか見づらいせいもある。何とかとしないと気は焦るばかりであるが、時間は無情に経っていく。本をもう一度ひっくり返して読むと、病原体による病気のほかに、寄生虫によるものもあるらしい。そこで、双眼鏡を引っ張り出して、鯉太マンの体の表面を覗いてみた。10分ほど経った頃、鰓の近くに、何か飛び出しているものがある。「あっ、これか」と思いつつ、さらに詳しく見ていくと、あぁっ、やはり腹のところにも同じものがいる。本と照らし合わせると、どうやらイカリ虫という寄生虫らしいことがわかった。

 ああ困った、どうしたものか、医者はいないのかと思ったが、そんなものはいるはずがないので、自分なりにベストを尽くすこととした。まず、ピンセットを探してきて、家内は嫌がったが、それを使うこととした。それから、子供の擦り傷によく使った消毒液のマキロンを用意し、水槽の水を三分の一ほど抜いて、隅にじっとしている鯉太マンの下腹に手を当てて鰓が水面に出るようにした。いるいる、1センチにも満たない釣り針のような虫が刺さっているのである。ピンセットでそおっと慎重に抜き取った。本によると、乱暴に取ろうとすると、虫の体の一部が魚体に刺さったままになって、何にもならないそうである。すぐにその傷跡にマキロンを付けた。

 次に、鯉太マンを上向きにして、もう一匹を腹のところに発見した。これについても、同じくゆっくりと抜き取った。マキロンを付ける。それにしても、鯉太マンはおとなしいなと思って、そっと頭の方に目をやると、たまたま鯉太マンを傾けていたせいか、眼が会ってしまった。餌をねだるいつものどん欲な眼ではない。気のせいか、とてもやさしい眼をしていて、まるで「ありがとう」と言われたような気がした。

8.鯉の円形脱毛症

 この寄生虫事件のあとは、一週間ほどして、いつもの鯉太マンに戻った。夏も近づき、ますます食欲も増す。ガボガボッという音とともに食事の残りを何でもかんでも飲み込んでいく。子供たちも、夏ばてのせいで食が進まなくなったようなときでも、この音を聞いて食べ始めたことがあった。

 ある夏の昼下がり、とても暑くて暑くて、まるでゆだるような天気だった。突然、ザバッーという音とともに、鯉太マンがガラスの蓋をはね飛ばして、そのままもんどり打ってベランダに落ち、バタバタッという大きな音を立てた。たまたまガラス戸は締まっていたが、そのガラスも一面に水しぶきを浴びた。あわててその戸を開け、隣の家のベランダに飛び込もうとする鯉太マンを両手で押さえて、何とか水槽に戻ってもらった。

 そのとき、鯉太マンの頭に一円玉大のハゲができたことに気が付いた。水槽には、上のところに補強のための幅5センチほどの板が付けられているが、飛び出したときにそれに当たったものと見える。水面には、そのハゲた赤い表皮が浮いていた。家内は、「あれ、あれ、コイびとは円形脱毛症になったみたいね」というし、娘は、「ああっ、みっともないったら、ありゃしない」などという。確かにそうで、何とかできないかと思ったが、いったんハゲた部分は、ついに元に戻らなかったのである。

9.危機一髪の水漏れ

 また何度目かの冬が来た。鯉太マンがここまで大きくなったのは、食べ物のせいでもあるけれど、冬でも熱帯魚のように水槽の温度を高くしたことも一因であったらしい。そこで、この冬は、ヒーターを入れないでやってみることとした。もちろん、零下になるようであれば、鯉太マンの命にかかわるので、入れようと思っていた。この方針は、意外とうまくいき、秋から冬にかけての温度の緩慢な下落に鯉太マンも体が慣れていったようで、年が開けても、比較的元気にしていた。

