先日、私は早めに仕事が終わって自宅に帰り、家内のいつもの手料理をじっくり味わいながらとり終えて、ほっと一息をついていた。そのとき、上の階の住人からあわただしく電話がかかってきた。「理事、すぐ来て下さい。私の家に泥棒が入りました。」 私は、自宅のマンションの理事会のメンバーになっている。私は、寒いのに靴下を履くのも忘れてそのままの格好ですぐに飛び出し、まさに取るものもとりあえずそのお宅に駆けつけた。ご主人は、顔を紅潮させて家の中を歩き回り、「まあ見てください。この窓のところを破ってきたのですよ。ほれ。」 そこは小さなベランダで、龍安寺の石庭のような造作になっているが、あちこちに細かいガラスの破片が飛び散っていた。ガラスには何本かの蜘蛛の巣状の大きなひび割れがあり、そのひび割れはいずれもドアを開ける取っ手の周辺に集まっていた。つまりは外から、その取っ手を動かすに必要最小限の穴をガラスに開けて侵入したものである。ご主人は、「あぁっ、あの金庫が盗られた、あれは息子の○○万円が入っていたのに。ここには○○万円分のポンドがあったー。あれ、ここにある珍しい時計も盗られた。何てやつだ。これはプロだな。お巡りさん早く来てくれ。」と言いつつ部屋の中をあちこち回っていた。気の毒で、本当に慰めの言葉も掛けられない状態である。奥さんも、「うう。宝石類がない。ひとつ残らずよ。ここにあったビール券の束もなくなっている。500円と100円玉の貯金箱の中もやられたわ。根こそぎね。あれっ、一円玉だけ残っているわ、くやしい。もう何てことよ!」と、これまた怒りに震えている。 やがて、小太りの警官がやってきて、「ああ、やられましたね。電話を受けたときはピッキングかと思いましたが、この窓からですね。鑑識を呼んでいますから、ちょっとさわらないようにしてください。」といい、きびきびと調べだした。「ははぁ、この石庭は玄関の横につながっていますね。そこから、この危ないところをまたいで来たのですね。何が盗られたのですか。はあはあ、それは大変ですね。リストを作っていただけますか。」ご主人はそれに掛かり切りになったので、私は理事会で対策を検討することを約して退出した。こういうときは、何というのかよくわからなくて、「いや、本当に大変でした。まあ、気を落とさないで下さい。犯人と出くわさなかっただけでも、不幸中の幸いでした。」などと、わけのわからない慰め方をして、そそくさと退出した。 今年の春頃からたびたび泥棒の新聞記事が出るようになった。とりわけ、「ピッキング」という手口で鍵を開けて侵入する事件が全国各地で相次いでいるという。そうした新聞記事を見つけたものだから、私は7月の理事会で三つの提案をした。一つは錠を最新型のピッキングに強いものにすること、二つ目は監視カメラを付けること、最後は隣のマンションとの間の隙間を閉じることである。錠の変更は全戸一斉に替えなければいけないので80万円近くの費用がかかるが、からくも何とか賛成をいただいてその通りに決定された。ところが後の二つは、理事長が「緊急性もないし」などと言うものだから、他の理事もあまりに費用がかかることが続いてもという感じになって、しばらく様子見をすることとなった。私は、監視カメラを三台つけても、月にわずか22,000円程度のことなのにと思ったが、まあ仕方がないと思い、それ以上あまり強くは主張しなかったのである。 そうこうしているうち、何ヶ月があっという間に過ぎていった。ところが、7月に頼んだ錠の変更がなかなか実現しない。その注文した鍵屋にやいのやいのと催促しても、今どうなっているのかということすら、わからないのである。先方が言うには、その錠の単体はあるものの、玄関のオートロックの部分はその居住者全員の鍵で開くように作らなければならないから、特注しなければならないらしい。ところがその工場に注文が殺到していて出来上がらないと言って、なかなか取り付けてくれない。途中でしびれを切らした居住者は、各個人でそれぞれに補助錠を付け始めた(図の補助錠は、鍵穴が「W」字型で、「U9」という。)。これを付けると、錠が二個になるので、たとえメインのピッキングに弱い錠がすぐ破られても、補助錠が開かないと、泥棒さんが入って来られないというわけである。 そのピッキングに弱い錠というのは、シリンダー錠といって、わが国で最も普及している錠である。鍵穴が縦型になっている。これは、耳掻きのような金属棒を使って、わずか10秒程度で開けられるという。ピッキングで捕まった泥棒の75%は不法入国の中国人で、故郷でピッキングの手法をよく練習して入国してくるらしい。ある中国人の都内のアジトにあった手紙は、既に不法入国して泥棒家業に励んでいる兄に当てた弟からのもので、「福建省の自宅でピッキングの練習を続けていたが、もう腕が相当上がったから、早く日本に呼んで一緒に稼がせてほしい」というものだった由。