This is my essay.





 3月も下旬になると、ぽかぽかとして良い陽気になる。霞ヶ関の弁護士会館の前から信号をわたって日比谷公園に入り、公園内を横切った。途中、大噴水の横を通ったが、真冬とはうってかわって水もぬるみ、思わず水の中に手を差し入れてしまったほどである。春はいい、気持ちが浮き浮きする。それからJRのガードをくぐって、有楽町の交通会館まで行った。この日は、パスポートをもらう日である。これまでのものは、仕事がらみでとったために、有効期間が長期のものだと気が引けたので、5年ものであった。その表紙は紺色で、それが気にいっていたのに、今度のものは10年ものであるから表紙は赤色である。それが唯一不満だったが、まあ、そのうち慣れるだろう。世界的に見ても、パスポートは紺色か赤色である。

 しかし、私自身の写真を見て、ひとりで笑い転げた。というのは、5年前のものと比べて、写真上は若返っていたのである。いや、ひとこと弁解しておくと、ちゃんと規定通りに6ヶ月以内に撮ったもので、写真屋さんからもらったものをそのまま提出したのである。実は、これにはおもしろいエピソードがある。

 私の友人で大会社の人事担当の人がこんなことを言っていた。「最近の新入社員。特に女の子の履歴書の写真は、本当にけしからんのだよ。実際に面接に現れた人物と、その写真とは、全く似て非なるものになっておる。別に美人ばかりを採用しようとは思わないが、それでも事前に写真を見て、いちおうは当たりを付けるわけだ。ところが、その写真が全然、実物とは似ていない。だからもう、こうなったら写真など、見ないことにしている。」と、大変な剣幕だ。

 私は、「そりゃ、いったい、どういうことかね」と問うと、彼はいや、それなんだと言って、「近頃は、ここで写真を撮れば、履歴書はOKという写真屋がはやっていて困る。それが実にうまく『修正』してしまうんだよ」というのである。「へぇ、たとえばどこ」と聞くと、「そうね、たとえば新宿のデパートの上の写真屋などは有名だね」といった。私は、それを覚えていたものだから、パスポートの写真を撮ってもらうときに、わざわざその写真屋に行って、撮ってもらったというわけである。

 いざ、写真ができあがってみると、そこには中年のなかなかいい男が写っている。それが自分とわかるのに、少し時間がかかったほどである。そういえば、私と似ていない風でもないが、やっぱり似ていると思わせるものである。はあ、これか、と合点がいった。しかし、実際に外国に行ったときにイミグレーションで、写真と違うといわれたら困ってしまう。しかし、東京都の係員が、写真と照らし合わせてパスポートを交付してくれたのだから、まあ大丈夫だろう。

 話は変わるが、パスポートにはサインがある。私は昔から英語である。最近、国語審議会が、英語での氏名の表記を、姓名の順にせよとの提言をしていた。つまり、従来は外国風にファースト・ネームを先に書き、ファミリー・ネームを後に書くという表記の仕方をやめて、日本語風にまずファミリー・ネームを書いてから、ギブン・ネームを書くべしというのである。それで私もこのパスポート申請前にそれを考えたが、これまで30年近くこれでやっているのに、急に変更すると現地で間違いそうなので、従来通りにしてしまった。

 それにしても、サインについてもいろいろと思い出がある。一番おもしろかったことではあるが、いっぱい食わされたような思いを味わったのは、初めて外国に赴任したときに、事前に現地の話を聞かせてもらった先達の言葉である。彼としては悪気があったわけではないが、結果的にアドバイスが間違っていたことである。彼は私にこういった。「外国に行くのなら、たとえば、トラベラーズ・チェックなどには、外国人にまねをされないように、英語ではなく、日本語の漢字で名前を書く方がよい。そうすると、西洋人は漢字など全く書けないので、トラブルに巻き込まれないですむ。」

 私は、本当にそうだと納得し、トラベラーズ・チェックには事前に英語と日本語の双方をダブルでサインをした。ところが、これが行く先々で問題となる。まず、ダブルでやるのだから、時間がかかる。店先で急いで決済しようとしているのに、人の倍の時間がかかっては、どうにもしようがない。そんなことで、私がうっかり日本語をサインし忘れて渡してしまったら、相手はそれも全く問題ないという風に受け取るのである。試しに、日本語で滅茶苦茶なサインをしたら、それも受け取った。要するに、日本語のわからない外国人としては、正しく書こうが間違って書こうが、いずれもどうせミミズがのたくったような字なので、気にしないのである。もっとも、仮にこれが泥棒に盗まれて、それが適当にサインすると、後から見る人が見れば正しい日本語のサインではないとして、その段階で真の所有者が守られるのかもしれない。しかし、それでも、判定者に日本人を連れてこなければ証明できないなんて、面倒ではないか。やっぱり、このアドバイスは不適当であったと思っている。それ以来、私はトラベラーズ・チェックをあまり使わないが、実はこれが後から問題の元となる。

 私の以前のパスポートは、5年でもう査証欄が一杯になっていた。1ページに何回もスタンプを押してくれる国もあれば、東欧や南西アジアの国によっては、1ページ全部を使ってたいそう大きなビザを押してもらわなければならないところもある。それにしても、たとえばチェコのビザはシールとなっていて、まるでお札のような感じである。これはコレクションとして、値打ちがある。しかし、インドのものは、汚いスタンプで、査証欄がよごれてしまった上に、しゃくなことに発行料が高かった。これで出先の大使館が潤っているとみえる。

