This is my essay.





 東大の前期入学試験の合格発表は、今年は3月10日(土)に行われた。悲喜こもごもというとそれこそ桜が散った受験生たちに失礼であるが、恒例になっている運動部の胴上げとともに、人生のドラマとしてこれほどの舞台はまずない。というわけで、発表日が休みのときは、我が家から数分の道のりをトコトコと歩いて、それを眺めに行くこととしている。

 午後1時の発表の予定であったが、いつも30分近く早く発表板が掲げられる。この日も昼の12時半すぎから作業が始まった。家内と私は弥生門の方から入り、安田講堂を過ぎて法学部の研究棟の地獄門のような場所をくぐった。そこがいつもの発表場所である。ほとんどの人は、丸の内線の本郷三丁目駅から赤門を経由して私たちとは反対方向から来る。大学職員が掲示を始めると、向こうからワーッという歓声というか、うなり声を上げて固まりになって走ってくる。それはそれはすごい風景である。そして、あちこちで歓声、悲鳴、怒鳴り声、ラグビーやボート部などの運動部の胴上げが始まった。もう興奮の坩堝である。それはそうだろう。何しろ過去数年間、人によっては10年近い間、このためだけに勉強してきたその結果が目の前に出されるわけであるから、これが興奮せずにおられようか。思わす私たちもつられて手を握り合った。

 家内が「あそこ、あそこ」と指をさす。アメフト部の団体が白と青のプロテクターを着けて受験生を取り囲んでいる。まず手をたたき「ウァオー」と声にならない声を出し、それから胴上げをしている。そのはるか向こうでは、応援団らしき学生服の連中が太鼓をたたき、おそろいで何やらパフォーマンスを繰り広げている。そうかと思うと、真っ赤な服のピエロが「○○寮の入居者募集」という看板を持って歩いている。そんな大混乱状態の群衆から目を離すと、うつむいてそっとその場を離れていく親子連れがいる。4〜5人に一人しか合格しない狭き門なので、この群衆の相当部分は、夢やぶれてまた捲土重来を期すのであろう。そこここに、携帯で電話する人がいる。

 目の前でテレビのインタビューが行われている。受けているのは、かわいい女の子である。最近は、合格者の三人に一人は女性であるという。このクラスの大学だと、女性は百人につきわずか一人以下だったわれわれの時代とは、大違いである。「本当に、おめでとうございました。はい、ありがとうございます」という締めくくりでインタビューが終わった。すると、左の方から、二人とも全く同じめがねをし、もちろん顔も寸分違わない父と子がやってきた。歩きながら背伸びをし、発表板を心配そうにのぞき込んでいる。小走りにわれわれの前を通り過ぎた。お父さんの頭の後ろの毛が薄くなっていたのが印象的である。そして、二人とも、こわごわという感じでのぞき込み、次の瞬間、両手を上げて飛び上がった。その高さまで同じだったのには、笑ってしまった。何はともあれ、君はよくやった、おめでとう。

 一昨年から、プライバシー保護ということで、発表板からは個人名がなくなってしまった。以前なら、どういう姓が多いのかとか、どういう名前があるのかとか、あれっこれは友達のお子さんではないかなどと、いろいろと発表板を眺める楽しみがあったのであるが、いまや発表は番号だけなので、全くもって味気ない限りである。それでも、週刊誌や受験産業は、合格者の氏名と学校をどこからか探し出してきてしまうのであるから、商魂たくましい。そういえば、私たちの周囲にいたのは、どうも塾の先生たちらしかった。そろって背広の上に安手のコートをはおり、めがねをし、手にはボードを持ってそこには受験番号が並んでいる。携帯で本部と連絡し「□□さんは、だめでした。法学部は○○ちゃんだけです。」などとやっている。その横で歓声がまた一段と大きくなった。どうも新たに弓道部らしき団体が胴上げに参入したようだ。その周囲に弓が乱立しているから、すぐわかる。

 そうした風景をさんざん目に焼き付けて、ああ、今年もドラマが終わったと、家内とともに家路についた。

 ところで、旧大蔵省の権威も今は昔のこと、そうした官庁神話も跡形もなく崩壊した今となっては、東大卒などといっても、社会に出れば名刺代わりくらいしか役に立たなくなっている。しかし、まあそれでも、その人が若い時にバランスよく一生懸命に勉強して、それなりに努力したという証左にはなるかもしれない。こうした若い人たちが、我が国の将来を担う人材となることを祈っているのは、もちろん私ばかりではないであろう。ところが、である。たまたま私の身近には、仕事柄それこそ東大卒がごろごろといるが、最近特にこの15年間に卒業した諸君の様子を見ると、その能力に、いささか疑問なしとしない。