本当にけしからぬ話である。ある警察関係者によると、ピッキングで全国を荒らし回っている不法入国の中国人の多くは、出国時に蛇頭から200万円近い借金をして、日本に潜り込んでくるらしい。現地で200万円といえば10年近くの稼ぎになるようで、それだけの借金をしてくるのだから、彼らもそれを取り戻そうと必死であり、手当たり次第に見境なく犯行に及ぶという。 あるとき、私は自分でもいささか乱暴な議論だと思いつつ、パーティの席で別の警察関係者に出会ったので、酒の上の意見としてこう申し上げたことがある。「新聞によると、2000年11月時点でのピッキング被害の件数は全国で既に2万件を超えた。中には単に盗むだけでなく、見つかれば居直って強盗に変身するらしい。人を傷つけたり殺したりするのも、何とも思っていないようだ。警察も殺到する被害届の書類処理に追われて、肝心の捜査に人手をさく余裕がないという、まるでお笑い番組のような状況である。これほどピッキング被害が広がっているというのは非常事態であるから、警察もオウム事件の時のようにもっと広範囲かつ積極的に取り締まるべきではないか。たとえば路上に不審と思われる中国人らしき人物がいれば、どんどん職務質問をして、オーバーステイがわかればただちに検挙できないのか」と言った。 そうするとその人は、「警官の数にも限りがあるし、こういう連中は凶器を持っている。また、たとえオーバーステイでつかまえようとしても、本当かどうかは知らないが、そういう連中を拘束しておく入国管理の施設が満杯となっているから、身柄を快くは受け取ってもらえないという噂を聞く」などと言うのである。真偽のほどは確かめようがないが、もし事実であるとすれば、これもまた本当にけしからぬ話であるとしか言いようがない。行政機関どうしの責任の押しつけ合いなのかもしれない。まあ、酒の上の話であるから、真実でないことを祈るばかりである。もちろん、私の言うようなことを本当に始めるならば、不法入国ではない大勢のまっとうな中国人の皆さんにも多大の迷惑がかかりかねないので、慎重にしなければならないのも事実である。 われわれのマンションも、ピッキングに弱い錠のままで10月の中旬となった。ここで、いわば今回の事件の導入部となる第一の事件が起こった。平日の木曜日の、午後2時頃のことである。たまたま管理人は休みの日であった。居住者の一人が下からエレベーターで上がって自宅のある5階に降りたところ、エレベーターの横で若い男がいた。しかも、かがんで鍵穴に何かを差し込んでガチャガチャと音を立てていたのである。その人は思わず「アッ」と声を出した。するとその男は、顔を隠しながら階段を走って逃げていった。交番に届けたところ、明らかにピッキングであるという。幸い、未遂に終わった。そういうわけで、まだこの時点では皆はいたって呑気であった。皆で集まったときにこの話が出て、そこで全員が大笑いをしたことがある。それは、その泥棒が入ろうとした部屋が、事もあろうに、われわれの理事長の部屋だったからである。このお宅はご夫婦とも平日は留守にしているのである。それにしても、泥棒はよく下見をしていることが見て取れる。 それから、さらに一ヶ月ほどして起こったのが、今回の多額盗難事件である。今から思えば、できれば今年の7月の私の提案時に、遅くとも第一の事件の時に徹底的な対策を講じていれば、十分に防げたかもしれないのである。特にこの第二の事件では、ピッキングで玄関から入ってきたのではない。現にその玄関には補助錠が取り付けてあり、その意味では補助錠は有効であったのである。そこでこの泥棒たちは、隣のマンションとの隙間から侵入してきて、この家の家人が全員留守になるのを待っていたかのようにして、ガラスを破って入ってきたのである。その破り方も、窓を明けるのに必要最小限の穴を開けただけである。もちろん、指紋は残していないし、ありふれた足跡以外には全く何の手かがりもない。つくづくその7月の時点で監視カメラと隣からの侵入防護柵を付けていればと反省したものである。 私は早速ペーパーを作ってマンション全戸に配り、第一に監視カメラの設置と侵入経路を塞ぐ工事をして各戸に補助錠を取り付けるようにすること、第二にオートロックを解除して入るときに不審な人物と一緒に入らないようにし、部屋には現金や貴重品を置かないなどと注意を喚起して回った。今度は理事会を開いても、まさか様子見とはいわないであろう。それにしても、誠に高い授業料であった。 最近の日本は、かつてのような世界一安全な国であるとは言い難くなった。早い話、5年前の地下鉄サリン事件は、他の国にも過去にその例をみないような大規模で残酷な無差別テロ犯罪であったし、上に述べたようなピッキング犯罪や少年の凶悪犯罪の増加は、わが国の安全神話が崩壊しつつあることを示しているのではないだろうか。いや、世界的に見ると、これまでの日本が例外的に治安が良すぎた国であったのかもしれず、次第に普通の国並みになってきたのであろう。