 パスポートといえば、外国旅行中に、家族のものが盗まれたことがある。オランダのアムステルダムに滞在していたときのことである。これには、さすがの私も参った。パスポートがなければ旅行を続けるわけにはいかない。どういう状況だったかというと、まずわれわれは親子二人と子供二人の一家全員で、アムステルダムのホテルに到着した。そのとき、私は家内と子供二人のパスポートと航空券それに日本円の現金を、フロントのセーフティ・ボックスに預けたのである。私自身のパスポートは、念のために手元に持っていた。その状態で二日間市内を楽しく見物して回った。そして、さあ出発しようというその日の朝、フロントの女性に頼んで、セーフティ・ボックスを開けた。そうしてびっくり仰天した。中が空っぽだったからである。

 支配人を呼び、私は「現金でこれだけ持っていたから、それを補償せよ」と迫った。実は、それは二ヶ月にわたる長い旅の始まりだったので、私は少なからぬ額の現金を持っていた。ところがそのオランダ人の支配人は、モゴモゴと英語で「現金については保険が下りないので、あなたの言っている額の半額でどうだ」と答える始末である。その当時はクレジットカードの限度額も厳しいし、話がつかなかったら金欠で旅行を中断しなければならない。私は粘りに粘ったが、その日はとうとう話し合いは物別れに終わり、翌日にまた話し合おうということで分かれた。

 その一方で、現金以外のパスポートと航空券について再発行してもらわなければならない。立ち寄るべき場所を調べてタクシーを一日借り上げ、まずアムステルダム警察に行って被害届を出した。スカイ・ブルーのなかなかしゃれた制服を来た警察官は、「毎日に一度くらいは、こういう盗難があるんですよ」などと当たり前のように涼しい顔で言う。確かに後から聞くと、アムステルダムは欧州の中でも非常に犯罪の多い都市だった。その警察官の署名入りの紙を持って今度はハーグに行った。日本大使館はアムステルダムではなくて、そこから車で2時間ばかりのデン・ハーグにあるのである。大使館に入る前に、写真館をようやく見つけて家族の写真を撮った。その雰囲気は、日本の写真館とさほど変わりはない。ただ、出来上がった写真が、同じようなカメラで撮っているはずなのに、どうも日本人離れして見えるのである。セピア色のアンネ・フランクの写真が最近、日本の新聞に載っていたが、ちょうどそんなようなものである。不思議なものだ。

 それを持って日本大使館に入り、再発行の手続をした。幸い、盗まれたパスポートのコピーが手元にあったので、それを参考にして再発行申請書に記入していった。ところがそれから、本省に紹介するから、少なくとも二日はかかるというのである。本当にお役所仕事である。幸い今回は観光旅行であるから、まあ仕方がない。それから、航空券の再発行をしてもらうために、シンガポール航空のオフィスに行った。すると、金髪ですらりと背の高いオランダ人の女性が出てきて、この会社のユニフォームである例のゾロリと長い熱帯風のバティックを着ていたのには、びっくりした。アジア人が着るのと違って、何と評してよいか適当な言葉がないが、ともかく体格の良いヨーロッパ人が着ると、肉感的になってしまう。ま、それはともかく、私がこれこれと事情を説明したら、その女性はふむふむと聞いて、再発行自体は、その場ですんなりとできた。お役所仕事と民間の仕事との違いを目の当たりにしたわけである。

 さてそれからまた大仕事が待っている。アムステルダムのそのホテルに戻ってその支配人と、再び渡り合った。支配人は、私のいない間に保険会社と交渉して、やはり現金の補償はできないと断られたらしい。私も支配人も、前日とまた同じような主張を繰り返した。ところが前日と違って私は、航空券とこれからの旅行日程を示しつつ、「その間の支払い手段として現金を用意していて、持っているクレジット・カードの限度額はこれだから、確かにこの額の現金を持っていた」と立証した。ついでに、「この補償がちゃんとされないと、おたくのホテル・チェーンは日本人の間で評判が悪くなるますぞ」などとあらゆることを述べ立てた。次第に支配人は寡黙になってきて、ついにちょっと時間をくれといって部屋を出ていき、やがて戻ってきた。そして一言「OK、おっしゃる額を補償します」とやっと言ってくれたのである。私はわざと仏頂面で「サンキュー」といい、心の中で快さいを叫んだ。

 翌日、ハーグに向けて出発する日の朝、下のレストランの片隅で、その支配人が現地通貨ギルダーで現金を持ってきて、それを一枚一枚数えながら、「あーあ、これはウチの一ヶ月の利益と同じ額だ」と言うのには、思わず笑ってしまった。それで堅く握手して、分かれたのである。あとから思えば、この支配人が英語が話せたのは幸運だった。これがオランダ語だったとしたら、こうはうまく行かなかっただろう。この経験を人に話すと、「あのケチなオランダ人がそんな!」と現地を知っているたいていの人はびっくりするが、いや、こちらも必死になっていただけである。しかしそれにしても、この支配人はフェアな人だった。

 現在、この事件を彷彿とさせる唯一の手がかりは、その時に再発行してもらったパスポートの写真である。家内は、心なしか心配そうな顔で写っているし、子供たちはタクシーに乗り疲れたのか、全身ぐったりして写っている。いずれにせよ私はこれに懲りて、それ以降、外国旅行ではパスポートを肌身離さずに持つ一方で、なるだけ現金は持ち歩かないこととしている。ホテルのセーフティ・ボックスも、こりごりである。しかし職業柄か、またあのような交渉を英語で再びして、成功の味をかみしめたいと、ふと誘惑にかられることがある。いやいや、危ない、危ない。


(平成13年 3月30日著)
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