This is my essay.



イバニセビッチ
 今年のウィンブルドン男子シングルス決勝は、オーストラリアのパトリック・ラフターと、クロアチアのゴラン・イバニセビッチの対決となった。私は昔からこのイバニセビッチという選手のファンで、あの194センチを超す長身から繰り出される大砲のようなサーブ見たさに、テレビのスイッチを入れるのである。サーブがともかく早くって、しかも相手が到底とれそうもない難しいコースに決まる。センター・ラインの上に乗るようなコースに打ったかと思うと、サイドにするすると逃げていくようなコースにも打ち分ける。現にラフターともあろう好選手が、三回連続でサービス・エースを食らってしまう有様である。これだけ聞くと、さぞかしいかつい顔をしたこわそうな大男ではないかと思う向きもあろうが、どうしてどうして、まるで少年のような顔をした好青年なのである。

 これほどの選手でありながら、ウィンブルドンでイバニセビッチは過去三回、準決勝まで進んだものの、どうにも勝てなかった。理由は簡単で、サーブでは神様のごとくであるが、それに続くボレーが、これまたどうしたことだろうと見ている方ががっかりするほど、うまくないのである。今年もイバニセビッチは、ボカーンと大砲のようなサーブを打った後で、相手がやっとラケットに当ててふらふらと返ってきたイージー・ボールをネットに詰めていってパシッとボレーするや、それがネットに引っかかって観客が「あーあっ」とため息をつくという場面がよく見られた。

 こういう風にサービス一本槍の選手であるから、たとえばサーブもボレーもストロークも文句なしというアメリカのピート・サンプラスやアンドレ・アガシと比べるとまるで見劣りがして、玄人筋にいわせると、やや異端のくせ者という評価であった。年齢も29歳になり、もう峠をすぎたと思われていた。今回も、ワイルド・カードの主催者推薦でかろうじて参加できたという次第である。

 私がこの選手が気に入っているのは、その表情にいつも木訥な少年のごとき趣があるところである。もう何か、余計なことにかかずらわずに、ただひたむきにテニスに集中し、ボカスカとサーブを打っているのが、とてもいい。まるで一本気な職人を見ているようで、ほれぼれとするのである。たとえば、アンドレ・アガシなどはブルック・シールズと浮き名を流したと思ったら、今度はあのグラフと仲良しになっている。全くどうなっているのかと思うが、イバニセビッチにはそういうところがない。また、ドイツのボリス・ベッカーなどは17〜18歳の少年のころは実に良い顔をしていたと思うが、20歳を超したら急に生活に疲れたおじさんの顔となってしまった。ところがイバニセビッチは、29歳になってもまだ、少年の顔立ちのまんまなのである。

 さて、今年のウィンブルドンでは、イバニセビッチはワイルド・カードから、あれよあれよという間に勝ち上がり、決勝に至った。私も今年こそはと期待したが、相手はラフターである。サーブもいいし、小技も実にうまい。その顔に似合わず華麗な玉さばきである。また、だめだろうなというのが事前の感想で、皆もそう思っていたのではなかろうか。

 ところが、人間、何でも諦めずにやってみるものである。6−3,3−6,6−3,2−6,8−6で、何とイバニセビッチがラフターに勝って優勝してしまった。これには私ならずとも、びっくりしただろう。今年のイバニセビッチは、相変わらずボレーのイージー・ミスが多かったが、それでも果敢にサーブ・アンド・ボレーを繰り返し、度重なるボレーの失敗を強烈サーブのサービス・エースを何本も放って取り返した。そして勝利の瞬間、子供のように顔をくしゃくしゃにして、喜びを表したのである。それからスタンドの方に走り上がっていったと思ったら、そっくりの顔をしたお父さんとひしと抱き合って喜んでいた。いや、本当によかった、よかった。


(平成13年 7月11日著)
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