This is my essay.








 朝、さあ出かけようと洋服ダンスを開き、ネクタイを架けてある場所に目をやった。すると、茶色がかった黄土色のネクタイが目に付いた。昨日の朝にはなかったから、家内が整理しておいてくれたらしい。これは、ミチコロンドンのネクタイである。良い色合いだし、アルファベットのロゴがよろしい。計算数字のようなものがあるのも、なかなか知的なムードがある。そういえば、これを二年ほど前にたまたまデパートで見かけ、大変気に入ってすぐに買い求めたものである。かなり高かったが、これを締めるとそれなりに満足感が出る。よし今日はこれにしようということで、それをゆっくりとした手つきで付けて家を出た。

 仕事をこなし、お昼になったので、近くの日本料理屋に行って、お魚を注文した。お店の人に生卵をごはんにかけないかと聞かれたので、「そりゃいい、そうしよう」と言って持ってきてもらった。しょうゆを控えめにして生卵をかき混ぜ、それを熱々のご飯にかけて食べ始めた。一口食べると、これが実においしいのである。幸せだ、うれしいと思って、二口目には大きく口を開けてさらに食べた。と、ああ何たることか。生卵がべたべた付いたご飯粒がポトポトと落っこちていった。それが、こともあろうに背広の上着にかかるは、それに大事なネクタイにかかるはで、本当にがっかりしてしまった。おわてて、女将さんに濡れたおしぼりを持ってきてもらってそれを拭いたが、時既に遅くて、どうしようもない。

 まず、ネクタイでも何とか救おうと思って、それを近くのクリーニング屋に持っていった。その店の奥さんに、「ここに、生卵がかかってしまったので、洗ってください」とお願いすると、「ここですね。わかりました。まあ、何てすてきなネクタイなんでしょう」と言ってくれる。私が「いや、そういうものに限って、汚れるんですよ」と答えたら、「ガハハッ」と豪快に笑われてしまった。お代はわずか、200円だという。安すぎるなと思いつつ、その店を出た。

 ところが、どうも昔に同じような経験をした気がするのである。たまたま夕方に白洋舎の前を通りかかって、ようやく思い出した。そのときは、バブル期の真っ最中だったので、2万5千円のネクタイをどこかでポンッと買った。そしてその翌日、それを締めて出かけ、お昼となった。たまたま近くのスパゲッティ屋に入って、ナポリタンを注文した。たかがスパゲッティというなかれ。この店の味たるや、ニンニクその他のスパイスが利いて、非常においしいのである。しかし、同じことをやってしまったのである。ふと気が付くと、ワイシャツとネクタイに、べったりとトマトソースが付いていた。そのときも、あわてて白洋舎に持っていった。すると、確かにきれいにしてくれたが、ネクタイのクリーニングだけで3500円近くかかったと記憶している。

 我が身の粗忽さはともかくとして、それにしても、10年前が3500円で今が200円というのは、これはいったいどうしたことか。特別にしみ抜き料でも取られたのかとも思うが、これでは日本経済がデフレになるのも無理はない。もっとも同じ白洋舎に持って行ってはいないので、もちろんこれは正確な比較ではない。ただ、これがわかったからには、白洋舎にはもう二度とネクタイを持ち込む気がしないから、この比較は永久にできないというわけだ。それにしても、今度の200円のネクタイの洗濯料は、こんなに安くていいのかしらんと恐縮するばかりである。ちゃんとネクタイ形に切った白いボール紙に挟み込み、ご丁寧にもその上にポリ袋をかけて返してくれたからである。しかも、「はいっ、すてきなネクタイ!」という、かけ声付きだった。






(平成13年 3月31日著)
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悠々人生・邯鄲の夢





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