 ある二月の寒い夜、勤めから帰って水槽に目をやると、水が大量に減っていた。ベランダに出てみると、そこは漏れ出た水でびっしょりと濡れている。手が切れそうな冷たい水をかきわけてやっと調べた結果が、水槽のひび割れである。底のガラスに亀裂が走っていた。しかし、水は一気に流れ出るというわけでもない。もう午前零時を過ぎてしまっている。仕方がないので、ホースから水道の水を出しっぱなしにして、様子を見たところ流れ出る水と入ってくる水とがどうやら釣り合っている。とりあえずそのままにして、その夜は寝ることとした。寝床の中で、はてどうしたものかと考え始めたら、なかなか寝付けなかった。結局、水槽のメーカーの営業所を電話帳で調べて、水槽の現物を持ってきて助けてくれないか、頼むこととした。

 翌朝、ニッソーというメーカーの北区にある営業所が、環八道路を通ってくれば比較的近いということがわかり、電話をして窮状を訴えたところ、快く来てくれることになった。おそらく電器機器のメーカーだったら、こういうわけてはいかないだろう。ペットを扱うメーカーだから、顧客の心がわかるのだろうと思って、うれしくなった。しかしその日は、私はどうしても外せない仕事があり、後ろ髪を引かれる思いで出勤し、あとは家内に任せた。これからは、家内からの伝聞である。

 そのメーカーは、四輪トラックに乗って、お昼過ぎに来てくれた。ここで最初に問題になったのは、「ウチの水槽ではない」ということだったらしい。それまで、この会社の水槽を使っていたし、外見もそれとほとんど同じだったから、ついこちらもこのメーカーに声をかけてしまったからである。家内が「まあ、そう言わずにお願いします。今から小売店に頼んでもとっても間に合わないし、水がなくなれば死んでしまうから」といって頼んだところ、仕方がないということになった。

 それから、この来てくれた人は、「この鯉は、いくらしましたか」と聞いたらしい。家内が「たった500円でした」というと、安心した顔で作業に取りかかったとのこと。「確かに、500円と50万円の鯉とでは、取り扱いには差があるわね」と家内は笑っていた。ところが、その人は、それから大奮闘してくれたという。この寒い中、暴れる鯉太マンを濡れ鼠になりながら両手で捕まえ、これを予備のバケツに入れた。それから亀裂の入った水槽の濾過装置や玉砂利など一切合切を外し、新しい水槽を台の上に据え付け、またこれらを入れてくれた。そしてゆっくりと鯉太マンをそこに戻したという。家内が心から「ありがとうございました」とお礼を言うと、「いやぁ、こんなことをしているから、当社は儲からないんですよ」というので、大笑いしたという。近頃では、なかなか珍しい奇特な会社である。バブル後の平成大不況は乗り切ったのだろうか。

10.錦鯉のふるさと

 この間、家族全員で帰省の途中に、たまたま関越自動車道を車で走る機会があった。そこで、かねてより聞いていた錦鯉の本場の新潟県小千谷市に立ち寄った。インターチェンジの売店の横には、ちゃんと水槽があって、白、赤、黒の大正三色を中心に錦鯉が泳いでいる。ほほぅ、これがお仲間かと思いつつしばし見入っていると、なぜか鯉太マンと違う気がする。よくよく考えてみると、そもそも体型が全く異なるのである。これらの本場の鯉は、下の腹の線が平らであるのに対して、背中側の上の線が丸いのである。これに対して、鯉太マンの場合は全く逆で、背中の線はまっすぐなのに、腹の線だけはまるで妊婦さんのように膨れている。人間でいえば、要するに太鼓腹なのである。成人病の一歩手前かもしれない。
 
 市営の錦鯉のセンターがあるというので、インターチェンジを降りて適当に走ると、小さな町なのですぐに見つかった。入場料がチト高いと思いながら支払って中に入ると、そこには大きなプールがあって、高価な錦鯉が群れをなして悠々と泳いでいる。東京の金持ちが預けているあの鯉は300万円、これは200万円かなどと家族でわいわいと騒ぎながら見学した。でっぷり太った金色の美しい鯉が私には印象的であつた。

 家内が言った、「犬や猫は、寿命は15年程度というけど、うちのコイびとさんは、一体いつまで長生きするの? お父さん、最後まで面倒みてよね」。「まあ、犬猫の程度ではないかねぇ。これだけお世話して、ほとほと参っているのだから、僕も年をとったらつらいよ。」と答えた。それから皆で館内を進み、パネル・コーナーに出た。