 というのは、何か決まりきった仕事であれば、それなりにこなせるのであるが、ちょっと想定しえなかった事態に遭遇すると、それこそ、うろたえたようになって、まるきり役に立たなくなってしまう人が増えてきたのである。こういう人も、マニュアルとか、誰かの指示に従っている限りではそれなりに優秀なのであるが、機転や応用が全く利かないという欠点が目立つ。私はあるとき、友人たちとテニスをやっていて、お昼時になったから一人でマクドナルドに全員の食料を仕入れに行った。一人で私が店に入っていき、「ハンバーグ・セットを8人分」というと、店員は「ここで食べますか、お持ち帰りですか」と聞いた。これはマニュアル通りにやっているからである。8人分もその場で一人が食べられないのは一見して明らかなので、ちょっと頭を使えば、そういう聞き方をしないはずである。最近の東大卒の一部は、これとあまり大差がない。要するにマニュアル人間風なのである。

 そのうえに、いまひとつ、これは問題だと思うことは、最近の東大卒人間の一部には、いったいどうしたいのか、何をやりたいのか、そもそも自己の意思というものがないのではないかとすら思うことが多いのである。今年になって日経新聞が教育の危機なる特集をやっていたが、その中に、興味を引く記事があった。裁判所に入ってきた新任裁判官が、判決文を書く段になって、先輩の裁判官にこう言ったそうである「それで、これは有罪にするんですか、それとも無罪ですか」。こういう馬鹿に裁かれる被告もたまらないが、私の指摘しているのは、まさにこの種の病癖であって、たとえていうとロボット人間風なのである。

 我が国の最高学府というのに、こうしたマニュアル人間やロボット人間が数多く発生する原因は、いったいどこにあるのであろうか。私は、これこそが現在の日本社会が抱える病癖ではないかと考える次第である。われわれの年代、いまから30有余年以上前は、ベビー・ブームの最後の頃であり、受験競争は激烈であった。ところが、地方にいると、受験の情報などほとんど入手できないのである。もちろん偏差値なる指標も開発されていなかったし、大手予備校の全国展開もそれほどには進んでいなかった。そういう中で唯一の指標といえば、自分の高校から何人東大に入ったかという数字だけである。偏差値なる近代的統計学に慣れた人からみれば、これほど原始的なものはないが、しかしそれしかなかったのだから、仕方がない。

 そういう状況であると、信ずるに足るものは、自分に対する強烈な自信と、あたかも岩のごとくに堅い信念しかない。つまり、他人に左右されずに、その人なりの工夫を凝らし、その個人的能力を最大限に生かして、難関大学への合格を決める世界だったわけである。こういう時代に東大に合格した人たちは実に個性的で、本当に偉い人が多かった。人が作った合格へのマニュアルなど、そんなもの手元にも周りにも有りはしないので、自分自身でそれを描くしかない。いずれにせよ、ひたすら東大を目指して我こそは必ず合格するという堅くて強い意志の力がなくては持たないので、ロボットにもなりようがないのである。

 このような視点からすれば、現代の入試事情などは、われわれの年代に属する父親の想像もつかないことである。私がびっくりしたのは、まだ東京の杉並区に住んでいた頃、夜の10時頃に地下鉄の駅に降りる小学生が数人いたことである。しかもそのうちの一人は、我が家の向かいに住んでいた子で、息子と同い年の女の子である。最初は私も何も知らないものだから「どうしたの」と聞いていたが、背中に「N」字のマークの入った鞄を誇らしげに担いでいた。そして誇らしげに私に言ったものである「わたし、日能研に行ってるの」。私は「ニチノーケン、何だ、そりゃ」と思いつつ、帰って家内に聞いたところ、有名な塾なのだそうだ。私は「小学校の五年生から、あんなに夜遅く帰ってきて、良くないよね」と家内に問うたところ「いまは、それが常識みたいよ」という。しかも、小学校六年生になると、土日も入れて毎日その調子で通うというのである。

