悠々人生のエッセイ








 私が年賀状というものをやりとりするようになってから、もう40年近くが経つ。小学校の4年生ぐらいから、引っ越した元の小学校の先生とか、友達あてに出していたことを覚えている。ところが私は、自分の描く図柄とか文章はさほど悪くないとは思うのであるが、昔から習字が苦手で、いわゆる悪筆乱筆のたぐいである。それでも、ゆっくりと書けばまあまあ標準に近い字にならないこともないが、特に年賀状は年の暮れで忙しい時に集中的に書かざるを得ないので、どうしても字体は崩れていってしまう。そういうわけで、年賀状をいただくのはうれしいが、出すのは昔から苦手であった。

 私の父は誠に男らしい美しい字で書くのに、小さい頃の私は、どうして字がうまくならないのだろうと思っていた。小学校時代には、「まあ、習字をもう少し習うと、何とかなるだろう」と気楽に考え、あまり気を配らなかった。そのためどうにもバランスのよくない字ばかりを書いていて、しかもそれで一向に平気だった。中学校に入った。習字の時間は相変わらず苦手で、みみずがのたくったような情けない字しか書けない。骨太の字がいいだろうと思ってたくさん墨汁をつけると、墨がにじんだ相撲取りのような字になる。墨汁をあまりつけないで字の角をはねるようにすると、かすれた感じが出て良い字になると聞いてやってみたが、何回やってもその字の角は、だほだぼっとした変な代物になる。そうこうしているうちに、高校受験の時期になり、もうどうでもよくなった。それから高校に入ったものの、暇なときは別のことをやっていたので、字の勉強などはせず、相変わらずの乱筆である。

 大学に入っても、もう字の勉強をするという殊勝な気は全くなくなり、それどころか私の字はますますひどくなった。私は授業という授業は出たらしっかりとノートをとることにしていたので、字の美しさなどは一向にかまわずに、ともかく教師の言ったことをかたっぱしからメモしていった。そうすると、時として自分でも何を書いていたかもわからなくなるほどの乱筆になってしまった。それでも、自分が書いたものであるから、私自身は99%は理解できる。しかし、私のノートをあてにしていた友達たちは、その半分も読めなかったのではないだろうか。

 そういうときである。私の友人のひとりに、とても美しい字でノートをとる人がいた。しかし、書く速度が遅いので、授業の3分の2くらいしかメモできない。私は、「全部ノートにとらないと、意味ないではないか」と言ったが、彼は「自分の書く速度では、これが限界だ」といって譲らない。私は内心、悪筆でもノートに全部記録できる自分の方がもちろん正しいと思ったが、何しろ各人のやり方があるので、それ以上は言うのをやめた。ところが、それから二学期ほどたって、再び彼のノートを覗いたところ、びっくりした。彼は、いつものとても美しい字で、あの早い授業を完璧にメモしていたのである。私はこのとき、字は早くかつ美しく書こうと努力すれば、できるものだと悟ったのである。ただ、それは少し遅かった。

 社会に出ても、私の悪筆の癖はさほど改善されないでいた。まあ、そのときの私の直接の上司が、私に輪をかけたような悪筆で、たとえば「お」という字はほとんど横倒しではないかと思うようなものを書く人だったから、多少は救われた面もある。それでも、数枚のレポートを書くときは、心の中で「ゆっくり」「ゆっくり」と念じながらやっていったので、幸いにしてさほど馬脚を現さないですんだ。

 年来こういう調子であったから、年賀状ではせめて図柄でカバーしようと、なるべくカラフルなものにするようにし、しかも可能な限り早い時期から宛先を書くようにした。年賀状も、あちこちで働いた場所が増えるに連れて、その出す枚数が増していき、手書きでは、200枚が限界となっていった。もちろん、型どおりの挨拶だけを書くという手もあるが、表を見れば悪筆の住所で、裏を見ると形式的な文章というのでは、誠に味わいがない。相手に応じて、それなりの文章を付け加えたいが、あまりに出す数が多くなると、それもままならない。

 そうこうしているうちに、パソコンの時代となった。5年ほど前に年賀状ソフトというものが出されたので、早速それに飛びついた。その名も「筆豆」という。これは便利で、慣れてくるとほとんどのことができるようになる。相手のお宅の住所、電話、メール・アドレス、会社の肩書きを打ち込めて、アイウエオ順に整理し、いつ年賀状が来てこちらが出したかなどが一目瞭然である。最近では郵便番号を入れるだけで、町名まで自動的に出てくる。これで300枚まで年賀状を出す数を引き上げることができるようになった。ただし、ときどき、このソフトに弄ばれている感じがする。たとえば、住所欄に「3−3−22」と打ち込んだつもりで画面を見ると、「あほあほふふ」と出る。かたかな変換キーを押すのを忘れていたからである。けしからぬことに、このソフトは画面を転換するごとにこの現象がしばしば起こる。

 それから、もうひとつの大きな技術革新は、カラー・プリンターの登場である。最初はインクリボンであったが、いまでは三原色と黒のカートリッジを使って印刷するプリンターで、非常に美しい色が出る。しかも、ソフトが発達して、デジカメで撮った写真を貼り込めるようになったから、ますます見栄えがよくなった。いつぞやは、諸先輩向けの年賀状に私が撮った富士山の写真などを印刷し、親類向けにわれわれ家族の写真を印刷した。