そうであるとすれば、住宅の構造や錠前などは、従来のままで済まされるはずがない。 私は以前に東南アジアに暮らしたことがあるが、庶民の住宅でもその構造の厳重なことは、日本の住宅の比ではない。まず、玄関のドアは鉄板入りで非常に重いし、錠前は三つもついている。しかも蝶番の部分は絶対にこじ開けられないようになっている。窓という窓にはすべて太い鉄柵が取り付けてある。庭に出られるようになっている広い開口部のところには、アコーディオン式の鉄柵が設置されていて、それで厳重に閉じられるような作りである。加えて、庭に三匹の犬を飼っていた。その建物構造の厳重なことは、日本のちゃちな作りのものとは比較にならない。 実は、私のその東南アジアでの住宅は、それでも、ある場所からこそ泥が侵入したのである。その話はまた別の機会に譲ることとして、仮に最近の日本を荒らし回っている連中が不法入国の中国人であるとすれば、かの地のこれほど破りにくい住宅で練習してくるのであるから、あちらこちらがペラペラの日本の住宅の窓や扉などは、表現は悪いがまるで赤子の手をねじるようなものである。私は、こういう世の中になってしまった以上、水とともに安全は当然にあるというセキュリティに対する日本人の感覚を直ちに替えて対策を講じるべきであると思う。せめて、東南アジアの普通の住宅程度の装備をし、セキュリティに気を配るべきであると考えるのである。 私がこう思っていると、早速その配った防犯ペーパーが功を奏したのか、マンションの居住者から連絡が入った。夕刻の私のいない時であったので、家内が飛んでいった。それは、「玄関に不審な二人連れが中の様子を窺っている。しかも、早口でしゃべっている言葉が日本語ではないようだ」というのである。ところが、家内が行ってみると、もうその二人は立ち去っていた。私は、その話を近くの交番のM巡査に伝えておいた。 また、その日のことである。別の奥さんが、警官だという二人連れの訪問を受けて、ドアスコープが壊されたという事件について説明させられたという。その奥さんは、マンションの防犯対策についてぺらぺらと喋ったあとで、気が付いて、警察手帳を見せて欲しいといったら、ちらりと黒い手帳を見せてくれたが、じっくり見なかったとのこと。それからその二人連れは、別の部屋を見に行くと言って上がっていったらしい。次の日、その奥さんはその二人が果たして本物の警官かどうか不安になり、近くの交番に行ってその旨を伝え、念のために警察手帳をみせてもらった。そうすると、どうもその時ちらりと見たものとは、手帳の形式が異なっていた。しかもその交番から所轄の警察署に連絡して聞いてもらったところ、そうした二人を派遣した記録はなかったと聞き、驚くとともにぞっとしたという。 私は、これは事件だと思い、またそのおなじみのM巡査に、「前回は、人相の悪い中国人らしい不審な二人連れだったが、今回は、ニセ警官らしい」と伝えた。するとMさんは、「実は、最近この近辺で盗難事件がよく起こっているので、私はちょうどその日のその時間に、私服でお宅のマンションにいました」というのである。私は、「そういうことなら、その奥さんに会っていただけませんか」というと、すぐにマンションまでわざわざ来てくれたのである。そして、その奥さんは、「ああ、この人だった」と認めた。結局、その不審な中国人も、それからニセ警官も、この本物の警官たちだったことがわかって、大笑いとなった。それにしても私はMさんに対して、「人相の悪い」などといってしまって、大変に失礼してしまったのである。 まあ、注意が利きすぎてやりすぎとなった事例であるが、普段からあまり慣れていないことをすると、かえって疑心暗鬼をよんでいろいろな副作用が出るものである。しかし、今ほど物騒な世の中になってしまうと、それくらいでちょうどよいのかもしれない。いやはや、困ったものである。 年も押し迫った12月22日になって、ようやく待望の錠の取り替えが行われた。三日間の日程で全戸一斉に取り替えるのである。時間帯を区切ってそれぞれの希望者を募ったところ、取り替えの希望は第一日目の最初の時間帯に集中していた。皆さんは、よほど待ちに待っていたのだろう。これで、取りあえずは安心して年越しができそうである。取り替えに来た鍵屋さんに、私は、こう聞いた。「もし、今から申し込んだら、新しい鍵を付けていただくのにどれぐらいかかりますか?」 彼は顔色一つ変えないでこう答えた。「そうですね。まあ、八ヶ月待ちですね。」 あぁ、また盗賊団が全国を跳梁跋扈するではないか! 警察と入管は、しっかりしてほしい。
(平成12年12月23日著) (お願い 著作権法の観点から無断での転載や引用はご遠慮ください。) |
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