 パネルいわく、「錦鯉は、江戸時代にこの小千谷の里で生まれました」、「錦鯉は、単に美しいだけでなく、とても平和的な魚で、共食いなどはしません」、いや、そうだろう。何しろ鯉太マンは、かわいいもんね。だけど手間のかかるヤツだよな。あと10年も経つと、お世話もいいかげん疲れてくるけど、それまでには寿命をまっとうするだろうな。そうすると、その次は・・・などと考えながら歩き、とあるパネルの前でびっくりして立ち止まった。それには「錦鯉の寿命は、約70年です」とあった。「おい、よっちゃん、俺が亡くなった後は、鯉太マンを世話してくれるな、おい」。全部を聞かないうちに、息子は視界から逃げ去ってしまった。

11.お別れの日

 小千谷市でショックを受けてから、さらに2年が経った。鯉太マンは、さらに丸々と太り、全長も90センチを超え、水槽の中でターンをするのもむずかしくなってきた。鯉太マンが小さい頃、冬でもヒーターを入れて暖めてあげたが、これがこれほどまでに巨大化した一因だったらしい。そこで、さらに上の大きさの水槽を買おうとした。ところが、120センチクラスの水槽の水の重さは432キロもある。いまでさえベランダがたわんでいるのに、こんな重いものを載せると、それこそ落下しかねない。思いとどまらさるを得なかった。

 そうこうしているうちに、転勤の話が出て、この家から出て行かなくてはならなくなった。引っ越し先の家では、このクラスの水槽を置くスペースもない。鯉太マンを見ながら家族で何回も話し合い、とうとう、この際、鯉太マンにお別れをしようということになった。とても残念である。長い間、家族の一員だったので、全員が泣きたくなるような心境であった。友人の家に引き取ってもらおうかとも考えたが、小さな金魚ならともかく、これほどの鯉を入れておける池を持っている友達はいない。いろいろと検討の上、あと60年近い生涯を全うできそうな、都内の池に放つことととした。鯉太マンはこんなに体が大きいのだから、ほかの魚に襲われるということもないだろう。

 ついにその日がやってきた。鯉太マンを水槽から手早く取り出し、濡れた新聞紙にくるみ、車のトランクに積んで、その池へと急いだ。もちろん、池の管理者からすると困ることかもしれないものの、これだけ愛情をかけた鯉を死なせるわけにもいかない。やむにやまれず事情だということで、お願いしたら、わかってもらえたかもしれない。もちろん、ワニやトカゲなどを放すのではなくて、元は500円とはいっても、今や万円単位の価値はあるのではないか。ただし、大変なグルメで大食漢だけども。

 ということで、この点はたいへん気がとがめたところではあるが、結論として、管理者には断りなく、池に放ってしまった。ボッチャーンと音がして、鯉太マンはいったんは頭を上げてこちらを見たものの、クルリと方向転換して、潜りながら行ってしまった。家内とともに、しばしそれを見送った。あっけない幕切れであった。

12.劇的再会

 さらに2年の歳月が経過した。家族の間で、たまには「鯉太マンは今頃どうしているかね」という話題が出るものの、「あれだけ太っていれば、絶対ほかの魚にいじめられたりはしないよね」、「そうだ、そうだ」という程度で、こういう会話にも飽きて、いつしか忘れ去られるようになった。上の娘が大学生となり、お正月のお年始に、友達とたまたまその池の近くを通りかかった。そこで、娘はその友達に、「ここで昔、鯉太マンというウチの大きな錦鯉を放したのよ」と説明していた。

 ところが、まさにその時、鯉太マンそっくりの錦鯉が急に水中から現れたのである。娘は、もうびっくりしたの何のって・・・。心臓が止まるかと思ったという。娘は、財布にいつも鯉太マンの写真をしのばせていたので、それをあわてて取り出して見比べた。その錦鯉の頭には、例の円形脱毛症のハゲの跡が、ちゃんとあったのである。

(平成12年10月10日著)
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