 これで、大いに満足すべきであるが、今年の年賀状の時期には困ったことが起こった。いつものように印刷ソフトを立ち上げてプリンターを動かし、カチーンコ、カチーンコとのどかな音を立てて印刷を始めた。ところが、10枚ほど印刷して全く動かなくなってしまったのである。こんなことは、3年前にこのプリンターを買って初めてである。12月23日のことで、元日に届くためにはあと二日しかない。たまたまメーカーの修理拠点が自宅のそばにあるので、状況を書いてそこへ持ち込んだ。すると、私の使い方を見て「そりゃあ、使いすぎですよ」という。「だって、一日にせいぜい50枚で、全体でわずか300枚ですよ」というと、「いや、一日20枚がいいところです」という。子細にチェックすると給紙機構の一部が悪かったのでそれは直してもらったが、そのほかはそのままでよかった。それからは、5枚刷るごとにプリンターの電源を切ってお休みいただき、そうしてご機嫌をとりながらどうにか間に合った。しかし、それにしてもプリンターがこれほど微妙なものとは、ついぞ知らなかったのである。

 今年いただいた年賀状は、300枚を超えた。つまりは、出さなかった方からいただいた分がその超過した枚数である。昔から、この「出さなかった方からいただいた」という分をどうしようかと悩むところである。いつも、正月三が日は実家に帰っていて自宅を留守にしていることが多いので、1月4日に帰ってきてから出したとしてもそれが着くのは7日になってしまい、どうにも間が抜けてしまうからである。そういうことで、ある年からきっぱり諦めてしまって、出さないことにした。その代わり、翌年は出すということにしたら、今度はその方が出さなかったのであわててしまい、7日頃に来るという調子である。中には、一年おきにこちらが出し、向こうからは私の出さない年に来るというケースもある。それならいっそのこと、全くやめるか必ず出すか、どちらかにすべきなのであるが、そうもいかないという悩みもある。相手の方も、そう思っているのではないだろうか。これが年賀状の悩みである。

 ただし、いただいた年賀状をコタツの中で一枚一枚とゆっくり見るというのも、また楽しいことである。中には何十年も会わないで、年賀状だけのやりとりの方もいるが、それはそれでいいものである。それぞれの年賀状にはそれぞれの人生がある。今回も「長年勤めた○○社をやめて、大学に教員として勤めることになり、今年の3月には現地に移り住みます」があった。また、「44年間の職業生活を終えて、すべての公職を退き、武蔵野で残りの人生を楽しみます」とか、孫娘の写真を貼っていたり、家族一人一人の近況を一行で書いていたり、いろいろである。去年の春に何十年ぶりに会った親類からは、「久しぶりにお会いできてうれしかった」という趣旨の言葉もあり、私も全く同感であり、胸が熱くなった。これらを思うと、年賀状というのは、本当に良き習慣である。

 外国の友達からいただくクリスマス・カードにも、全く同じ面がある。もう何年も会っていないイギリス人のフランシスとは、これだけが近況を伝える唯一の手段である。あるときはオランダからくれたり、フランスからだったりしたが、いまではロンドン近郊ミドルセックスに落ち着いたようである。私の子供たちの名前をよく覚えてくれていて、いまどうしているとか、関心をもってくれている。ひとりは医者になるつもりだとかもうひとりは弁護士をめざしているなどと書くと、翌年には最大級の賛辞を送ってくれる。まるで一年遅れの定期便でのやりとりであるが、地球の裏側でわれわれの家族について、一年で一度でも関心を持ってくれる人がいると思うと、心がなごむのである。

 ただ、私は最近、この年賀状という習慣も、インターネット時代には次第に廃れていくのではないかと思うようになった。去年の年賀状は8000万枚ほど発売目標に届かなかったようであるが、この世界でも紙媒体が電子媒体に代わりつつある証左ではないかといわれている。郵便に携わる皆さんも、これはある程度は覚悟されていると思うが、実は私も来年から一部の年賀状を電子メールでお送りしようかと考えている。スペースの限られている年賀状より、電子メールの方が送れる情報の質と量ははるかに多い。プリンターの故障にも悩まされることはない。費用もはるかに安い。それにホームページのアドレスを合わせると私の近況をいつでもお伝えすることができる。良いことづくめであるが、ただ、普段から自宅で電子メールを使わない人には出せないのが問題である。

 今回の年賀状を見ると当面は50枚程度は電子メールで代替できそうである。もう少し待つと、電子メールがもっと普及しそうであるから300枚中の100枚はできるかもしれない。来年からは、そうしようと思う。こういう考えを大学時代の友人の連絡網に流すと、待ってましたとばかりに「生来の不精者」さんをはじめとして何人かのご賛同をいただき、早速それを実行した人たちがいたのは、本当に面白かった。ただ、多くの人は、インターネット時代になってもやっぱり紙の年賀状がいいということであった。21世紀はITつまり情報技術革命の時代というが、われわれの年代の気持ちは、なかなかそれに追いつけないのである。



(平成13年 1月 3日著)
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