 この年代の子供はまだ反抗期ではないから、親に言われたとおりするであろうが、それにしても学校も入れて昼と夜はいつも弁当、しかも帰りは午後10時すぎ、宿題をやると寝るのは午前1時近くというのでは、小学生の生活とは思えないではないか。昔は女工哀史であったが、これでは小学生哀話である。そこで我が家では、息子に中学受験をさせるにしても、原則として家内が教えることにし、塾には一切通わせなかった。一般に、親が子供に教えると、どちらも遠慮というものがないので、得てして親が癇癪を爆発させて子供を怒り、それで失敗する例が多い。幸い、家内はそういうタイプではないので、小学校六年生になった頃から夕食後の一時間ほど、ちょこちょこと教えていた。要するに、運が良ければ合格し、それで駄目ならまあいいさという気楽な調子である。

 それでも何とか世に言う御三家の一角を占める私立中高一貫校にもぐり込めてしまったのだから、世の中は面白いというか、わからないものである。つまり、何も子供を夜遅くまで塾に通わせなくても、親が手作りで教える家庭教育で何とかなったのである。つくづく、世間の常識などというものは、あまり当てにしない方がよいと思った。ところでその中高一貫校の受験当日には、家内が付き添っていたのであるが、手持ちぶさたの時に周囲の奥さん方の話を聞くとはなしに聞いていたところ、耳を疑う会話が交わされていたという。たとえば「お宅は、ここまでいくらかかったの」、「そうね、ざっと200万円くらい」、「あら、うちは300万円よ」などと言っていたので、びっくりしたそうである。

 この私立中高一貫校は、確かに良い学校であった。校則など一切なく、ひたすら自由で、のびのびしていた。高校入試もないので、息子には何のストレスもなかったと思う。ただ、人はいろいろである。小学校時代にそのように連日にわたる猛勉強に追いまくられてやっと入学した子の一部には、幼いのに「燃え尽き症候群」に見舞われている子がいた。どうにも勉強に身が入らずにぶらぶらとしている。校長先生に言わせれば「ウチの子の成績分布は、ちょうどH字の上半分なのですよ。出来る子は極端にできるし、出来ない子は全くできないのだから、困ったものだ」とのことであった。しかし、こういう学校に入れて一安心というのは、やはり甘かった。よくよく注意しておかないと、それこそとんでもないことになるということに、ある日気が付いた。つまり、この学校で行われている教育内容には、たいそう偏りがあるという事実である。

 それは、父兄会で学校に行ってみてわかったことである。まず数学は、文部省の指導要領などには全く沿っておらず、自由自在の順序で教えている。これは、まあいいことだろう。先生も「大学の教養部クラスの授業です」などといっていた。ところが、実はそれが問題なのである。一流大学の入試は、いくら特定分野だけを深く勉強していても、広い知識に裏打ちされた教養がなければ合格できないことは、いうまでもない。たとえばこの学校の日本史の例を見ればよくわかる。ある年の5月頃、息子に「いま何をやっているの」と聞くと「奈良時代の農民一揆だよ」という。年末になって同じことを聞くと「江戸時代の農民一揆だよ」と答える。これでは全くだめではないか。確かに農民一揆については深い知識が身に付くかもしれないが、日本史の授業としては、とんでもなく偏っている。まるっきり、体系的な学習ができていない。そう思って教師の顔を見ていると、どことなく世間離れをした感じである。肝心の校長先生も「ウチは、別に勉強を教えてはいないけれど、どういうわけか東大に入るのですよ、ホホッ」などとやっている。さすがの私もこれでは駄目だと悟り、高校2年の秋頃、とうとう息子に対し、必要と思うなら塾に言ってよいと、塾の解禁令を出した。

 息子は、渋谷にある英語塾と新宿にある数学塾を自分で探してきた。英語塾の方は、経営者が高齢の女性でいわゆる有名校の生徒しかとらないというので世間に知られていたらしい。そんなところで大丈夫かと思っていたら、私の懸念は外れて、その学習効果は短期間で絶大であった。大当たりというところである。もっともこれは、学校で体系的にしっかりと教えられていなかったせいではないかと思う。数学塾の方は、私の高校時代からある有名な数学雑誌の著者がやっているところである。私は、つくづく「東京の子は恵まれている。こういう超一流の学校、先生と塾が自由に選べるのだから」と思ったものである。他の同級生の子たちも同じようにてんでに好きな塾に通った。そして東大入試の本番を迎えたのである。その年のこの中高一貫校では、息子のクラスを例にとると、何とその三分の一が現役で合格した。そして翌春に浪人で合格した子を合わせれば、クラスの二分の一が東大に進学したというのである。

 考えてみると、こういう一部の有名私立中高一貫校が、これほどの数の東大合格者を輩出するということは、機会均等、社会平等という観点からみると、いささかどうかと思うのである。東大卒といってもそれはたかだか名刺代わりとは言ったものの、まだまだその名刺は社会に出れば効果がある。ところが、その持ち主が私立中高一貫校出身者ばかりに偏っているというのは、あまり正常な姿ではないと思うのである。昭和50年代の美濃部都知事が行った学校群の導入は、一部の公立エリート高校を排除するというその意図とは明らかに反して、一部の金持ちしかいけない、私立エリート校の大繁栄を招いたのである。つまりは学費の払えない家庭は、東大には行けなくなった。かくいう私の場合も、この私立中高一貫校の6年にわたる学費負担は、決して軽いものではなかった。

 私の年代の若き頃には、各地で輝ける公立高校が多かった。東京なら、都立日比谷高校、西高校、小石川高校などである。これが、その学校群制度とやらのせいで、跡形もなく消えてしまった。現在では、東大卒の肩書きを手に入れるためには、東京在住なら、前述のように中学受験時までに少なくも200〜300万円はかかり、入学後にそれから六年間の学費が必要で塾の分も入れればざっと1000万円はかかるであろう。合わせて中高の期間で何と1300万円なりである。子供が一人や二人ならまだともかく、何人もいるとお手上げとなる。これでは、所得の低い家庭が子供を東大にやろうという気すら起こらないではないか。しかも小学校時代に真夜中すぎまで勉強しなければならないなど、常軌を逸している世界である。また、その過程を通じての塾や予備校の隆盛は、確実にマニュアル人間やロボット人間を生み出していると思う。

 私の友人に、ある中央官庁の幹部がいる。今風にいえば、高級官僚のしかも前途有望な人物である。この人は、有能で企画力と実行力にすぐれ、しかも親分肌ときている。もう東京暮らしが30年にも及ぶはずなのに、未だに郷里の三重県の訛りが抜けないのがおかしい。口さがない連中は「あれは、わざとやっている」というほどである。この人の出身地は、三重県の誠に草深い田舎であるが、幼い頃から抜群の出来であったので、試しに東大を受けてみたら、見事に合格したのである。その市からは、あとにも先にも、東大に受かったのは、彼だけだった。有史以来の快挙だというので、大学に合格したときに郷里の新聞の一面を飾り、中央官庁に入省したときに再び郷里の英雄として、地元の新聞の一面を飾ったという。こういう人は、郷里の宝であり、日本の宝でもあると思うが、都会の私立中高一貫校が東大合格者の数を毎年増やしているということは、この種の地方の人材の供給を先細りにしていることを意味している。

 ところが現代は、お金を出して小学校から塾に通い、都会の私立中高一貫校に在籍し、同時に予備校や塾に通っていさえすれば、学歴はお金で買えてしまうのである。以前のように、貧しいながらも、あるいは地方で何の情報も身近にないながらも、自分でさんざん苦労して我流で勉強方法をひねり出していくと、それがちゃんと報われるという仕組みになっていない。したがって、現代の日本では、そうした人間が社会を代表するところまで浮かび上がるということ自体が、まるで不可能になってきているのである。

 さらにいえば、「多種多様な階層から知的でバイタリティあふれる人材を」というのが戦後日本の知的発展の源であった。そして、草叢の有為な人材を集める揺りかごのような存在が、かつての全県一区の公立高校であったと私は思う。それが消えてしまった今日、一般家庭の子にとっては、東大その他一流といわれる大学への道が限りなく遠のいてしまったのではなかろうか。さらに悪いことに最近は、学習指導要領の骨抜きが間近に迫っているらしい。学習内容が、何と三分の一も減るというのである。これでは広い知識を持って世界的競争にも耐えうるようなバイタリティを備えた、次世代の知的階級など、我が国に全く生まれようがない。それどころか、マニュアルとロボットに加えて今度は「知識の欠落」というジャンルの人間が増えかねない有様である。これはまさに、日本社会の知的危機と思うが、心配しすぎであろうか。



(平成13年 3月12日著)
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